東海・東南海・南海地震



 東日本大震災から今日で8か月たちました。現地に行って活動していたことなど本当に遠い思い出のようになりましたが、自分の住んでいる愛知県もいつM9クラスの地震に合わないとも限りません。そういった気を引き締める意味でも古代史と大地震との関係を考察していこうと思っています。



 先日の東日本大震災で、かつてない規模の地震が日本列島をおそった経験から現在、この東海東南海南海地震も日向灘から駿河湾にかけてのすべての岩盤(セグメント)が崩壊するというM9クラスの超巨大地震まで考慮に入れるようになってきました。文部科学省の地震調査研究推進本部によると、東海東南海南海地震の発生率は今後30年以内に東海地震(M8クラス)が87%、東南海地震(M8.1クラス)が60~70%、南海地震(M8.4クラス)が50%と高い予想になっています。また中央防災会議によると、この3つの地震が同時発生する最大被害予想は、死者2万5千人、経済的被害は81兆円と試算されています。


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 このように、巨大地震は日本と密接なつながりがあるのですが、先日10月12日の静岡で行われた地震学会で興味深い報告が発表されたのです。大阪市立大学や産業技術総合研究所による津波堆積物の調査で 東南海地震などの震源域がある南海トラフ沿いでは、大きな津波を伴う地震が2400年間に少なくとも18回起き、約100~200年の異なる周期で発生している可能性があることがわかったそうです。同大などは三重県尾鷲市の海岸沿いにある大池(標高約5メートル)で、底に堆積した地層を採取。安政東海地震(1854年)、昭和東南海地震(1944年)時の地層は採取時に流出して判別できなかったが、紀元前4世紀~紀元後18世紀に津波でできたとみられる堆積物が16層見つかったと発表しました。このうち7層は、歴史記録が残る白鳳地震(684年)以降の地震と年代が一致し、別の6層も、遺跡に残る液状化の痕跡から「未知の巨大地震」が指摘されている年代と合うといわれています




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 ここで興味深いのは、白鳳地震の記録です。日本書紀によると天武13年10月14日夜10時ごろ(西暦684年11月26日)に大地震が起こり、国中の男女みな叫びあい逃げまどったと記録されています。これまでこの地震は南海地震(1946年)程度のものと認識されていたのですが、今回尾鷲の地層の研究や、静岡県袋井市の原野谷川の自然堤防上にある坂尻遺跡において、7世紀後半と推定される液状化の痕跡が発見されることと、大分県佐伯市間越龍神池で発見された津波堆積物を研究した結果、この地震は現在危惧されている東海・東南海・南海連動地震であることが近年わかってきました。



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 ここで考えていただきたいのは、この地震によって被害を受けた民はどのような人々であったかということです。一般的にそのころの民は租税からわかるように、農民と漁民に分かれていました。農民は比較的治水のしやすい盆地の湿地帯にコメを作っていました。一方漁民は、日本列島沿岸部に居住し、漁をするだけでなく、物資輸送といった物流の面で大きな力を持っていたものと思われます。よってこの海人系渡来人は海岸のそばに居住していたと思われます。また天武天皇がこの海人系渡来人の後押しによって天皇となれたのも外せない項目だと思っています。壬申の乱は、尾張、美濃、伊勢、伊賀にいた海人系渡来人の力を得た大海人皇子が近江朝を倒した乱として、記紀に記されています。当然この後、海人系渡来人が政権を掌握、政治にかかわってくるようになったのですが、そこにこの3連動地震が起こったのです。


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 大和から近い大阪湾では約10mの大津波 となり、和泉、摂津地方は壊滅的な打撃を受けたものと思われます。上の図から判断すると、難波宮のある上町台地以外は津波の被害を受け、おそらく相当数の死者がでたのではないかと思っています。

 当然、海人系渡来人の経済基盤である港湾施設は破壊され、多数の死者が出て、その力は急速に衰えるのですが、中でも当然この地震を祟りとして考える人がいても不思議ではありません。それも、その怨霊は当然滅びた近江朝の大友皇子(弘文天皇)の祟りとして考えるのが普通だと思います。この祟りの恐怖はおそらく天武天皇を非常に怖がらせたと思われます。なぜならその後①朱鳥に改元する。

②宮号を飛鳥浄御原宮と定める。③天皇のために諸王臣等、観世音像を造る。観世音経を大官大寺で読経する。④天武天皇崩御。とこの地震後2年で歴史が大きく変わり、持統天皇2年(688年)には伊勢に式年遷宮の制度が定められていくのです。つまり伊勢神宮はおいらはこの地震をきっかけに、天智朝を鎮魂する意味で作られたものではないかとも思っています。そして壬申の乱でもっとも功績のあった伊勢、尾張の国に近江朝より奪い取った鏡と剣をそれぞれ与える変わりに、遠地にて封印する目的ではなかったかと思っています。


 いずれにしても、過去この白鳳地震が歴史上与えた影響は計り知れず、同時に紀伊半島が死の国、つまり冥界の入り口と思われるようになっていったのではないかと思っています。古より海彦山彦に登場する潮満珠と潮干珠も、こうしたプレート型地震の引き起こした津波の話であると想像できますし、徳島県美波町の約2000年前の地層から巨大津波が起こったと思われる津波痕跡 も発見されているのです。今後この分野はまたいろいろな研究や発見があると思うので、古代史解明のアイテムの一つとして考えていく必要があると思います。