飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ) おんだ祭り


 飛鳥坐神社は、創建は古く古代から存在し、日本書紀朱鳥元年(686年)7月に大国主神を皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとあります。現在の祭神は飛鳥坐神社四座として、事代主神(コトシロヌシ)、高皇産霊神(タカミムスビ)、賀夜奈流美命(カヤナルミ)、大物主神(オオモノヌシ)の四神です。


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飛鳥寺方向から見た飛鳥坐神社、神奈備としての小山で、周囲からも一目でわかる存在です。


 この神社の特徴として、大小の陰陽石(男性、女性のシンボル)を神様と共に祭っており、古出雲系の原始神道の流れをくんでいると思われます。このような信仰が残っているのは、後は愛知県小牧市にある田縣神社、犬山市にある大縣神社、あと諏訪のミシャグチ信仰、神奈川県川崎市にある金山神社のかなまら祭りとあり、また後日報告しようと思っています。


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このような大小さまざまな陰陽石が境内にごろごろしているので、石を見るとすべてそのような石に見えてきてしまいます。(笑)

 この神社は、民俗学、国文学、国学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)ともつながりがあり、ここの宮司の折口家に祖父が養子に入り折口という性になり、なんとココの神社で13歳のとき、仏教改革運動家で9歳年上の僧の藤無染(ふじ・ぶぜん)と出会い初恋に落ちた(今のBL?)といわれています。


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境内入って右手にある折口信夫の歌碑です。

「  ほすすきに夕ぐもひくき明日香のや  わがふるさとは灯をともしけり  迢空  」


 さて、この神社のおんだ祭りですが、毎年2月の第1週の日曜日にのお田植神事「お田植祭(おんだ祭り)」には夫婦和合の所作があり、西日本三大奇祭として知られています。そんなおんだ祭りを見てきたのでリポートします。


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飛鳥坐神社の入り口、出店が数軒並んでいます。

 11時ごろ飛鳥に着いて、山帰来という蕎麦屋で食事をし、12時半頃飛鳥坐神社にむかいました。するとびっくり、主だったところはすでに場所取りがしてあり、とても写真を撮れる場所は残っていませんでした。前情報では、13時前に行けば横ぐらいから写真が撮れるとのことでしたが、おそらく天気がよく暖かったことと、ブログ等で知名度が上がってきたことでいつもより倍ぐらいの人数が来ているとのことでした。しょうがないから垣根の裏に陣取り、垣根があるので前方が開けているのでまだ写真等は取りやすいとその時は思っていました。


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 この写真のように、天狗や翁が竹でできた尻たたきを持って町を闊歩し、お尻を叩かれると無病息災となるそうです。かくゆうおいらと娘も神社の入り口で尻たたきにあったのですが、私のときは容赦なく「ブバッシ」と叩かれ「痛い!!」と思わず叫んだところを奈良テレビのカメラが撮っていました。もし放映されたのなら全奈良中に
おいらの醜態をさらしたかもしれません。


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13時より居合の演武が始まりました。遠くから見ていたので真剣かどうかはわかりませんでしたが、このときすでに子供は飽きてきてどこかに逃亡中でした。

その後放送が入り「続きまして14時よりおんだ祭り第1部お田植え神事、神楽奉納とあと本番の(本番言うな!!)天狗と岡目の結婚式となります。」と放送されました。



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そしてついに天狗、翁、牛の登場です。これを見た3歳以下は一斉に泣き出しました。(笑)まず、お田植えの神事が奉納され、コミカルに田植えを再現していました。

この後、おかめをつれてくるため3人は中座します。


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 その後、きれいな巫女様による神楽舞踊奉納。おお、上品上品(´0ノ`*)


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その後、ついに天狗と岡目の登場です。心の中ではスタンハンセンのテーマが流れていました。ちなみに天狗が持っているのが、なーがいち○ち○です。


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岡目の恥らい方も悦に入っております。頭についているみかんがなんとも言えずいい味を出しています。


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すでにこのときおいらのいた場所は2人の大阪のおばちゃんらしい人が垣根をばきばきおりながら進入ヽ((◎д◎ ))ゝこーんな人数に膨れ上がっていました。

神事はまず、翁仲人による結婚式の神事の後、いよいよ夫婦和合の儀式の始まりです。


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まずは、天狗によるなーがいち○ち○の起立奉納、このときその例の竹筒を神主にこすりつけたときには皆失笑が漏れていました。


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そして床を作りいよいよ天狗がおかめを床に招き入れます。


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さあ、いよいよ合体というときは翁が最初は行為を隠します。このしぐさがカニのようだと娘が面白がっておりましたが、彼女はその奥で何が行われていたのかは気が付いていませんでした。


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こ、こらそこの背の高い外人!背伸びして腕を伸ばしてとるな!後ろがみえないだろ!ほんとにヾ(。`Д´。)ノ


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しょうがないから過去のインターネットからの拾いものでお送りしております。しかしまあおかめも男性が扮しているとは思いますがすね毛を全部そるといった念の入れよう、、、、脱帽しました。


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その後、おかめのあそこを拭いた「福紙」を観客に投げ入れます。こ、こら、子作りに関係ないおっさんが奪い合うんじゃない。ヽ(゚◇゚ )ノ

そんでそんな行為をワンモアタイム(笑)でもこのときは後ろのおばちゃんに押されて身の危険を感じ撮影を断念(;´▽`A``


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その後、もち投げをし、おんだ祭りは終了しました。


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ぞろぞろと帰る人たち、、あんな狭いところに1000人ぐらいはいたのかなー


傾向と対策

 今回初めておんだ祭りというものを見に行ってきましたが、人の多さに圧倒されました。ただ、写真を撮るのは限られたポジションになるので朝早くから場所取りをしたほうがよさそうです。今回は晴天に恵まれたこともあり、多数の人が見に来ていました。帰りのバスもギューギューづめなので、マイカーで早めに来て、飛鳥寺か万葉文化館に置いておいたほうがよさそうです。子づれの場合子供はほとんど見れないことになると思うので、お気を付けください。

 
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そんなこんなで、疲れ切って奈良を後にしました。

次回は行けたら田縣神社、大縣神社をご報告します。花粉症ひどくなったら中止ね

(→o←)ゞ