日付が変わったが,奥さんが帰ってこない.

いや別に,「今夜,妻が浮気します」というエントリーではない.

ただの飲み会である.奥さんは神経内科医であり,それでいて私と同じく大学院生でもある.お互いバイト生活だ.そしてお互いマイナー科である.ふつうの人が神経内科とか呼吸器外科とか聞いても「シンケイナイカ」とか「コキュウキゲカ」としかわからないだろう.漢字をあててもなんだかわかるまい.今日は彼女の医局で飲み会である.我がコキュウキゲカと違い,酒豪の多い医局だ.奥さんも秋田人であり,いわゆるザルだ.

きょうも一日中実験をやり,夕飯は昨日奥さんがつくった煮物と,今日自分で作った鶏肉のトマト煮を食し,1時間ばかりギターを弾き,Wii sportsのボクシングとテニスで快勝し,ちょっとだけ論文を読み,今日もうまくいかなかった実験に悪態をつき,RIVATA社のBarolo 2003をチビリチビリといただいているわけである.このバローロ,バローロのわりに安い(2000円ちょっと)が,かなり旨い.開けたのは昨日だが,どんどん良くなっている.Rivataのバローロである.バルバレスコも出しています.

日中はあまり気づかないが,夜部屋で座っていると,1時間に1回は体感できる揺れがある.さっきも震度4くらいの揺れがあった.つい昨年の11月まで,震源地の真上にすんでいたことを考える.あの日の外科当直は大変だったろうな.

学生であるからして,病院から電話がかかってくることは絶対にない.自由である.この年で,この自由があるというのは,やはり役得としか言いようがない(まあ,ふつう夜中に会社から電話がかかってくる人はいませんが).逆に,ここで勝負をかけないと,あとはない.そういう時間である.

たぶん村上龍のエッセイだったと思うが,ある成功したファンドマネージャーが人生で優先する三つの目的について述べていた.

1 死なないこと
2 楽しむこと
3 世界を知ること

大事なのは3だ.経済的には一生心配のないファンドマネージャーの発言だけに,ある意味説得力がある.大事なのは世界を知ることだろう.これは勉強という意味だけではない.勉強だけでは決して知ることができないことがこの世には山ほどある.

今朝,全米オープンでタイガー・ウッズが最終組18番という信じられない場面で,信じられないバーディパットを決めて,ものすごいガッツポーズをしてプレーオフをもぎとった.あのパットを入れられなかったら,優勝を持って行かれていた場面である.あのパットを決める快感とはいったいどんなものなのだろう.絶対に彼しか知ることができない.

イチローがライトからサードへノーバウンドのレーザービームを放ち走者を刺したとき,ASローマで中田英寿がスクデットを決める伝説的ロングシュートを決めたとき,野茂英雄がメジャーでノーヒットノーランを達成したとき,伊達公子がシュティフィ・グラフを破るダウンザラインを放ったとき,あるいはヨーヨーマがジャクリーヌデュプレのチェロを受け継いで泣きながら演奏したとき,小澤征爾がブザンソンで初見の現代曲を完璧に振り切ったとき,ツィマーマンがローマの夜に消えるプレストを弾ききったとき,彼らはいったい何を知ったのだろう.

私がアスリートを,アーチストを本当に羨んでいるのは,彼らが彼ら以外決して知ることができない快感を知っているからである.どんなにお金を払ってもそれを手に入れることはできない.数十年の研鑽と,天賦のみがそれを可能とする.



私しか知ることができないものはあるだろうか.たぶんある.それゆえに,この2年が勝負である.