ちってちって
旦那の故郷の方言です。
気持ちはまさにその通り・・・・・
かろうじて、日々を暮しているという感じです。
思い出話です。
病院に通い始めた頃、私の母が入退院繰り返し
「一応落ち着いているので、退院になりますが、覚悟はしていてください」
最後の数年母は施設にお願いしました
父は施設に入ったけど怪我をして入院ここまで(まだ父の事は書けません。昇華できてません)
最後は両親の介護はアニキが数年近くしてました。
そのアニキも限界がきたし、私も10年近く実家に通い介護して、夫婦も破壊寸前でした。
私は甘えていたのかもしれないけど、介護を大事にしてきました。
その間に夫婦の溝が生まれ、あらぬ方向へと行ってしまった。
責任は旦那ばかりではないと思って、母を見送った後、
本当に私の両親の介護・その後の葬儀・後始末
旦那がいなければ、私一人ではできなかった。
アニキ・姉ともそういう事には無縁だったから・・・・
「○○頼むね(アニキの事)」ついでに私も・・・・・・
旦那が最後に母にあった時に言った言葉・手を合わせて言ったんだよね
旦那も泣いてた・・・・・・・
今は遠い記憶になりました。
母という心の支えを無くした私は・・・・・・・それだけでいっぱいだった
体重が60キロ近くから20キロ近く落ちていた私・・・・・・・・・・
それさえも気づかない私・・・・・・・
やっぱり病んでいたんだね・・・・・・
そんなこんなもあったので、
すべて終えて、一度は本当に「あんたの好きにすれば、もう十分だよ」と本当に思ったんだけど、
世の中そうは行かない・・・・・・・・
有難い事に、今まで築き上げた年月・沢山の知人友人姉たちが助けてくれた。
その間には人の良い夫婦は〇〇人・〇〇でまじで心底苦しんだ事もあった。
旦那はそれもあって現実から逃げたかったんだろうな?
しかし、問題は私にもかぶってくる・・・・・・・・・
私は私ではけぐちを必死でさぐった。
どうにかしたけどね・・・・・・
ただし、25年目の節目という事でニュージランドに夫婦で初めての海外旅行に行った。
私が計画し、旅行前までは全部した。しかし、出発する時からは、お金他ついでに私も旦那におまかせした。
その時にもうお薬を服用している・体重が40キロ近くになった私は、記憶・体力両方なかった。
まざまざと一人では無理だと知らされた。
すぐ疲れるし、ホテルでも何回も迷子になった。
あまのじゃくな旦那は他の人には「楽しかった・・・面白かった」と言っていたらしい。
これも他人様から聞く話・・・・・・・私もそうだったけどね・・・・・
わたしの両親を見送ってから、夫婦で故郷に帰るようになった・・・・・・・
この頃を思い返してロマン風に
昔を思い出して涙・涙で懐かしく思ったんだけど
いつの間にか・・・・・・・
安心は禁物だね・・・・・・・
それより先に今生活する方が大事だよ
ぼちぼちより