私が音楽を学問として認識した瞬間について書いてみようと思った。
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一昨年の秋くらいに初めてDVDプレーヤーを買った。しかし本当の意味でのプレーヤーではなくて、MDミニコンポにDVD再生もついたというもの、ONKYO製である。基本的にはCDがメインです。型番はFR55だったか。
このコンポで初めて再生したのがこれ。 ●
これは現代最高のチェリスト・指揮者・ピアニストであるムスティスラフ・ロストロポーヴィッチがそのチェロ人生のほとんどすべてをかけて記録した映像作品である。かなり前に録音されたものであるが、フランスのとある教会を選び、6つの組曲すべてに奏者自身の解説が入っている。
傑作である。音楽をする人すべてに価値のあるディスクだ。
この映像の存在自体は、実は中学生の時に知っていた。まだ実家にBSが入って間もない頃、「ロストロポーヴィッチ、バッハを弾く」とかそのようなタイトルで、この映像すべてが何時間かぶっ通しで放映されていたのである。おそらく夏休みであったと思われた。うちには留守番の私一人しかいない。
ロストロポーヴィッチ自身はピアノも達者に弾き、歌手である奥さんの伴奏もこなしている。この解説は、彼自身のピアノによりデモンストレーションがなされていて、この「左手付きチェロ組曲」がものすごく鮮烈な印象だった。もともと組曲1番のプレリュードは有名で知っていたのだが、それを伴奏付きでやる。
和声進行を「息をすって、頂点に達し、はいていく」という表現に置き換える。平均律クラヴィーアのプレリュードに置き換えてみたり、ショパンの即興曲に置き換えてみたり、変幻自在である。
あるいは3番プレリュードの有名なアルペジオの部分、ト音がペダル音としてほとんど最後まで解決せずに居残って演奏者を追いつめるという解釈。虫ピンに止められて激しくもがくけど決して抜け出すことができない、彼はそう言ってペダル音の効果を最大限に演じた。
音楽はこういうことなのか、と私は初めて思った。それまでの私は音楽がほとんど偶然に支配されていると思っていた。でも本当は、偶然が関与する部分はほとんど無い。そんな悟りを啓いた中学生の夏休みであった。
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一昨年の秋くらいに初めてDVDプレーヤーを買った。しかし本当の意味でのプレーヤーではなくて、MDミニコンポにDVD再生もついたというもの、ONKYO製である。基本的にはCDがメインです。型番はFR55だったか。
このコンポで初めて再生したのがこれ。 ●
これは現代最高のチェリスト・指揮者・ピアニストであるムスティスラフ・ロストロポーヴィッチがそのチェロ人生のほとんどすべてをかけて記録した映像作品である。かなり前に録音されたものであるが、フランスのとある教会を選び、6つの組曲すべてに奏者自身の解説が入っている。
傑作である。音楽をする人すべてに価値のあるディスクだ。
この映像の存在自体は、実は中学生の時に知っていた。まだ実家にBSが入って間もない頃、「ロストロポーヴィッチ、バッハを弾く」とかそのようなタイトルで、この映像すべてが何時間かぶっ通しで放映されていたのである。おそらく夏休みであったと思われた。うちには留守番の私一人しかいない。
ロストロポーヴィッチ自身はピアノも達者に弾き、歌手である奥さんの伴奏もこなしている。この解説は、彼自身のピアノによりデモンストレーションがなされていて、この「左手付きチェロ組曲」がものすごく鮮烈な印象だった。もともと組曲1番のプレリュードは有名で知っていたのだが、それを伴奏付きでやる。
和声進行を「息をすって、頂点に達し、はいていく」という表現に置き換える。平均律クラヴィーアのプレリュードに置き換えてみたり、ショパンの即興曲に置き換えてみたり、変幻自在である。
あるいは3番プレリュードの有名なアルペジオの部分、ト音がペダル音としてほとんど最後まで解決せずに居残って演奏者を追いつめるという解釈。虫ピンに止められて激しくもがくけど決して抜け出すことができない、彼はそう言ってペダル音の効果を最大限に演じた。
音楽はこういうことなのか、と私は初めて思った。それまでの私は音楽がほとんど偶然に支配されていると思っていた。でも本当は、偶然が関与する部分はほとんど無い。そんな悟りを啓いた中学生の夏休みであった。