百人一首や短歌には、若い頃は別段興味もなかったのですが、桂枝雀さんの落語「崇徳院」があまりにも面白かったため、77番のこの歌を覚えてしまいました。

 

    瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 

        われても末に 逢はむとぞ思ふ

                               崇徳院

 

 歌の意味は次の通りです。

 

 

 落語のあらすじは以下のような感じです。

 

 商家の若旦那が高津神社(大阪の高津宮)にお参りし、.茶店で休んでいるときに水もしたたるような美しい娘と出会います。若旦那は、娘に一目ぼれをします。娘が茶店を出るとき、袱紗(ふくさ)を落としたので、若旦那が急いで拾い、追いかけて届けます。娘は料紙(和紙)に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と、上の句だけ書いて若旦那に渡して去って行きます。若旦那は、下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、相思相愛であることを理解します。

 

 帰宅後、娘がどこの誰かわからないので会うことが叶わず、若旦那は食欲と体力を失い、命に関わる重病になってしまいます。

 医者に息子の死の宣告をされた親旦那は、

 「褒美をうんと渡すから、3日以内にその娘を何としてでも捜し出してほしい。」

と熊五郎(落語の主人公)に懇願します。

 

 熊五郎は、はじめの2日間をあてもなく町をめぐり無駄に過ごします。熊五郎の妻はあきれ、 

 「人の多く集まる風呂屋や床屋で『瀬をはやみー』と叫んで反応を見なはれ。娘を探し出せんかったら、実家へ帰らせてもらいますさかい。」

とはっぱをかけます。

 熊五郎は町中の風呂屋や床屋に飛び込んでは「瀬をはやみー」と叫びますが、結局、有力な手がかりが得られないまま日暮れを迎えます。

 

 そして、最後に入った床屋で、娘側の使いの者と出会います。良家の娘も若旦那同様に恋煩いになっていて、親が津々浦々に何人もの使いをに出していたわけです。

 

 「瀬をはやみ」という手掛かりだけで、面白おかしくストーリーが展開し、ハッピーエンドを迎えるという楽しい落語です。みなさんも桂枝雀さんの落語を是非ごらんください。