たとえば今世紀の鍵を握るのがプーチンだとしよう.彼は最近,自らがエリツィンに指名されたときと同様,国際政治界では無名の男を首相に指名した.プーチンは大統領の任期を満了した後,ロシア首相に下り,また5年後に大統領となることを公然とたくらんでいる.おそらく実現するだろう.ならば我々はアメリカとの手を切り,プーチンを新たな盟主と仰ぐべきなのか.





 例えば朝鮮半島では爆風が巻き起ころうとしている.半島人を毛嫌いする島国の人は多い.ならば彼らを征服すればよいのだろうか.彼らをおとしめれば気の済む問題なのだろうか.ドルが暴落して,為替シェアでユーロに抜かれた.北京政府が大量に保有するアメリカ国債を少しずつかつ大胆に放出している.アメリカは住宅バブルの崩壊とかさむ戦費で火の車とされる.アメリカの没落は間近だと,911戦争が始まってからずっと言われている.そういえば北朝鮮の崩壊も間近だと15年くらい前から言われていたような気がする.



 ならば我々はアメリカと手を切り,ドルを売り払えばよいのか.あるいは半島に肉弾戦を挑むべきなのか.それも丸腰で.



 我々は貧乏になったという.東京の物価はニューヨークの1/3で,ロンドンに至っては1/4である.ロンドンでは地下鉄の初乗りが1000円だ.反対にバンコクのマクドナルドは東京よりすこし安い程度である.東京株式市場の時価総額は史上最高になったという.また上場企業の利益も過去最高になったという.しかしそれは所詮円ベースである.



 また我々は戦後の全てを食い尽くそうとしている,そう嘆く節も多い.



 しかし私は思う.日本はずっと貧乏であった.たとえば1990年以降が失われた10年だとして,我々は1988年に戻りたいというのであろうか.1万円札はたくさんあったろう.しかし買うものは何もなかった.だからアメリカのビルやハリウッドやゴッホの贋作を買ってみた.その金はどこへ行ったのであろう?



 基の持ち主のところへいった.それだけである.買うべきものは実はあった.それは知識であったり,感性であったりした.それらを買った人たちもいた.そういう人たちは,日本のくだらない政策とは無縁のところへ行こうとしている.誰もそれを止めることは出来ない.状況の奴隷になることを可能な限り避けようとする姿勢がそうさせるのだ.



 世界中が何かでいがみ合っている.全ての国で,ねじれ現象が起きている.なんと無意味なことだろうか.他人のことに煩わせられて過ごすことほど無駄なことはない.我々の前には知るべき知識,感じるべき快楽,味わうべき芸術にあふれている.それをみすみす見逃して,他人の快楽や犯罪や嘘や妄想に付き合うのはやめにするべきなのだ.それは貧乏以外の何物でもない.



 我々はただの命である.それゆえ生きるしかない.しかし不完全なる我々に託された使命はただ,世界を知ることのみである.