能福寺
所在地:兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
宗派:天台宗
山号:宝積山
 
本堂の月輪影殿

由来
 今から千年以上昔の805年最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称したといわれています。その後、平清盛が福原に遷都した時には、平家一門の帰依があり、兵庫随一の規模を誇り福原京五山の第一に居し、通称「福原寺」を称し、またその壮大な外観から「八棟寺」とも称されました。平安末期の養和元年(1181年)平清盛公の逝去に伴い、ここ能福寺の境内にあった太平山八棟寺に清盛の墓所、平相國廟が作られたそうです。しかし、平家滅亡とともに寺と墓所はことごとく破壊されその後戦火にもさらされ、慶長3年(1599年)に長盛法印が再興したといわれています。
 
平相国廟、つまり平清盛のお墓だそうです。
 
その隣にはここから出土した五輪塔がありました。亡き平氏や源氏をしのんでここに奉納したのでしょう。
 
その隣にはなかなかエキゾチックな石仏がありました。
 
ほら、どことなくクラスの級長さんに似ていませんか(笑)
 
「天真獨朗」ってどういう意味?
 
「天真獨朗」とは無相の一念に悟入すれば、 生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達するということだそうです。
 
ちなみにこのお寺!なんと日本三大大仏の一つ「兵庫大仏」があるんですよ。(台座を含めると18m)
 
こうやってアップで撮ると大きそうに見えますが
 
実際は11mと意外にちっちゃいですよ。
 ちなみに日本三大大仏と主張する大仏はこの他にも富山県高岡市の大佛寺にある高岡大仏(15.85m)、岐阜県岐阜市の正法寺にある岐阜大仏(13.7m)があるのですが、戦前までは兵庫大仏が三大大仏のポジションに座っていましたが、戦時中の金属類回収令により供出され現在空位ということです。
 
そういえば、このお寺、わざわざ松山ケンイチ君の写真が飾ってありました。どんだけミーハーやねん、ここの和尚さんは、、、、、

 
あと、これは境内にあった瀧善三郎正信碑です。明治元年の開港間もない神戸の三宮神社附近で、三宮警備をしていた備前藩士の行列の前を横切った外国人を傷つけたのが事件の発端で衝突事件となり、いわゆる神戸事件として大きな国際問題になりました。備前藩では藩士の瀧善三郎正信を責任者として各国代表立会いの下に切腹させたのでした。この問題の行方によっては薩英戦争同様の事態に進展する可能性もあり、さらに神戸が香港や上海の様に理不尽な占領下に置かれる事態も起こり得たことから、滝善三郎の犠牲によって危機回避がなされたことは日本史の流れにおいても重大な出来事であったともいえるのです。

このように能福寺には、平安末期の平清盛の墓、明治維新の神戸事件、太平洋戦争の兵庫大仏と、歴史の闇に埋もれそうなことがひっそりと鎮座しています。なにか歴史の因縁めいたものを感じざるをえません。

古代大輪田泊の石椋(いわくら)

前述の能福寺より東に300mほど歩いたところに古代大輪田泊の石椋があります。もともと奈良時代よりこの地は行基により造営された港でしたが、清盛の時代に日宋貿易が盛んになり大きく港を修築したといわれています。これは昭和27年に出土した巨石の一部で、大輪田泊の港湾施設の一部であったと考えられています。
 
まあ、ただの石といえば石なんですけど、、、、、

柳原蛭子神社(柳原のえべっさん)
所在地:兵庫県神戸市兵庫区西柳原町5-20
御祭神:蛭子大神、大物主大神

 

 和田神社、西宮神社と同様に蛭子神(恵比寿様)を祀っています。しかし、兵庫の地はほんとえべっさん多いですねー。ちなみにこのえびすはいずれの神も後世の付会であって、元来の姿ではありません。えびすの漢字に戎や夷などが当てられている事は、中央政府が地方のまつろわぬ民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、戎や夷の字を当てたのと同じことで、いずれも異邦の者を意味をあらわすそうです。

 

 このような門客人としての性格は、海人族(海を生業としていた人々)により信仰されていた古い神格であり、おそらく予期せぬ鯨が漂着し、食料として恵みを与えてくれることから漁業神として信仰されていたのでしょう。 

なぜか片隅にはお約束の稲荷神
 
摂社の水神社です。そうするとここは古くから海洋神たる蛭子と、農業神であり雨乞いの神、水神社が存在します。もしかしたら海の民と稲作文化のつながりがこういう形で存在しているのかも知れませんね。

福海寺
所在地:兵庫県神戸市兵庫区西柳原町10-10
宗派:臨済宗南禅寺派
山号:大光山



柳原蛭子神社の向かいにあるお寺です。このお寺は足利尊氏が新田義貞軍に追われていた際に、このお寺の前身である針ヶ崎観音堂に逃げ込み命拾いをしたそうです。その後このお寺を建てたそうです。
 
この絵を見て娘が「これっくらーいの、おべんとばーこに、あしかがーたかうじちょっとうめて」と歌っていたので、ツッコミを入れざるをえませんでした。
 
本堂には大黒天が鎮座しています。
 
平清盛公遺愛の時雨の松がこの地にあったそうです。
(実際は神戸市三川口町にあったそうです。)
 

次回はJRより北のブロック、福原京の跡を訪ねますねー
お楽しみにー