盛夏 2度目の参拝、靖国神社へ。
ゆとり教育世代が 既に若人と呼びづらいほど
時間も経ってきた。
生きるって何?
まなぶって何?
1回目の参拝から 考えていた。
訓練浅い学徒までもが駆り出された 昭和の戦争。
それこそ 武士道とは死ぬことだと 学んだか、すがったか。
親を思い 残された者を 生かすため 死にに飛ぶ心境。
自分だったらまだ良いいだろう。
しかし 自分の愛する人が飛ぶなら 取り乱さずにいられようか。
否、居られるはずもない。
学もならず 志半ばで 飛んでいった大戦期の若人達。
ちぎれんばかりに歯を食いしばって・・・
責めをうけるべき 悪い人なんて 誰も居ない。
人類の歴史は即ち 弱肉強食から 始まり成り立っているのだから。
大航海時代から 富国強兵こそが 正義と位置づけられていたのだから。
ただ、人間は学んだ。
学もならずに 懸命に短く生きた かの若人達から学んだはずだ。
命を 一生懸命燃やし尽くすことの意義を。
自分よりも 愛する人々の命が遙かに重いと言うことを。
それは老若男女 肌の色を超えて 人類共通だと言うことを。
特攻兵の残した手紙。
出征直前の 震えのない筆圧が 見て取れた。
尊過ぎる 若人達から学ばなければ、何を持って学を成すと言えようか。
くぐった鳥居の 参道を戻らず、アスファルトの道路を歩けば
ハイブリッド車が往来する。
零戦のレシプロエンジンからは 形を変えつつある。
遠く将来 かの若人達に胸を張りたい。
私たちは 学ぶ事をあきらめませんでした、と。
次の参拝はしない心境に やっとたどり着けた。