山梨の秦氏


 今回は京都から飛んではるか東、山梨県の秦氏について考えてみたいと思います。もともと日本書紀の皇極天皇三年秋七月に東国の富士川のほとりの人、大生部多(おおふべのおお)が虫祭りで、虫を「常世の神」とよび新興宗教を起こしたので、葛野の秦河勝がこれらを懲らしめたというエピソードがあるのです。この部分をとって今は湖の底に沈んでしまったが、富士山麓には徐福の国があったと主張する人々がいます。しかしよく日本書紀を読むと、富士川のほとりとは書いてあるのですが富士山のほとりとは一言も書かれていないのです。実際富士川と富士山麓には2000mほどの山が存在しているので、あまり頻繁に行き来ができたとは到底思えないのです。ですから、この常世の神を祭っていた秦氏はあくまでも富士川のほとりで、しかも7世紀ごろ大きな勢力をもった豪族ということになります。




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常世の虫、、、、日本書紀の記述を見ていると、橘の木や山椒につき、色は緑で黒いまだらがある、、、、それってアゲハ蝶の幼虫ジャン!!

確かにそれを神様だといって金品巻き上げていたら本家の秦氏も腹立つのはわかる気がします。





 ではそんな大生部多はどこにいたのでしょう?実際富士川に沿った地域で、大きな古墳のあったところは3か所です。それは現在の山梨県中央市の王塚古墳(約64m)と市川三郷町の大塚古墳群、甲府市下曽根町にある甲斐銚子塚古墳169m)です。特に大塚古墳群の一つ、鳥居原狐塚古墳からは国内で唯一の発見、赤烏元年鏡が見つかった古墳でもあります。この赤烏元年とは中国の三国志時代、孫権の呉の年号である赤烏元年(238年)の紀年銘をもつ鏡です。つまり中国の呉と交流のある氏族がこの山梨に居住し、埋葬されたということです。このことからも、この日本書紀の記述にあった土地は山梨の現在の笛吹川の南側ということがわかります。(笛吹川は富士川の支流ですが、昔はこのあたりは治水が整ってなくすべて富士川として扱われたのだと思います。)




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このあたりが秦氏の一大拠点だったんでしょうか、、、





 ここからもこの山梨の地は4世紀から5世紀にかけてはヤマト朝廷にとって東国への前線基地の役割も果たしていたと思われます。また、秦氏の流入により絹製品の一大産地ともなっており、最古の山梨の記述として正倉院宝物の白あしぎぬ金青袋端書の墨書で、和銅七年(七〇八年)十月に「山梨郡可美里」の日下部某があしぎぬを貢進していたことが記されています。

 そんなことから実際に山梨に行ってみました。特に山梨県中央市や河口湖町は古くから養蚕が盛んで、中央市豊富には豊富シルクの里公園という公園もあります。




というわけで、たまたま国道を走っていたら、王塚古墳という文字を発見




突然車を左折させ、道なき道を入っていきました.



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あぶねー、危うく泥道でスタックするとこだった


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ここが王塚古墳です、地元民には「あんた何しに来たの?」と相当変な目で見られました(笑)


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副葬品から鉄製のよろいや矢じり等が出てきて、製鉄文化に根差した豪族であったことがわかります。


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そこからは山梨の町が一望できました。こんな眺めのいいところに埋葬された方はなんて幸せなんでしょ、、、



とそこから車で30分、山梨県の笛吹市に入っていきました。



甲斐の黒駒伝説と聖徳太子


「聖徳太子伝暦」や「扶桑略記」によりますと、太子は推古天皇6年(598年)4月に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、舎人の調使麿に命じて飼養したそうです。同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したといいます。その時に勝沼の万福寺に降りたって、次に、塩山三日市場の常泉寺、山梨正徳寺の聖徳寺に立寄ったそうで、今でも聖徳寺には太子像が鎮座しています。このように甲斐には非常に多くの太子伝承があり、ここからも秦氏が山梨に相当根付いていたことがうかがわれます。



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赤甲山聖徳寺です。ここは南から入ろうとすると踏切がすごく狭いので北から回っていったほうが賢明でした。


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 本堂の中です、左に聖徳太子像が鎮座しています。


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幼い聖徳太子の像ですね。


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ちなみにこのお寺はもう一つ、武田信玄のおじいちゃん、武田信縄の供養塔です。

本当は信縄の菩提寺は長興院(山梨県山梨市)だったのですが、笛吹川の洪水で流され、近くの聖徳寺に五輪塔と牌子が移されたそうです


 今回は中途半端に山梨を訪れたので、まだまだ見たいところはいっぱいありました。次回は綿密に計画を練って、富士吉田徐福伝説や笛吹川の大石神社等をめぐってみたいと思っています。