レコードショップに行く時間的余裕がないというのもあるが,ここ数カ月アルバムを買っていない.正直言うと買っても聴く時間がない.実際の所,音楽を聴くのは外勤にいく車の中だけである.仕事中は聴けないし,聴かない.音楽が鳴っていると1行も文字を読むことができない.これは音が全部ドレミという「言葉」で聞こえてしまうからであるが,最近私はこの能力が本当に邪魔に思えてきた.これは私のソルフェージュ教育の中途半端さによるものであるが,このへんのことはまた別の機会に書こう.

絶対音感 (新潮文庫)
絶対音感 (新潮文庫)




先日,大萩康司氏をこっぴどくこき下ろしてしまったが,愛がなければあんなことは書かない.あのようなことを書いた理由はもちろんいろいろあるが,まず大きいのはあのリサイタルが全席指定4000円で行われたからである.国内アーチストのソロリサイタルであの歳で全席指定4000円はかなり挑戦的な設定である.これが2000円だったら私は何もあそこまで言わない.アルバムより高い設定であるということは,アルバムを聴くことを上回る興奮が必ずあるということを意図する.3000円を超えてくるあたりからの設定は,かなりの覚悟が必要だ.加えてギャラというのは一度上げてしまうとなかなか下げにくい.非常に危険な賭だと思う.

彼が未だ国内トップレベルのギタリストであることに間違いはない.しかし400席の会場でおそらく100席以上の空きがあったこと,微妙な拍手,アンコール要求がまばら(これは日本だけの評価基準だろうが),このへんの微妙な空気を敏感に察知して危機感を持ったら話は別だが,さもなくば彼は数年間停滞すると思われる.こうなると俄然,他のアーチストが気になってくる.ここで注目したいのが最近かなり存在感を上げてきたのが益田正洋と村治奏一の二人である.

益田もたしか1978年生まれ,ゴールデンエイジである.数年前のクラシカルギターコンクールの楽屋裏で出くわしたことがある(なんじゃそりゃ).彼は本選前のゲスト演奏者だったのだ.そのときはタンスマンの組曲を弾いていたが,とてもよい演奏だった.彼は同コンクールで12歳にして第1位をとっており,この最年少記録はいまだ破られていない.早熟度からいえば村治佳織にも劣らず,数年をおかず東京国際にも入賞している.しかしその後彼は一枚アルバムを出しただけで,コンサートキャリアを選ばずにジュリアードへ留学する.

帰国してから古典期(ギターにとっての)を中心とする正統的な,悪く言うと地味な選曲でアルバムをリリースしてきたが,最初の3枚はすべてレコ芸で特選.完全に玄人向けのアーチストである.とはいえいわゆるネクラではない,脳細胞と筋肉細胞がハイレベルに融合したまさにクラシカルなアーチストである.しかし選曲があまりにも19世紀的ギター直球ど真ん中であり,クラシックを聴く人でも一曲も知らないアルバムばかりである.このへんの首尾一貫ぶりがすがすがしい.

Cantabile
Cantabile

もう一人は村治奏一.いわずとしれた村治佳織の弟である.生演奏を聴いたことはない.というのもデビューアルバムのメインにバッハのシャコンヌ(1004-5)を持ってきて,見事なくらい薄っぺらい演奏を聴かせてくれたからだ.というかこれはそもそも無理というもの.さらに第1曲でヴィラ・ロボスのエチュードNo.1を入れてきたのだが,これが繰り返しなしの爆速演奏と,いったいどうなってるんだという衝撃の(正直私はむちゃくちゃと感じた)デビューアルバムであったのだ.

シャコンヌ
シャコンヌ

それから数枚のアルバムはアングロからラテンアメリカのポップスに近い曲をつづけて録音.まったく真逆の方向へ向かったと思ったら突如として古典へ戻る.




益田とはまったく違うアプローチであるが,あそこまでいってこの歳でソル・メルツ・レゴンディにもどるあたり,侮れない知性を感じる.じつは村治奏一のアルバムは持っていないので,今度購入しようと思う.