ようやく念願の研究専念期間に突入することができた(とはいえ週末のアルバイトは続くわけだが).ここ数年は自分自身の環境の変化が大きく,適応することだけに神経が集中してしまっている.この5月からも母屋となる呼吸器外科ではなく,別の教室で実験をすることになった.実験室も間借りと,なにかにつけて不便である.それでも将来のことを考えると仕方がないことと思われる.

 いまのボスは外科医をやめ,研究で身を立てている人だ.この生き方も一つの理想型である.いまの医療を巡る環境で医師をやり続けるのは極めてリスキーなことである.正確に言うとリスクに見合う対価がない.

 医療は崩壊するだろうか.その答えはイエスともノーとも言える.日本から病院や医師がいなくなると言うことはあるまい.その意味では崩壊はない.しかし社会的誤解と判例によって「前提」とされているような医療は,ごく一部の運のいいケースを除き,どこにも存在しなくなるだろう.

 先日石巻にあるとある病院で当直をしていた.夜の10時30分だ.ある子供の母親から問い合わせがあった.4歳になる子供が「耳が痛い」といって泣いていると.おそらく急性中耳炎だろう.「耳鼻科でも小児科でもないため,専門的な診療は出来ませんがそれでもかまわなければどうぞ」とお答えしたところ,では他をあたるとのことであった.この夜中に,東北地方で,耳鼻科医が見つかるとでも思っているのだろうか.おそらく方々に電話をかけまくって途方に暮れているだろう.

 厚生労働省・財務省の杜撰さというのは,見ていてなかなかおもしろい物がある.桝添大臣はがんばっているようなので応援しよう.それにしてもこれから国民医療費が上がることはあるまい.さすればアクセスを制限するしかないだろう.それによって訴訟リスクを相対的に逓減させ,あるいは医療者の希少性を相対的に上げる.研修医を始め我々若い医師は,息をひそめてこのトランスフォーメーションが完成するのを待つのがよいだろう.あわてて動かずとも,世の中が変わっていく.それは不可避だ.

 先程の子供は,あるいは仙台までいって耳鼻科医を探すかもしれない.あるいはあきらめて夜間診療センターで内科医にかかるかもしれない.あるいはもっと諦めて翌朝受診するかもしれない.こういう事態を医療崩壊というのであれば,それはそれで良いことかもしれない.この三つの予後にたいした差はない.問題はこれを医療崩壊ととらえる認識である.



 イタリアに行って思ったことがある.彼らの多くには,生き甲斐がありそうだということだ.おいしい物をつくる・食べる・酒をつくる・酒を飲む・美しい町を残す・美しい町にくらす・観光客からぼったくる・家族を愛する,なんでもいい.彼の国では生き甲斐(あるいは生きる意志)を見つけないととても寂しいだろう.だれもかまってくれない.無視するわけではない.やりたいことをはっきり伝えると,彼らは非常に親切に対応してくれる.

 別に彼らのDNAがそうなっているわけではないだろう.そうではなく,彼らは生まれた瞬間から意志を明確にすることをたたき込まれているのだろう.そしてリスクと得られるメリットをつねに意識しているはずだ.それゆえ彼の国のサッカーはディフェンス中心となる.

 ヴェネツィアに行ってきた.物価は異常に高く,とんでもなく不便で,そして信じられないくらい美しい街だった.恰幅のいい地元の紳士・ご婦人がたくさんいた.おそらく全てのコストを払って,ヴェネツィアに暮らしているのだろう.彼の地で心筋梗塞になったら,おそらく助かるまい.救急搬送もままならないだろう.しかし彼らはおそらく,それで全然かまわないと思ってヴェニスに住んでいるのだ.あの美しい島に暮らす,それ以上の贅沢がいったいどこにあるのだろう.

 もちろん日本人から見て,とんでもないイタリア人というのは数多い.



 後期高齢者医療制度に批判が爆発している.これまでどおり誤解に充ち満ちた応酬が繰り広げられているため,まともな結論には達しない.

 おもしろい話がある.世代別で見た場合,高齢者の医療費が相対的に大きくなるのは否定できない.有病率が高いからだ.しかし長生きした人ほど,生涯にかかった医療費は少ない傾向がある(佐々木英忠 東北大学前老年呼吸器内科教授).大病にかからなかったからだ.逆に50代60代で病気にかかるということは,たいてい心臓血管領域や脳血管領域,そして癌であるためにものすごい医療費がかかる.

 実際に闘病生活を経験すればわかると思うが(わかりたくもないでしょうけど),働き盛りの闘病はかなり壮絶だ.われわれも手加減はしない.しかしそれでも思いとどかず亡くなる方が少なくない.一家の大黒柱を失うという衝撃は,にわかに受け入れがたいものだ.それゆえこの領域のサポートに手加減を加えるのは断じて許されない.

 もう2つおもしろい話しがある.「統計上,日本の金融資産は約1500兆円だが,その56%は60歳以上の高齢者が保有している.さらに4千万円以上の金融資産を持つ「資産富裕層」が全世帯の約8%を占め,その70%以上が60歳以上となっている.逆に30~40代は住宅費,教育費が重いワーキングプア.資産より負債が多い世帯ばかりだ.富裕高齢層に資産が偏りすぎて,子育て世代にはお金が回ってこない.」(田辺和夫 中央三井トラストホールディングス社長).

 一方諸外国では,年金の有無は別として働き始めてから老後のために資産形成をするのは常識であり,基本的に金融資産は退職前後をピークに,死亡時に向けてどんどん取り崩されている.またアンケートでも,「資産は基本的に使い切る」という解答がヨーロッパ人を中心に多い.資産を残すという解答でも,基本的に法定相続人に相続させると決めている人が殆どだ.逆に日本人の資産は死亡時がピークとなっている.年金を貯蓄するとはいったいどういうことなのだろう.そしてその残った資産をどうするか,だれに相続させるか,ほとんどの人が決めていない.

 冥土にお金を持って行けるわけでもなく,ここまで資産を引っ張る理由は何か.ようするに相続財産を人質にして,最後まで介護等で面倒を見てくれるように人参をぶら下げているのである.なんというセコイ考え方だろう.そしてここまで日本の親子関係は崩壊しているのである(どこの雑誌の特集記事だか忘れました,日経●○だったと思う).

 実際の所,日本で崩壊しているのは医療ではない.もっと深刻なものが崩壊している.



 いずれにしても,生き甲斐がない場合,お金はどう使っていいかわからない.そしてやりたいことがあれば,老後というのはそれほど長い時間ではないし,病院に時間とお金を使うなんてくだらないことはできないはずだ.


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