なんか息子、異常に耳と音程がよくて、いわゆる平均律の絶対音感は教えようとすればものの数日であっという間に身につけそうな気がする。この「平均律の絶対音感」というのはなかなか便利なやつで、なんというか電子辞書が頭の中に入っているようなものだ。より比喩を具体的にすると、「日本語ネイティブ・英語は少々」な日本人の脳内に英語をロシア語に変換する辞書がインストールされているようなものである(日本語を英語にではないのがミソ)。

あると便利なようにも見えるが、実はそうでもない。「絶対音感」があって助かるのは、おそらく音大受験の時と、暗譜、楽器のチューニング。たぶん暗譜については音感あるなしで3倍から5倍くらい効率が違うと思う。

ただそれだけ。

かえって邪魔になる時もある。ろくに転調ができなくなる。キー上げてとか下げてとか全然対応できない。っていうか、絶対音感があまりに便利なのでそういった音楽の基礎技術をろくに訓練しなくなる。で、しかも「歌」が聞こえなくなる。信じてもらえないのだが、歌謡曲を聞いても歌詞が聞こえない。器楽曲を聞いてもメロディーが「どーれーみー」とか聞こえてウザい。津軽三味線ですら平均律で聞こえるんです。これはないほうがいいと、正直思う。

音感ばかり研ぎ澄まされて、自分の演奏すら受け入れられなくなる。これも悲しい。音楽は人に聞いてもらうことによってしか、価値が生まれない。だから人に聞かせる時、音程が取れないかどうかでガチガチに緊張してまともに演奏できないのは意味が無い。

じゃあなにから教えるか、ちょっと考えてみたが、いきなり和声から行ってみようと思った。たとえるならばローマ字を覚える前に英語音声会話を教えるようなものだが、これって正しい「ネイティブ語教育」じゃね?と思ったりした。できるのかどうか皆目見当もつかないが。