イタリアという国についてすこし書きたいと思ったりもしたが,書くとなれば対象も多いのでとりあえず後回しにしようと思う.

 ローマ日付の4月16日午後9時から,クリスティアン・ツィマーマンのライブがあった.前のエントリーで宿泊施設の目の前と勘違いした書き込みをしたが,実はst. cecilia音楽院の公会堂が別個郊外にあって,そこでのリサイタルであった.あやうく当日気づき,タクシーで駆け込んだのである.もちろんタクシーはぼられた....

 とにかくイタリア人はしゃべりまくる.開演前は大井戸端会議が広げられており,それがまず圧巻であった.もちろん満席.いつになったら終わるのだろうと眺めていると,急に何回か会場の照明が落とされ,それが開始の合図であるらしく席に着き始めた(もちろんおしゃべりは続いていた).記念にプログラムを購入してみたが,イタリア語のみ.わからん.

 アナウンスが始まるとようやくおしゃべりがとまった.イタリア語だがなんとなくプログラムが変更になったらしいことが分かる.

 そしてついにツィマーマンの登場(意外とちっちゃく小太り).ようやくお目にかかれました,異国の地で.やる気満々でイスにつくと,プログラム通りバッハのパルティータNo2を弾き始めた.この曲は序奏からはじまり,緩やかなコントラプンクトゥスの第2部を経て,急速な3声フーガへ至る構成を取っている.序奏は和声的進行であり,演奏者はなんの迷いもなくペダルを使用.3声フーガでは一切ペダルを踏まず,圧倒的な速力で激走した.もはやピリオド楽器とモダン楽器の間にある不毛な論争はさすがに終息したが,それでも言い訳がましいバッハ演奏があふれるなか,この自信に満ちたモダン演奏はそれだけ鮮烈である.

 とても冷静には聞けなかった.聴衆の集中力も半端ではない.見事な空間構成である.作家の村上春樹が,イタリア人のライブにおける拍手のタイミングがすばらしいと言っていたが,まさにその通り.最後の音を弾ききり,残響が吸収される直前に待ち切れんばかりの拍手が始まる.オペラもそうであったが,まさに歌舞伎のタイミングである.

 続いて2曲目はベートーベンの32番.最後のピアノソナタである.29番のハンマークラヴィーア(実際には28番以降のソナタは「ハンマークラヴィーア」なのだが....)で一旦頂点を極めたかに見えたベートーベンのピアノソナタであるが,その先に深奥なる世界が拡がっていたというのが誠に美しい.これこそが天才の所行である.特に32番の第2楽章(この曲には二つの楽章しかない)の変奏曲,主題をとことん刻み込み息もつけないほどの長いパッセージをつくっている.第3変奏を聞いて「ジャズの起源ここにあり!」という人もいるが,かわいそうなので放っておこう.第3変奏が起源なら,第2変奏こそ起源だ.ちなみにそれを言ったら劇音楽のレチタティーヴォはブルースの起源である.

 前半終了だが,はやくもクライマックス.休憩にもかかわらずなりやまない拍手に,「ちょっと落ち着いて」とジェスチャーをかまし退場.

 後半はブラームスの作品119およびシマノフスキが予定されていたが,これがショパンの3番のソナタに変更になった.

 ピアノソナタ第3番である.ショパン唯一と言っていい「まともな」ピアノソナタであり,ショパンのほとばしるイマジネーションと古典様式が見事に調和した(これは彼にしては珍しいことである)傑作だ.これをツィマーマンの演奏で聞けたという幸運に,涙が出た.この曲はあまりにも難しく,特に3楽章で間延びし,終楽章ではほとんどの演奏家がコケている.ウイリアム・カペルによる完璧な演奏をもっているが,はじめてこれと同等以上の演奏をしかもライブで聞くことができた.終楽章の圧巻の走りは,聞いていてそのまま立ち上がりそうであった.

 全プログラム終了.スタンディングオベーションどころではない,おそらく予定されていなかったアンコールを引きずり出し(これは当初プログラムされていたブラームス作品119の第1曲),それでもあきたらずステージ下まで集合しての大拍手であった.なんてすばらしいオーディエンスだろう.みなさん,ほんとうにすばらしい演奏ならステージまで駆け上がっていいのです.

 ●

 「これはこういう音楽だ」という確信が,感動をもたらすのだと知った.
ショパン/ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11