バロックについて書いたとき,偶然にも1685年という年に偉大な才能が3人も生まれたという話をした.この点で,1810年付近も偉大な作曲家を量産した年代といえる.ベートーヴェンは絶頂期の40代を迎えており,その師ハイドンは1809年に亡くなる.ある意味非常にロマンチックな人生を送ったハイドンの魂が,まるで生まれ変わるようにロマン派の巨匠に受け継がれたように見える.時代とは何とも意味深な符合を見せるものだ.

 ハイドンの孫たち,すなわち
 エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)
 フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
 ロベルト・シューマン(1810-1856)
 フレデリック・ショパン(1810-1849)
 フランツ・リスト(1811-1886)
 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)

 この(ドイツ)ロマン派の黄金時代を築いた彼らは,それぞれ強烈な個性をもって時代に臨んだ.しかし彼らに通底する共通点とは,文学に対する非常な傾倒である.この時代,もちろん大衆の要請もあってのことだが,音楽と文学は分かちがたく結びついていた.多くの音楽家が自ら詩を書き,劇作をし,絵画をたしなんだ.リストなどは絵画の腕前もなかなかのものだったらしい.そしてロマン派の作家たちは,音楽・絵画・詩作の領域を問わずお互いを刺激し合い,ロマンチック・ムーブメントを盛り上げていったのである.

 ロマン派とは自意識の爆発であるからしてそのような傾向になってしまうのは致し方ない.フランス革命後・人権宣言後という時代がそれを強く要請していたという事情も大きい.フランス革命を描いたドラクロワ(1798-1863)もこのロマンチック・ムーヴメントを代表する画家であり,音楽界にも様々な影響を与えた.さんざん指摘しているが,ロマン派とは音楽が民主化していく過程なのである.もはや音楽界には神父も牧師も王も皇帝も侯爵も必要とされなくなった.必要とされたのは偶像・アイドルのみである.



 前回は文学と分かちがたく結びついた音楽という視点でこの時代を眺めてみた.今回は素の音楽としてロマン派を見た場合,なにが達成されたのかをみてみたい.そのために先に挙げた前期ロマン派の群像から,二人の偉大なピアニストをあげる.フレデリック・ショパンとフランツ・リスト.お互いともに知己であった間柄である.リストはショパンの死後に彼の伝記を書いている.

 ともにシューマンの友人であり,その熱狂的な支援を受けた二人である.ショパンをさして「諸君,帽子を取り給え,彼は天才である」と言ったのはシューマンである.一方リストはシューマンとの作品のやりとりで,ピアノ作曲史上最もスキャンダラスな作品を生み出した.

 この時代,18世紀に勃興したピアノ・フォルテはほぼ現在の形に近いアクション,ひいては音量と精度を達成しつつあった.楽器の女王ピアノが名実ともに王位へ即位したのである.それゆえ前期ロマン派の音楽家シューマン・ショパン・リスト・ブラームス,あるいはメンデルスゾーンやシューベルトもピアノ曲における傑作を数多く生み出している.19世紀前半はピアニズムの時代であり,このとき西洋音楽史における最高のピアニズムが完成し,現在に至っている.これに比肩するものは存在しても,これを超えるものは技術上存在し得ないまでの高みに達したのである.

 ピアノという打楽器(発音原理から考えると,ピアノは打楽器である)がもつ特性とは何か.それは完全な12平均律で調律されていると言うことである.バーンスタインの項でも述べたが,12平均律とはオクターブを完全に12等分した調律であり,その主要三和音(トニカ・ドミナント・サブドミナント)はすべて(純正律と比べ)濁っている.これは「転調」を容易にするために生み出された至高の妥協であることも述べた.これによって音楽は,意外な転調の驚きと,より曖昧な調性による美を手に入れることが出来たのである.

 この曖昧な調性,半音階的和声進行の妙をとことん追求したのがフレデリック・ショパンである.ショパンの楽譜を見たことがあるなら分かると思うが,彼の曲における臨時記号の多さは特筆すべきものだ.音符の数はそれほど多くないにもかかわらず,非常に暗譜しにくい.転調と言うよりは調性をぼかしているのだ.バッハの無調的フーガとはひと味違う,和声における曖昧さである.しかしこれはあくまで曖昧な調性であり,決して無調ではない.調性音楽における「極限」なのだ.

 彼の音楽は,同時代の作曲家とくらべて文学からの汚染度が少ない.彼自身は作家であるジョルジュ・サンド(リストとも付き合っていた)と長年の同棲生活を送っていたのであるが,むしろそのことが文学への極端な依存を避けた要因になっているかもしれない.彼は詩に曲をつけたり,作品にあからさまな標題をつけることはしなかった.彼の作品につく愛称(「別れの曲」やら「黒鍵」やら「蝶々」やら「滝」)などといったものは,すべて後世の人あるいは出版業者がつけたものである.

 ショパンはその生涯においてほとんどピアノ曲しか作らなかったわけであるが,そのピアノへの入れ込みようは半端じゃない.実のところ,彼が到達し得たピアニズムというのは,この現代においても完全に言語化したメソッドとして復元できていないのである.彼の弟子たちはショパンのピアニズムの神髄をほとんど後世に伝えられなかった.シマノフスキの血筋でショパン直系を自認するスタニスラフ・ブーニンなど勘違いも甚だしい.

 本当に激烈なレッスンだったようである.ショパンは鍵盤へのタッチの仕方からヴィヴラートのかけ方(ピアノもヴィヴラートがかけられるのである!)に加えて,何十種類ものペダリングを指定してきた(彼が指定した何十種類ものペダリングというものがいったいどのようなものであったのか,現代においてもある程度しか解明されていない).レッスンを終えて部屋からでてきた弟子たちは,一様に目を赤く腫らし,うちひしがれていたらしい.

 そんなピアノの鬼,ショパンがたどり着いたニルヴァーナが以下の作品である.
ポリーニ(マウリチオ), ショパン
ショパン:12の練習曲
 このブログでも何度か取り上げている至高のアルバムだ.レコード音楽史上最高のアルバムをあげよと言われたら,私はためらいなくこれをあげる.たとえば雑誌でそういう企画をやったとしても,かならず上位に入ってくるであろう,そこまでの普遍性を持っている.これはショパンコンクール満場一致最年少優勝を達成した後10余年の沈黙をへてデビューした2作目であり,デビュー作とあわせて音楽界へ巨大隕石落下のような衝撃波をあたえた.

 技術的メソッドの確立により,この練習曲集をひきこなすピアニストは確かに量産されたが,出版当時は「演奏不可能」といわれ(この当時はリストの作品も含め演奏不可能という評価の曲は数多あったわけであるが),戦前は「まともに弾けるピアニストなどいない(作品25-6)」と言われたり,とにかく本当に,本当に難しく美しい曲ばかりである.

 作品10のほうはなんと23歳の作曲である.おそらく多くのかたが同意してくれると思うが,やはり作品25とあわせて全部で24曲ある中で,一番最初の曲が最高ではないかと思う.このアルバムではその辺のこともやはり考えてか,ファーストトラックの最初の2秒強が無音である.この無音がもたらす緊張感と,最初のハ長調アルペジオの爆発.ほかのトラックを聴くまでもない,マウリッツィオ・ポリーニはこのアルバムの最初の数秒で,人類最高のピアニストという名声を不動の物にした.



 さてこのショパン練習曲集を捧げられたのは,ひとつ年下のフランツ・リストである.リストもその圧倒的な技巧により初見演奏・即興演奏を得意としており,たとえばメンデルスゾーンやガブリエル・フォーレのピアノ曲を初見で完璧にひきこなして作曲家を驚嘆させるということを何度かやっていた.しかしショパンのエチュード作品10だけは初見でひきこなせず,この事実にショックを受けたリストは突如パリから行方をくらまし,数週間後にもどってくるやショパンの目の前でこれを完璧に弾ききったという.これにショパンがまたびっくりしてこの曲を捧げたという逸話である.

 この二人はお互いを認め合う仲で友人としてのつきあいも長かったのだが,一方でピアノに対するアプローチ・本人の性格から私生活に至まで,なにかと対照的な二人でもあった.いうなれば短調・長調,あるいはデュオニュソス的・アポロ的といったものである.ニーチェが言っているように,アポロ的というのはやけっぱちな明るさでもあり,ショパンは生涯調性を保ったが,リストはそれを崩していったという対比にも現れてくる.

 またリストがやったことと言えば,現在のリサイタル形式のコンサートである.それまでの独奏楽器はサロン的な形式で演奏会が行われていたのだが,人をホールに集めてただピアノ曲を聴かせるということをやったのは彼が初めてだとされる.またもう一つ,現代ピアニストの怨念ともなっているのが「暗譜」によるリサイタルである.もともと暗譜とはクララ・シューマンがやっていて流行したとされるが,彼は自らのヴィルトゥオジティーを誇示するためにも暗譜でリサイタルに臨んだ.そしてこの習慣は現在までのこっている.

 リストといえばやはりパガニーニの編曲である「カンパネッラ」や「愛の夢」などが有名で人気も高く,ひたすらこのようなロマンチックな曲を書き続けたと思われがちである.しかし彼は本格的な作曲においては非常に独創性を意識したものを作ろうと試み,それに成功した作曲家なのだ.当時の作曲家のなかでは非常に先駆的な人であったのは間違いなく,その後期作品においては旋法的な無調,増3度(悪魔の3度)を使用するなどメシアンやドビュッシーの萌芽が認められる.

 その辺のリストの先駆性をまとめたアルバムが下のものである.
ポリーニ(マウリチオ), リスト
リスト:Pソナタ
 これはリスト唯一のピアノ「ソナタ」なのであるが,ソナタとはとてもいえない異様な構成を取っている.少なくとも古典的なソナタではない.一応4つのセグメントに分かれているとされるが,その間に休止はなく,すべてが連続して演奏される.少数(数には諸説ある)の主題が全曲を通していろいろな形で再現されており(再現の方法にも諸説あり),古典的な意味でどこが再現部であり,どこが展開部であるかも議論が尽きない.

ところでソナタとはなんぞやということである.私も「ソナタ」と「ソナタ形式」を混同して使っているので申し訳ないのだが,この二つはまったく違うものを表している.「ソナタ」とは言ってみれば楽器の演奏形態であり,独奏かあるいは伴奏付独奏楽器のための器楽曲,といった程度の意味である.「ソナタ形式」とは楽式であり,曲の構成を指す.たとえば交響曲をソナタとはいわないが,ベートーヴェンの「英雄」はソナタ形式である,といったところか.

 そのソナタ形式というのが比較的定まった作曲手法である.だいたい主題(メロディーといってもいい)が2つ示される.第1主題は当然主調.第2主題はその5度上の属調(主調が短調の場合は平行調),展開部ではそれが崩され変奏がおこる.ここが作曲家の腕の見せ所.そしてまた再現部において主題が戻って落ち着く.最後はコーダで締めくくることが多い.

 現代の歌謡曲だってまあこんなものである.最初に歌詞がわかりやすいような(歌いやすいような)「主題(のようなもの」が提示され,それが展開され(ブリッジ),最後は盛り上がって(サビ)おわり.

 要するに「わかりやすさ」のための形式なのである.今のようにレコードのない世の中においては,ある曲はだいたい一回聴いて終わりである.それでも分かってもらうためには,ある程度「次はこうなる」という前提が必要になってくる.そういった決まり事があれば,その枠内での技術というものを楽しめるし,あるいはその枠をあえて破るという楽しみも生まれる.

 たとえば前項であげたモーツァルトピアノソナタ第10番(ユンディ・リ盤)を聴いてみよう.第1楽章はまさに典型的なソナタ形式である.まず第1主題がハ長調(ド)で始まる.ハ長調の属調はト長調(ソ)だから第2主題はト長調になるのだが,そのまえにいきなり転調せずに属調へ自然に,あるいは意外性を持たせる形で転調するための移行部と呼ばれる部分がある.モーツァルトはこれが得意で,いきおい主題が3つくらいあるように聞こえる.この第10番では属調の属調(ドッペルドミナント)であるニ長調までいった移行部を経てト長調へいたる.

 音楽的にはそのまま次に行ってもいいのかもしれないが,それはやはりお客様のため.お聞き漏らした方のためにたいてい主題はもう一回演奏する(繰り返し記号).このへんがクラシック音楽を「冗長に」感じさせる原因でもあるのだが,それは仕方のないこと.しかし展開部はだいたい一回だけ.展開部の一回性がまたその意外性を際だたせるのである.冗長性のかけらもない.モーツァルトはここで壮絶な半音階進行をやってのけ,再び主題に戻る.装飾音は増えているが,比較的おだやかな再現部.第2主題が主調のまま演奏されるのはお約束.そして穏やかな短いコーダで終了.

 これがソナタ形式である.

 さてリストのロ短調ソナタなのであるが,これはシューマンの幻想曲を送られことに対してシューマンに献呈した曲である.同じように形式が自由な「幻想曲」として送り返せば問題にならなかったものを「ソナタ」とつけたものだから「このどこがソナタなんじゃい!!」とものすごい物議を醸したわけである.あるテーマがその曲を通じて何回も出てくるというのはベルリオーズやシューベルトが先駆けであるが,こういったロマン派的手法を古典に融合させようという試みらしい.

 「同じ主題が姿を変えて何回も出てくる」という手法は最終的にワーグナーのライトモチーフへ至るわけであるが,これは「自分」そのものである.曲は人生,モチーフは自分.時代の流れの中,自分がどのように運命にあがらい,あるいは乗り越え,はたまた受容するのか.まさにロマンティックな手法である.どうでもいいことだが,リストはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の公演を聴いた直後に心筋梗塞で亡くなった(このときすでにワーグナーは死んでいるわけだが).

 ピアニストとして注目されるリストではあるが,彼は作曲においてもかなり野心的な音楽家であった.この古典楽曲史上最大のスキャンダルとなったロ短調ソナタを始め,後期においては旋法的な無調音楽にたどり着いており,実際「無調のバガデル」という曲をセットで書いている.もちろんセリエルではない.この上のアルバムにおさめられている曲「R.W. ヴェネチア」「暗い雲」「凶運!」「悲しみのゴンドラ」などはワーグナーの死を契機にかかれているものだが,きわめて実験的な作品であり,明確に「調性がないこと」を目標にかかれている.

 このあたり,ショパンとリストの違いがある.ショパン自身もかなりクロマティックな作曲をしたし,ほとんど調性を決定できないマズルカも書いている.しかし彼の曲における調性は極端ではあるが曖昧なだけであって,かならず何かは暗示されている.その点,晩年のリストは調性自体を拒否しようとした.

 もちろん調性のない音楽の可能性を検討したのはリストが初めてではない.バッハの半音階的幻想曲とフーガはかなり先鋭的だし,モーツァルトもシンフォニー40番で驚くべき手法をとっている.シンフォニー40番はト短調だが,この第4楽章の展開部はこの主音Gを「除いた」11音全てで構成されている.セリエルの一歩手前だ(この辺はバーンスタインの講義に詳しい).しかしいずれにしても曲全体において調性を拒否しようとする姿勢は見られない.

 バッハもモーツァルトもショパンもリストも非常に鍵盤音楽を得意としたわけであるが,鍵盤楽器は(結論は出ていないが)かなり前から平均律という調律がなされており,12半音が均等な重みを持っていたわけである.それだけ半音階進行へたどり着くのは容易であり,12半音の共産主義化に最も近付きやすいのである.

 このようにして半音階主義から無調への目覚めが見て取れるわけであるが,当然この動きは後の世に次なるベートーヴェンを目指して絶望的な戦いを始めたシェーンベルクに引き継がれるのである. 



 かなり難しめの曲であったが,もうちょっとあまっとろい,彼ららしい音楽も紹介しよう.

カツァリス(シプリアン), ショパン
ショパン:バラード集&スケルツォ集
ツィマーマン(クリスティアン), ショパン
ショパン:バラード.幻想曲
 ショパン全盛期にかかれた超名曲である.もしあなたが今恋をしているなら,まちがいなくハマル.カツァリスはいわゆる体育会系ピアニズム,ツィマーマンは超濃厚スープである.

ボレット(ホルヘ), リスト
リスト:巡礼の年
 しばらく聴いていないのでまた聴きたくなった.ご婦人にもてまくっていたリストがその不倫旅行中に作曲した愛の歌である.ゴミのような作品と比べて大変失礼だが,いわゆる「失楽園(もちろんジョン・ミルトンのものではない)」である.ちなみに不倫の愛で生まれた娘コジマは,自身も不倫の愛を経てワーグナーの妻になっている.



 さて作曲においても演奏においても,その超絶技巧の極致に突入した.20世紀にかけてこの奔流はいよいよ激しさを増し,熾烈な内部抗争を経た後,ほぼ完全なる自滅を遂げるのである.


人気blogランキングへ
ranking transにほんブログ村 クラシックブログへ