数日前に気づいたことがあってずっと書こうと思っていたことを書く.

1 「そろそろ一点が欲しいですねえ.」「ここは押さえたいところです.」

そういう解説を良く聞くが,村上龍を引き合いに出すまでもなく,なんて不謹慎でどうでもよく意味のない実況解説だろうと思っていた.フットボールでは全ての得点が致命的で,得点はいつでも欲しいし,失点は全ての時間帯で防ぎたい.このあたりまえの感覚を無視するひどいコメントだとずっと思っていたが,ある時突然気づいた.

これは野球の解説なのである.

ランナーがたまってきて「ここで一点が欲しいです」,あるいは投手戦で一点差で試合が決まりそうなとき「ここは押さえたいところです」というコメントはすんなりきてしまう.やはり一点の重みはフットボールよりあきらかに軽い.いい加減なコメントでも意味は通じる.大体島国の文化はセットプレーが好きだ.その最たる国がアメリカで,人気3大スポーツはベースボール・アメリカンフットボール・バスケットボールである.すべてセットプレーだ.

日本では野球であり,相撲である.この文化はあまりにも根深い(悪い意味ではない).


2 本質は「決定力不足」という言葉では表現できない.

ユーロ2008をみたり,その前の日本代表のアジア3次予選をみたり,当直先でどういうわけかベガルタ仙台の試合を眺めてしまったりしてから,ある時突然気づいた.われわれは日本のフットボールプレーヤ,とくにフォワードをみて無自覚に「決定力が不足している」という表現を使うが,この言葉は正確ではない.正確でないというだけでなく,本質を隠してしまっている.これは有害であると思った.

日本のフォワードは「決定力が不足している」のではなく「シュートが下手くそ」なのである.

本当はこういうことはセルジオ越後さんあたりに「ケッテイリョクブソクなんていうけど,本当はね,シュートがヘタクソなんですよ!!」と言ってもらうのが一番だと思うのだが,そういった過去の記録はあるだろうか.私はこのことに気づき「ケッテイリョクブソク」という曖昧模糊とした言葉の中に隠されていたソリッドなファクトをわしづかみに出来たのである.

カズも柳澤も巻も大久保も,みんなシュートがヘタクソだ.上手いのは高原しかいない.

これが日本のサッカー選手層なのである.野球ではこうはならない.どんなに球が速くても,コントロールの悪いピッチャーは決してプロになれない.バントが下手くそな2番打者や,肩の弱いショートストップ,打点がすくない4番,足の遅いセンターなどはプロで存在できない.かならず高校野球までにそのフィルターがかかる.

それは基本プレーのなのである.

フットボールで言うならば,それは正確なキックである.ゴール前へのクロスの精度が悪い,センタリングの質が悪い,後方での不用意なパス回しが多い,などよく言われる日本サッカーの弱点は,この極めてシンプルな「キックの精度が悪い」という身も蓋もない事実に還元できる.海外フットボール事情をさして「パス回しのミスが少ない」とか「ロングボールが通る」とかいうが,これは基本プレーなのだ.感心している場合ではない,日本のフットボールプレーヤーは下手なのだ.

実際,中村俊輔や遠藤がフリーでボールをもって前を向いた瞬間以外,得点の予感がない.そういう場面は当然1試合で数回もなく,文字通りフリーでボールをプレースキックできるフリーキックの時以外,まともな得点はない(それでもとれるようになっただけマシではある).そしてこのようなときですら,得点源はセンターバックのトゥーリオと中澤のヘディングである.フォーワードは決して当てにならない.

要するに8番キャッチャーよりホームランの打てない4番打者がレギュラーにいる.野球では高校生のレベルですら決して起こりえないことが,ことサッカーでは日本代表でもあり得る.これが我々のフットボールのレベルである.しかたないから「オフザボールの動きが良い」とか「前線からの守備が献身的」とかいう,技術ではなく心意気の部分でフォワードを評価する.その評価に,選手も甘える.これでは決して状況を打破できない.

「キックがヘタクソ」.この屈辱的な言葉を選手に投げかけることから,ジャパニーズ・フットボールの強化が初めて可能になると思われる.


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