変奏曲というジャンルがある.あまり大きなジャンルではないが,数々の傑作が生まれている分野だ.基本的にはある旋律をもとに,同じ和声進行で(もちろんはずすこともある),原型をいろいろなパターン(音型)に変化させる.バロック以前のポリフォニー(対旋律音楽)では,あきらかにそれと分かる「歌う旋律」というものが発展していなかったために,変奏曲の基盤となる旋律はバスであることが多い.シャコンヌやパッサカリアという形態もそれに当たる.

変奏曲には文学性はない.完全に作曲技術の精緻であるが故に,それぞれの作曲家がその職人的創意を存分に発揮している.はっきりいっておもしろい.

基本的には以下のようなパターンで作曲される.

序奏(あったりなかったりする)

主題(テーマ)

第1変奏

第2変奏

第○変奏



主題(もどったり戻らなかったり)

コーダ(フーガだったりする)

変奏の数は基本的に多い.12変奏でも少ない方だろう.24とか30とか36が多い.これだけの数の変奏を聴かせるためには,かなりの技量が必要だ(もちろん演奏も).変奏曲というジャンルに対する作曲家のスタンスも様々で,「三度の飯より変奏曲!」(ベートーヴェン・ブラームス),「食材(テーマ)・料理(ヴァリエーション)どちらも提供します」(モーツァルト),「この世に変奏曲は私の一曲で充分!」(バッハ),「この俺を食え!(パガニーニ)」,「私意外と作曲も上手いんです(ラフマニノフ)」,といった感じで要するにヴィルトゥオーゾの系譜もあれば,「少々たしなみます」(ショパン・シューマン・メンデルスゾーン),「なんですかそれ?」(ベルリオーズ・ワーグナー)というような人たちもいる.

変奏曲に入れ込むためには,魅力的なテーマが必要だ.このジャンルには古くから作曲家を魅了してやまない2つのテーマがある.1つは「フォリア」と呼ばれるイベリア半島生まれの三拍子の舞曲だ.「キチガイじみた」ないし「狂気の」という意味のあるフォリアであるが,やや曖昧ではっきりしないメロディーと,明確なバスで構成されたテーマだ.優雅なヴェールで包まれたテーマであるが,やはりその中には狂気とも呼べるなにかが潜んでいるのだろう.テーマとなるバスはドミナントで終わるので本当に永遠に続くような曲を書くことができる.

古くから有名なのはアルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)のラ・フォリア(ヴァイオリンソナタ第12番)である.これが余りにも有名なために,フォリアはコレッリのものと勘違いされることがあった.たしかにこの曲によって17世紀のイタリアでフォリアのテーマが爆発的なヒットとなったらしい.ヴィヴァルディやアレッサンドロ・スカルラッティ(ドメニコの父)もこのテーマで変奏曲を書いている.

ドビュッシー, ルクー, シューベルト, クライスラー, タルティーニ, コレルリ, ビタリ, ヴェラチーニ, パガニーニ, グリュミオー(アルテュール)
グリュミオーの芸術
高い(6000円).ただ高いだけのことはある.もはや絶滅したとされるいわゆる「フランコ・ベルギー派」の最後の巨匠である.現代のヴァイオリン業界はどういうわけだか源流にたどるとすべて旧ソ連圏のしかも中央アジアに行き着いてしまうような状況である.今では業界の一大勢力であるジュリアード音楽院もイツァークパールマン・五嶋みどり・サラチャン→ドロシー・ディレイ→イワン・ガラミアン(イラン生まれだがまもなくモスクワ)となり,あるいはマキシムヴェンゲーロフ・梶本大進・庄司沙也香→ザハール・ブロン(カザフスタン出身)だとか,ギドン・クレーメル→ダヴィッ・ドオイストラフ(ウクライナ出身)だったり,ヴィクトリア・ムローヴァ→レオニード・コーガン→ティボー(あれ?フランコ・ベルギー派)というわけで最後はご愛敬.

かつての本流,フランス・ベルギーのヴァイオリンの音を現在ライヴで聴くことは出来ない.それゆえ,貴重な録音である.ヴァイオリン奏者を語るとき,どうしてもノスタルジックになってしまう.これは良くないことだ.ただ現代において失われてしまったものも確かにあるのだ.

このシリーズのアルバムの中では,ユンディ・リのものにフォリアの変奏曲がある.
ユンディ・リ, シューマン, スカルラッティ, モーツァルト
ユンディ・リ・イン・ウィーン
最後の曲,スペイン狂詩曲が変奏曲であり,これはフォリアとホタ・アラゴネーゼ(アラゴン地方のホタ)の二つがテーマになっている.アラゴネーゼについてはビゼーのカルメンでも取り上げられている.強烈にドラマチックな変奏曲で,あのバルトークがリスト音楽院の卒業演奏会にこの曲を選び,なんと8回もアンコールがあったという逸話がある.それにしてもこのアルバムの選曲センスはすばらしい.

またギター界でもこのフォリアはよく取り上げられている.ジュリアーニやデ・フォッサ,またメキシコロマン派民族派の巨匠マヌエル・ポンセはこの変奏曲で30分近い大曲を書いている.このポンセのフォリアはかなりすさまじい曲だ.挑戦するギタリストは少ない.録音も非常に限られている.

 
山下和仁, アセンシオ, ヴィニャス, ポンセ
内なる想い

マラン・マレのものはもともと弦楽器を想定してかかれたものであるが,旋律楽器であれば何でもいいという作曲者自身の断り書きもあって現在はフルートで演奏される機会も多い.実演に接したこともあるが,非常な超絶技巧を駆使したもので大変感銘を受けた.いずれにせよ,録音は少ない.

現在では作曲家も演奏家も取り上げることの少ないフォリアであるが,何世紀もの音楽家を引きつけた魅力というものはいまだ消えていない.



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