エネルギー創造企業への奮闘記タムラトモキ -16ページ目

エネルギー創造企業への奮闘記タムラトモキ

【エネルギー創造企業へ】
というビジョンを掲げ、スタッフと共にお客様に選んで頂けるよう日々改善と最善を繰り返し、地域になくてはならない企業、そして人を育てるため毎日奮闘しております。

源天のオープニングから働いてくれている【よも】とサシノミ。

弟のようで、熱く、素直で、聡明。

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唯一の生き残りスタッフ。

この世界で偉いのは、金持ってる奴でも、ケンカ強い奴でもない!
土日祝日シフトに入れる奴!
バイトリーダーです!

社員にタメ口は使わない、謙虚で粋な男。

そんな男は高学歴大学を卒業し、原発関係に就職!!(◎_◎;)

まずは東海村で研修らしい。

今日は泣かない。

あたし!泣かない!

寂し過ぎる!!!

さ~み~し~ぃ~(T_T)

よも!
頑張れ!

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iPhoneからの投稿
野木駅から徒歩一分。

ホームから東に向くと見えます。
このマークが目印。
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仕上げにはまだまだ。
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今日は電気屋さんの昌英さんが。

そして連日、塗装工のとしおちゃんが。

もうすぐです。



iPhoneからの投稿
心ニの五歳の誕生日。

去年は、菓子パンに非常用のロウソクを、ぶっ刺してお祝いをしました。

朝五時に起きて県北の真田ジャパン様に伺ったので朝は会えませんでしたが、手紙を書きました。
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眠い目を擦りながら書いていたのですが、昨日かみさんに『漢字とカタカナは普通書かないでしょ~』と言われちゃいました。

で、夕方帰ったら俺の机に返事が。
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東京ドームシティ?

いや~苦手な注文が来ましたね~(笑)

あのツルっパゲの心ニももう五歳。

今では、DSとiPhoneをママより使いこなし、ラブレターまでもらってくる子になりました。

優しい子に、そしてたくましい子に!
ありがとね!
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iPhoneからの投稿
ちょうど一年前。

忘れることが出来ない。

東北地方太平洋沖地震・・・

ここ栃木県下野市でも、
立っていられないほどの揺れで、
隣の家の佐藤さんのおばちゃんとその孫と隣の公園へ避難した。

ちょうど着替えに自宅に戻り、
腹痛で便所で力んでいる時に・・・
揺れを感じ、どんな状態だったかわかりませんが、
必死に外に出たのは覚えています。

天変地異か!と言いたくなるぐらい地面は横に揺れ、
隣の野球場のナイターは、折れるんじゃないか!ってぐらいしなり、
子供たちの悲鳴と、自分の足の震えを今でも覚えています。

家族は大丈夫だろうか?
社員アルバイトのみんなは?
その家族は?

震源は?

仙台の青木さん、ぽんちょのお父さん、相馬市のY君、仙台のI君、みんな大丈夫か?

店であるだけの食料は、出し、茨城の石井さんの所へ食料を運んだりしました。

あの日を境に、日本が大きく変わっていきました。

それは見た目的な目に見えるものも変わったが、価値観も大きく変わっていったと思う。

大切なものは何か!という事を再確認できたのではないでしょうか?

支援に行くのも躊躇いました。

妊婦でつわり地獄のかみさんを置いて何日も行く事はどうかなぁ~と思ったが、「どうせ行くんだから、もっと困ってる人たちのために早く行ってきな~」と軽く背中を押してくれた奥さんには感謝です。

3/20に石巻、大船渡、陸前高田など全国から集まった支援物資を届けさせて頂き、数多くの現実を見て感じてきました。

正直、行くことは躊躇しましたが、行って初めてわかることも多々あり、現実今でも南三陸町の皆様と繋がりが持て、出来る等身大の支援をさせていただいてる。

よしきさんやゆみちゃん、ひでなど泊浜n皆さんとの新しい人の繋がりもでき、僕の人生を太くしてくれています。

まだ行方不明の方々が3155人。

江頭2:50さんの行動にも感動したなぁ~。


2:46

祈ろう。

そしてもう一度再確認しよう。

大事なものは何か。

今の日本の未来は暗いニュースばかりだが、この時代を乗り越えたのなら、世界を引っ張っていく国になるでしょう。


御陰様で本気家 源天三周年を迎えることが出来ました。

$一隅を照らす奮闘記タムラトモキ


ご来店くださるお客様、そして無理難題を言っても快く支えてくれた業者様、スタッフの根性と愛情が今日という日を迎える力になっています。

8時を過ぎると真っ暗なこの街でお店を続けていくことが出来るだろうか・・・
不安に怯える日々をちょっとの勇気で無理矢理抑え込んでいる毎日でした。

当初、友人の飲食関係者には、10人中10人この場所は止めた方がいいと言われ、ある有名人には「上手くいったら僕の名前出して、上手くいかなかったら僕の名前は出さないで・・・」と言われました。

当時はいくら愛を持って言ってくれたとしても悔しかったです。

しかし、今思えば、飲食業はそんなに甘くない!という彼なりの鞭だったと思います。
感謝してます。

なんの商売でも甘くないのは重々承知でした。

しかし、今までと土俵も戦い方も違う異業種は、経営者の僕をかなり成長させてくれました。

以前、ワタミの社長が「居酒屋を経営できれば、どんな職業だって経営できる!ワタミはほかの業種にも参入してるが、居酒屋が、飲食業が一番難しい!」と言っていたのを思い出す。

気合いでどうこうなるものではなく、オープンから半年は地獄のような日々が続き、店を閉めるか・・・まで考えた。

アルバイトスタッフがドンドン辞めていき、お客様の足も遠のき、希望の光が消えかかった時に、大将と俺をいつも支えてくれたのは、豊と柴山だった。

本当に心から感謝をしている。

振り返るとあっという間だが、豊も柴山も有り得ないほど成長している。

俺の無茶ブリ、大将の無茶ブリ、曖昧な答えを言わせないように時には冷たく、導いてきた。

いや、彼らがほとんど創っていってくれた。

一杯500円、粗利数百円の小さい利益の積み重ねで我々は業を営んでいる。

だからそこに感謝と飲食人としての心意気がなくてはいけない。

色々なことがありすぎて、ウルウルしてしまうが、毎日がスタート。

価値を高めていき、いつも本質を見失わず、原理原則を中心に歩んでいきます。

誰かが言っていたが
感動は人を変える。
笑いは人を潤す。
夢は人を豊かにする。


本当ですね。

今月の給料袋にある記事の内容を書いたが、
「あたらしいことを進めるときに担保として「過剰な保証」を要求することで、みえないことや答えのないことに取り組むのが下手なのは、個人レベルでも自分で答えをつくる作業に慣れてないからだ。
日本は正解をえらぶ教育から答えをつくる教育にシフトしないと、世界でおきているゲームに参加できない。

まさに創造性を発揮していくそんな集団へ。

いざ!

http://ow.ly/9xOdk