木島神社(木嶋坐天照御魂神社)

通称 蚕の社

所在地:京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50番地

主祭神:天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命




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この神社は、通称「木嶋神社」(このしまじんじゃ)又は「蚕の社」(かいこのやしろ)と呼ばれる延喜式内社で、 天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っています。「続日本紀」大宝元年(701年)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社です。この嵯峨野一帯(旧葛野郡)は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」もそれにちなんだ社名です。





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ここは正面の本殿です。

 この神社で最も有名なのが元糺の池三柱鳥居でしょう。

ここからは大和岩雄氏によると、日枝と松尾の日埼峯、すなわち比叡山と松尾大社と結ぶ線は夏至の日の出=冬至の日の入りの線にあたります。この線上に「元糺」と「糺」の地がある。糺の宮は河合神社(式内:鴨川合坐小社宅神社、下鴨神社の摂社で祭神は玉依姫命)であり、元糺は当神社であり、元糺の池には、三柱鳥居が立っています。つまりこの鳥居は秦氏の神社(松尾大社、稲荷大社)や聖地(双ヶ丘)の遥拝と、京都の聖山とを結合させた太陽祭祀の意味が読みとれるのです。


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有名な三柱鳥居です。


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上から見ると北を向いた三角形となっています。


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方角的には次の山を指しています。それぞれが秦氏のゆかりの場所となっています。


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元糺の池です。池というと出雲の見沼神事につながりそうです。


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境内の解説です。


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蚕神社はその東にある摂社です。蚕の社とは実は摂社のことを指しています。



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摂社の養蚕神社です。そういえば宮城県多賀城市のアラハバキ神社の隣にも養蚕神社があるというのは何か因縁があるのでしょうか?

 


 天御中主命

 ところで、ここの主祭神「天御中主命」はいろいろな曰くのある神様です。天御中主命(アメノミナカヌシ)とは、古事記冒頭の天地開闢に際して、混沌のなかから最初に成り出でた造化三神(アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒ)の中心となる神です。ただ、この神は開闢の冒頭に登場するもただちに身を隠したため何らの事績もなく、古社のなかでこの神を祭神とする社はなく、この神の後裔を名乗る氏族もないという不思議な神で、重要な神でありながら中心から身を引いた神といえます。しかし鎌倉以降、特に江戸時代になって記紀神話の再解釈や神道思想の高揚とともに、この神を天地創造の主宰神・世界を創造し支配する最高神とする思想が生まれ、神仏習合の進展ともあいまって妙見菩薩や鎮宅霊符神と習合していったといわれています。これが現在の道教的な北極星・北斗七星に対する信仰である妙見信仰へとつながっています。前述ででてきた摩多羅神もこの妙見信仰がもとになっています。おそらく三柱鳥居はこの造化三神を指しているものだと思っていました。



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そのほかの摂社八柱です。



 隠された歴史書、先代旧事本紀

 さて、みなさんは先代旧事本紀という書物をご存知でしょうか?『記紀』とならんで三大古文献と言われていたこの書物は江戸時代に一部の国学者が偽書と断定したことから、今日に至るまで古代史研究から闇に葬られていました。しかし、近年『記紀』の見直しと万世一系の再検証、批判の高まりにより再度この本の価値が見直されるようになりました。

何よりもまず、この書は推古天皇の時代、聖徳太子・蘇我馬子によって撰修されたという序文から考えても日本におけるもっとも古い文献と言えると思います。



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amazonより転載、1冊8400円もする本なので買うときは清水ジャンプした気分でした、、、、(笑)

 この話をしだすと途轍もなく長くなるので要点だけ説明しますね。古代大和の国は饒速日尊(ニギハヤヒ)が大王として統一、統治していました。その後神武天皇は統治権の象徴である「瑞宝十種」を饒速日尊の娘、伊須気余理比売を皇后とし饒速日尊より大王の位を継承しました。つまり初期大和朝廷は女系により大王の位を継承し、古代天皇の皇后は饒速日尊の神裔から出ているというのです。

 さらに先代旧事本紀の訳者、大野七三によると古来大和朝廷からの豪族、物部氏、大伴氏、斎部氏などがいましたが、新興氏族である藤原不比等(旧姓中臣氏)が、自らの氏族の権威高揚の名目に、それまで諸豪族によって奉斎されていた皇祖神・饒速日尊の神威を貶める必要がありました。そこで藤原不比等は、その一族である中臣氏に、従来の天照大神であり、太陽神として信仰されていた、饒速日尊にかえて、神武天皇の祖母にあたられる日向の皇祖神・大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)を、高天原の最高神である天照大神とする「中臣神道」を興隆させ、さらに朝廷の信仰もこれに変えさせたといわれております。

 ここから考えると乙巳の変以前、天照大御神=饒速日尊(男神)であり、太陽神の信仰だったといえると思います。そしてその信仰は磐座による祭祀中心の信仰であり、中心となっていたのが饒速日尊の墓と推定される三輪山と三輪神社だと思っています。その後藤原の権勢となり、木嶋神社にいた天照大御神は天御中主命と名前を変え隠された神となったのではないかと推測します。しかし、密教や修験道等でこの信仰はひそかに受け継がれのちの妙見信仰へとつながっていったのではないかとおいらは思っています。


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そういえば木島神社で気になる灯篭を見つけました。


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そこには呉羽講と文字が彫ってあります。おそらく呉織の工女のことではないかとは思いますが、謎です。誰か知っていたら教えてください。




 さて、木島神社の天照御魂が古の天照大御神=饒速日尊(男神)という説明はしてきたのですが、まだ三柱鳥居の解説にはなっていませんね。そういえば三柱鳥居は上から見るとがあらわれるので、三角鳥居とも言います。をあわせると六芒星になりますが、映画ダビンチコードでは、が陰、女性を表し、が陽、男性を表すという説を紹介しています。ただ、そこからこの鳥居はダビデの紋章であるとか、景教の三位一体を表しているというのはいささか論が飛躍しているのではないかと思っています。(佐伯説)




 ではいったいこの3つの柱は何をさしていているのでしょうか?


そのヒントは次回の松尾神社の宝物館にあったのですがそれは次回のお楽しみにしましょう。