現在、義務教育で行われている「道徳」という科目は、安倍内閣の下で復活したもので、「愛国教育」的色彩が強い。
以下は、官邸のサイトにある「道徳教育について(文部科学省 初等中等教育局)」の冒頭にある「基本的な考え方」である。
" 学校における道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行う
ものであり,道徳の時間はもとより,各教科,外国語活動,総合的な学習の時間及び特
別活動のそれぞれの特質に応じて,児童の発達の段階を考慮して,適切な指導を行わ
なければならない。
道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,
人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭,学校,その他社会における具体
的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた
我が国と郷土を愛し,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主
的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全
に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳
性を養うことを目標とする。"
おそらく、実際の道徳の授業は上からの一方的な言い聞かせ(説教)で、子供達の心に響かない「ダルイ授業」になってしまっているのではないだろうか?
本ブログでは、9/7に以下の記事をUPした。↓
ここで紹介した「ルールメイカー育成プロジェクト」にも関わっている苫野氏が、探求型授業により「道徳科で市民教育を実践する方法」を提唱している。↓
<抜粋>
" 道徳とは、ある時代やある共同体に限定された「習俗の価値」です。日本の道徳科の教科書には「こういう場合はこうするものだ」といった、世界的に見たら通用しないハイコンテクストなモラル、つまり習俗の価値がたくさん示されています。
しかし、今の社会は多様な人々で構成されており、家庭環境や文化的背景もさまざま。その中で特定のモラルを教えれば、異なる価値観を持つ者同士で対立が生まれます。だから、学校で道徳教育をやるべきではないのです。
代わりに道徳科でやるべきことは、「市民教育」です。「どんなモラルの持ち主であろうと、それが他者の自由を侵害しない限り、承認し合う(=自由の相互承認)」という根本ルールを教えるのです。まずはお互いを認め合い、自分たちで社会をつくることができる児童・生徒を育む。そのために道徳科を活用していくべきだと考えています。
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――道徳科で市民教育を実践する方法として、「哲学対話」「学校・ルールをつくり合う道徳教育」「プロジェクトとしての道徳教育」の3本柱を提案されています。
「哲学対話」は、異なる他者との間に「共通了解」を見いだす力を育みます。近年、道徳科の授業に取り入れる教員も少しずつ出てきました。
市民社会の一員になるに当たっての経験として、「学校・ルールをつくり合う道徳教育」も提案しています。これも現在、いい流れがあります。私は今、子どもたちが学校のルールを見直す「ルールメイカー育成プロジェクト」(※)に関わっていますが、オンラインで異なる学校の生徒同士が活発な対話を行っており、急速に盛り上がりを見せているのです。
子どもたちによる校則の見直しは全国に広がっており、すごく可能性を感じています。現状では生徒会活動の一環で行われることが多いですが、道徳科の授業と絡めて校則を考えていくことはできると思っています。
「プロジェクトとしての道徳教育」は、自分なりの問いを立て、自分なりの答えにたどり着く「探究型の学び」に取り組もうというもの。例えば、安楽死や差別問題などの社会課題を個人あるいはチームで考え、発表し、議論し、探究力を育んでいくことが大切だと考えています。
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探究に大きく舵を切った学校がある一方、まったく取り組んでいない学校もあり二極化しています。また、探究を核にした教科横断型のカリキュラム編成は、学年や学校全体のコンセンサスがないとできません。カリキュラムの編成権は校長にあるので、校長のリーダーシップが重要になります。
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哲学対話は広がりつつあります。私のゼミの卒業生ですが、まだ3年目ながらプロジェクトやルールづくりを盛り込んだ道徳科の授業に取り組む小学校の先生などもいます。
一方で、教科書を使う授業も変えたいですし、教科書そのものも抜本的に変える必要があるでしょう。例えば、哲学対話やプロジェクトを盛り込み、憲法や民主主義の本質などもしっかり教えるようにするべきではと思っています。
今、「憲法は国民から国家権力へあてたもの」だということを知らない若者があまりにも多い。憲法や民主主義は、人類の英知です。つい最近まで人種や宗教が違う人間は殺して当然という時代でしたが、この2~3世紀の間に精神の大革命が起こり、私たちは今、かつてに比べれば信じられないような時代に生きています。
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中学3年生くらいなら、「多様で異質な人たちが共に生きるとはどういうことか」ということまで考えてほしいですね。この問いから「人類は1万年かけて自由の相互承認にたどり着いたがどう思うか」「今、世界的に民主主義の危機が指摘されているが、君たちはどうするか」など、かなり高度な探究や「考えて議論する道徳」ができるでしょう。当然、いくつもの内容項目もクリアできるはずです。
この流れで憲法も扱うのです。国家権力が非常に恐ろしいことも歴史が物語っていますが、私たちの権利や自由を守るためにその国家権力を縛るものが憲法。憲法の精神は、国民1人ひとりがしっかり守って生かしていかなければいけない。日本はそういった国民主権の大切さや市民社会の担い手である意識を教育してこなかったと思うし、日本のいろいろな問題はここに集約されている気がします。
憲法と民主主義の本質を子どもの心に突き刺さるように教材化し、それを基に議論する道徳科はつくれると思います。
――今の教育現場に伝えたいことはありますか。
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例えば、残業や土日出勤の問題は校長に言うべきだし、自分たちもタイムマネジメントについて考えるべきことがたくさんあるはず。国や行政が形式的にできる整備には限界があり、最後は現場なのです。ネット上で匿名だと威勢がいいのに、当事者として声を上げない点は大きな問題ではないでしょうか。
自由や多様性の相互承認の感度を育むのが学校なので、原理的にも先生はもっと自由でいい。意見も服装も髪型も自分らしく表現すればいいのです。そのためには、対話の文化が必要です。安心して気軽にものが言えて助け合える職場をつくれば、学校は活性化して授業もいろいろなチャレンジができます。そうでないと空気を読み自縄自縛に陥ってしまう。管理職や教育委員会は先生たちの自由を守り、過度な指示は控えてしっかり支え、対話の文化をつくること。そんな現場に変わっていってほしいと思います。"
<抜粋終わり>
これからの社会の担い手を育てる「市民教育」として「道徳」という科目を位置づけ、それを「対話型探求授業」で行う「考えて議論する道徳」というのは、まさに一石二鳥の素晴らしいアイデアだと思います。
さらに、最後の部分では、それを担う校長、教員、教育委員会といった教育現場の在り方にまで言及しています。
これは、安倍内閣が目指したトップダウンの愛国教育とは正反対のボトムアップの市民教育であり、これぞ民主国家のあるべき教育の姿だと思います。

