1980年代の半ば頃、日本にジワジワきていた様々なジャンルのインディーズシーンが大きなマグマとなりお互いに隣の畑を飲み込んでゆく
ヘヴィメタルがロックンロールを、ブルースがハードロックを、サイケデリックがソウルを、パンクがグラムを、どっちがどっちを征服したとかそうゆう話ではなく、お互いを補食し合って新たなジャンルが次々に産まれていったのだ。
アメリカの西海岸エリアで雨後のタケノコのようにバンドがボコボコ出現していた「LAメタル」とゆうムーブメントはいつの間にかヘアメタルやらバッドボーイズロック等と妙な呼称に変化しつつも直に日本へ上陸する
バッドボーイズロック・・・・
何のこっちゃ?的な呼び名だが、日本の場合は本場のロスとは違いイギリス発の退廃的なグラムロックの要素も加わりバッドボーイズとゆうよりもオカマロックの様相を呈していった・・・・
オレはめちゃハマったね
渋谷や新宿辺りでひっそりと盛り上がるバッドボーイズロックムーブメントは、横浜で高校生だったオレに届く由もないのだが世の不思議、届くんだなぁコレが・・・・
遊びにバイトに勉強以外のコトはたいがい頑張っていた?オレが、当時幾つかやっていたアルバイトのひとつに運送屋の助手があった
ナゼだかバンドマンがわんさか働いていた会社で、その中にHysteric Glamourとゆうバンドのメンバーがいた。後にカブキロックスとしてお茶の間を賑やかすのだが、この頃はまだそんな予兆はなかったね・・・・
バンドなどテメェの夢なぞになりようもなく、趣味でギターを爪弾く程度だった高校生の頃のオレだが、この数年後ヒスグラのメンバーだった人のバンドに加入するコトになる
海外のバンドシーンをちょこっと知ってる程度のオレに善良な先輩達が色んな日本のバンドを教えてくれた・・・・
ホールのバイトで入っていたフレンチレストランでは厨房の料理人がUNITEDやらCASBAHやらのスラッシュメタルバンドを、運送屋にいたバンドマン達が「オレの
ライブを観に来い」と強引に誘ってくるので横浜辺りのライブハウスに足を運んで、数年後に日本全土に訪れるバンドブームの夜明け前的な活動をしてるインディーズバンドを、とにかくドコか別世界だったロックシーンが一気にオレのそばに寄ってきたのだった
色んなバンドにちょいちょい影響を受けたオレだが、何かで見かけたこのフライヤーが強烈だった
ほどなくリリースされたミニアルバム。どアタマのEastside WestsideはモトリーでいえばLive Wireみたいな存在。オレとZIGGYの出会いでもあったのです
勢いにのるバンドがファーストアルバムもリリースしたのも1987年だが、10月の横浜7th Avenueのマンスリー・・・・
オレはZIGGYのライブに初めて行ったワケです
更にイベント屋でバイトしていた関係で、毎年大晦日に全国各地で開催されていたこのカウントダウンイベントに仕切りで駆り出されていたのだが、幕張メッセで開催されたバンドスタンドがオレにとっては最後に観たZIGGYとなるのだ・・・・
そんなZIGGYのライブに27年ぶりに足を運んだ
18歳のBonesは48歳のオッサンになり、ZIGGYは森重さん以外のメンバーはすっかり入れ代わってしまっている。
紆余曲折あっての30周年だろうが、ZIGGYに憧れたオレ少年は何の因果か?30周年ライブのレビューを書くとゆう大役を仰せつかっての観戦・・・・
ちなみにオレはプロの物書きじゃないけんね
会場入り前にセットリストを渡されるが、こんだけの曲分書くのか?
どアタマ2曲は新曲なので知る由もないが、その後に展開されたヒストリーオブZIGGY的なチューンの嵐に、27年ぶりに観るオレは一気に過去へとタイムスリップしちまったぜ
去年までの2年間、同じイベントに出演していたドラマーのChargeeeeeが今回のZIGGYに参加している。あちこちで引っ張りダコの人気ドラマーだが、ZIGGYのツアーで更に成長したようで楽しいドラムを聴かせてくれた
次々とテメェのステージを手に入れてゆくChargeeeee、彼が頑張ってるからこそなのだが何かパワーもらうね
そんなChargeeeee達と今月末に一緒にやります、オレ
若い頃から音楽に関しては雑食だったオレだが、やっぱバーディーロックチューンがイチバン楽しいね
本編ラストチューンはあの曲
Gloriaで青春を過ごした日本人がどれだけいるだろうか?ZIGGYとゆうバンドを知らないヤツは山ほどいるだろうが、この曲を知らん40歳代はほぼいないだろう・・・・
アンコールセッションのラスト3曲は涙モノのセレクトで、曲にまつわる様々な思い出が甦る
ZIGGYを語る上でどうやっても避けて通れないのがG.D.FLICKERS。何せブレイクした時の森重さん以外のメンバーは全員元G.D.FLICKERSなのだったワケで・・・・
この日唯一のバラードで、しかも初期の曲でもある6月はRainy Bluesのプレイ中にたまたまG.D.FLICKERSのJoeさんからメッセージが舞い込む
かつてはライバルであり盟友でもあったであろうZIGGYとG.D.FLICKERSだが、オレにとっては両方のバンドからかなりの影響を受けたのだ
あの頃の横浜はアツかったんやな・・・・
デビュー前のZIGGYに在籍していた佐藤ノブさんが率いてたNOBSも思い出深いバンド・・・・
オレがZIGGYにハマっていたのはやはりこの頃。
イチバン好きなのはこのアルバム
オレが好きだったThe Dogs Damourのパロディーみたいなジャケがベストカヴァー
1990年代に入りバンドは活動休止やらメンバーチェンジを繰り返し、勢いも失っていく。ほどなくバンド名も変えなければならない事態になり、追っかけようにも状況がややこしくなりたまにリリースされるアルバムをチェックするぐらいにしかZIGGYのコトは知らなかった・・・・
21世紀に入ると更にメンバーが色んな活動に手を出すようになり、もうどのバンドがメインなのか分からなくなるが、音楽で食ってくタメにはキレイごとや理想だけではどうにもならん・・・・
27年ぶりとゆう状況も手伝ったのだろうが、久しぶりに観たZIGGY(とゆうよりも森重さん)は「やっぱりオレにはこれしかない」とゆう潔さを感じた
30年で3回、まぁファンとゆうには程遠いライブ観戦の数だが、それでもオレにとっちゃ何か気になる存在。
これからもZIGGYを気にしながら生きていこう
ヘヴィメタルがロックンロールを、ブルースがハードロックを、サイケデリックがソウルを、パンクがグラムを、どっちがどっちを征服したとかそうゆう話ではなく、お互いを補食し合って新たなジャンルが次々に産まれていったのだ。
アメリカの西海岸エリアで雨後のタケノコのようにバンドがボコボコ出現していた「LAメタル」とゆうムーブメントはいつの間にかヘアメタルやらバッドボーイズロック等と妙な呼称に変化しつつも直に日本へ上陸する
バッドボーイズロック・・・・
何のこっちゃ?的な呼び名だが、日本の場合は本場のロスとは違いイギリス発の退廃的なグラムロックの要素も加わりバッドボーイズとゆうよりもオカマロックの様相を呈していった・・・・
オレはめちゃハマったね
渋谷や新宿辺りでひっそりと盛り上がるバッドボーイズロックムーブメントは、横浜で高校生だったオレに届く由もないのだが世の不思議、届くんだなぁコレが・・・・
遊びにバイトに勉強以外のコトはたいがい頑張っていた?オレが、当時幾つかやっていたアルバイトのひとつに運送屋の助手があった
ナゼだかバンドマンがわんさか働いていた会社で、その中にHysteric Glamourとゆうバンドのメンバーがいた。後にカブキロックスとしてお茶の間を賑やかすのだが、この頃はまだそんな予兆はなかったね・・・・
バンドなどテメェの夢なぞになりようもなく、趣味でギターを爪弾く程度だった高校生の頃のオレだが、この数年後ヒスグラのメンバーだった人のバンドに加入するコトになる
海外のバンドシーンをちょこっと知ってる程度のオレに善良な先輩達が色んな日本のバンドを教えてくれた・・・・
ホールのバイトで入っていたフレンチレストランでは厨房の料理人がUNITEDやらCASBAHやらのスラッシュメタルバンドを、運送屋にいたバンドマン達が「オレの
ライブを観に来い」と強引に誘ってくるので横浜辺りのライブハウスに足を運んで、数年後に日本全土に訪れるバンドブームの夜明け前的な活動をしてるインディーズバンドを、とにかくドコか別世界だったロックシーンが一気にオレのそばに寄ってきたのだった
色んなバンドにちょいちょい影響を受けたオレだが、何かで見かけたこのフライヤーが強烈だった
ほどなくリリースされたミニアルバム。どアタマのEastside WestsideはモトリーでいえばLive Wireみたいな存在。オレとZIGGYの出会いでもあったのです
勢いにのるバンドがファーストアルバムもリリースしたのも1987年だが、10月の横浜7th Avenueのマンスリー・・・・
オレはZIGGYのライブに初めて行ったワケです
更にイベント屋でバイトしていた関係で、毎年大晦日に全国各地で開催されていたこのカウントダウンイベントに仕切りで駆り出されていたのだが、幕張メッセで開催されたバンドスタンドがオレにとっては最後に観たZIGGYとなるのだ・・・・
そんなZIGGYのライブに27年ぶりに足を運んだ
18歳のBonesは48歳のオッサンになり、ZIGGYは森重さん以外のメンバーはすっかり入れ代わってしまっている。
紆余曲折あっての30周年だろうが、ZIGGYに憧れたオレ少年は何の因果か?30周年ライブのレビューを書くとゆう大役を仰せつかっての観戦・・・・
ちなみにオレはプロの物書きじゃないけんね
会場入り前にセットリストを渡されるが、こんだけの曲分書くのか?
どアタマ2曲は新曲なので知る由もないが、その後に展開されたヒストリーオブZIGGY的なチューンの嵐に、27年ぶりに観るオレは一気に過去へとタイムスリップしちまったぜ
去年までの2年間、同じイベントに出演していたドラマーのChargeeeeeが今回のZIGGYに参加している。あちこちで引っ張りダコの人気ドラマーだが、ZIGGYのツアーで更に成長したようで楽しいドラムを聴かせてくれた
次々とテメェのステージを手に入れてゆくChargeeeee、彼が頑張ってるからこそなのだが何かパワーもらうね
そんなChargeeeee達と今月末に一緒にやります、オレ
若い頃から音楽に関しては雑食だったオレだが、やっぱバーディーロックチューンがイチバン楽しいね
本編ラストチューンはあの曲
Gloriaで青春を過ごした日本人がどれだけいるだろうか?ZIGGYとゆうバンドを知らないヤツは山ほどいるだろうが、この曲を知らん40歳代はほぼいないだろう・・・・
アンコールセッションのラスト3曲は涙モノのセレクトで、曲にまつわる様々な思い出が甦る
ZIGGYを語る上でどうやっても避けて通れないのがG.D.FLICKERS。何せブレイクした時の森重さん以外のメンバーは全員元G.D.FLICKERSなのだったワケで・・・・
この日唯一のバラードで、しかも初期の曲でもある6月はRainy Bluesのプレイ中にたまたまG.D.FLICKERSのJoeさんからメッセージが舞い込む
かつてはライバルであり盟友でもあったであろうZIGGYとG.D.FLICKERSだが、オレにとっては両方のバンドからかなりの影響を受けたのだ
あの頃の横浜はアツかったんやな・・・・
デビュー前のZIGGYに在籍していた佐藤ノブさんが率いてたNOBSも思い出深いバンド・・・・
オレがZIGGYにハマっていたのはやはりこの頃。
イチバン好きなのはこのアルバム
オレが好きだったThe Dogs Damourのパロディーみたいなジャケがベストカヴァー
1990年代に入りバンドは活動休止やらメンバーチェンジを繰り返し、勢いも失っていく。ほどなくバンド名も変えなければならない事態になり、追っかけようにも状況がややこしくなりたまにリリースされるアルバムをチェックするぐらいにしかZIGGYのコトは知らなかった・・・・
21世紀に入ると更にメンバーが色んな活動に手を出すようになり、もうどのバンドがメインなのか分からなくなるが、音楽で食ってくタメにはキレイごとや理想だけではどうにもならん・・・・
27年ぶりとゆう状況も手伝ったのだろうが、久しぶりに観たZIGGY(とゆうよりも森重さん)は「やっぱりオレにはこれしかない」とゆう潔さを感じた
30年で3回、まぁファンとゆうには程遠いライブ観戦の数だが、それでもオレにとっちゃ何か気になる存在。
これからもZIGGYを気にしながら生きていこう