条文それぞれのヤバさというか水準の低さは,法学者諸氏によってすでに充分明らかになっているので,ここでは前文をひとつひとつ吟味してみたいと思う.

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

小熊英二氏を引き合いに出すまでもなく,いわゆる統合された「日本」という概念はそれほど古いものではない.どんなにさかのぼっても明治維新以降のことである.それまでの国は「藩」であった.さらに以前には,特に東日本では「統治」すらない状態(未開という意味ではなく).固有の文化は日本に限らずどこにでもある.「天皇を戴く国家」という意味が不明.戴くとは何か.懐古的尊王主義にすらなっていない無駄な表現である.三権分立は概念の説明が必要な単語で,前文に定義なく持ち出すのは不適当である.「天皇を戴く国家であって」→「国民主権の下」→「三権分立に基づいて統治される」がそもそも全く意味が通らない.国民が主権であるならば,国民の合意に基づいて統治されると表現するのが適当.どれもこれも,とってつけた表現である.

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

「先の大戦」が何を指しているのか不明.「今や」っていつだよ.「(平成24年現在)」とか入れるんだろうか?重要な地位を占めている,あるいは占めていないことを憲法の前文で謳う必要性がない.平和主義って何?「諸外国」とか下品な単語使わずに「諸国」で良いだろう.「友好関係を増進」,関係は増えるものでも進むものでもない.「先の大戦」とやらを反省(反省がどうしても嫌だったら回顧しでもいいよ)して世界の平和に貢献する,でなにがまずいんだろう.

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

おいおい,なんで国と郷土を分ける?郷土ってなんだ.領土か,領海か,尖閣か.気概って何?しかもここで「基本的人権を尊重するとともに」という意味不明挿入が?いやわかってます,本当はアナクロな父権主義を復活させたいという下心がありながら,一応基本的人権を尊重していますよっていうポーズをとっているってことでしょ,なんて本当にクソみたいな,批判しているこちらが恥ずかしくてゴミ箱に入りたくなるようなツッコミを入れなくてはならないのか?和を尊ぶことをなんで憲法が?家族や社会の互助はメタレベルの話しだろ.

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる.

我々って日本国民?草案のなかでも主語がまちまちで適当という印象.「美しい国土」って誰が判断したのかと思うし,美しくない国土は守らなくてよいのだろうか.「自然環境」なんて「カンパニー株式会社」みたいな意味の通らない単語を入れるのはなぜ?「教育や科学技術を振興し」,なぜ憲法が科学技術を振興する必要があるのだろう?そもそも教育と科学技術がなぜ並列で振興されているのかが不明.農業とアニメ産業を振興し,みたいに聞こえる.「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」とかどこのマニフェストだよ.こんな文章せいぜい「県政だより」の知事あいさつが限界.

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

え?政府を存続させるために憲法を制定するの?

お口直しに日本国憲法前文をどうぞ.



 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


泣けてくる,いろんな意味で.

とりあえずU.S.A.バンザイ.ギブミー憲法.



と笑っている場合ではなく,事態は深刻だと思う.こういう下品な文章ってたまに読売の社説とかで見るが,要するにここまでの無能がなんちゃってで憲法を考えたりしてみて,それを前政権党がその名で公表しちゃったりしているのである.私は右から見たらサヨク,左からみたらウヨクに見える政治的立場だが(中道ではない),軍国主義者やマルクス・レーニン主義者なら(ですら?),もっと崇高な文章を書けるだろう.知性や品性とか評価する以前に,普通教育が足らない,平たく言うと「オツムが足らない」人たちが文章を書いている状態なのだ.

もしかしたらそのような「知性が不自由な人達」が今後の混沌とした社会を引っ張っていくニューリーダーなのかもしれないが,少なくとも私はその方向へは行きたくない.もしあなたもその方向へ行きたくないのであれば,知性が不自由な人達に憲法改正の草案を(議論にすらならないことはわかりきっているとはいえ)携わらせてしまった我々の責任を痛感しなくてはならないだろう.

この自民党案改正憲法前文に充満しているもの,それは「下品」.これに尽きる.国会議員は我々の鏡だ.だから我々が下品だということだ.そんな訳ないと思っているうちは,この現状を変えられまい.