先日、くるんさんで

伊豆旅行の写真の上映会がありました

カメラマンのМさんが撮ったもの


これは私が撮りました



息子くんも一緒に、五ヶ瀬町に来ていて
久しぶりの再会(^^)
(息子くんは、フリースクールに通っているので、学校へは連絡すればお休みは取れる状態)

お店にギリギリ到着(いつものこと)
既にフラのAさんは、スムージー頼んで談笑中
他の人は、まだとのことでした

皆が揃うまで、私もたこ焼き頼んで
同じ頃にやって来た、くるんさんのお母さんと談笑




Мさんは、記念写真を希望されている方へセッションしておりました

そして、Мさんが
年代物のカメラを持参しているので、後で観てほしいということで
上映会後
そのカメラをリーディングしました

Мさんが保管用のバッグから丁寧に取り出し
飴色の木箱型の、薄いアタッシュケースみたいな箱を開くと
蛇腹がついたレンズが立ち上がり
付属の留め具を下ろして、レンズが固定されていく

とても素晴らしいアンティークでありながら
ピカピカに手入れされている
新品かと思うほどの状態
現役だと言うのも、納得の逸品
ただ、もう修理できる職人さんが、日本国内にはいない、という現在

早速リーディング

とても情景は温かく
アメリカンドールハウスの様な、可愛らしい壁紙と木製の家具、壁には小さな写真が、いくつも飾られている
私はカメラの人物に招かれ
紅茶を用意したテーブルに着きます
その人は
どこにでも居るような、面長で鼻髭を蓄えた初老の男性
ニコニコと笑いかけながら
『あなたはどうしたい?自分の人生をどう生きるのかい?』
そう言いながら
写真を撮るような手つきで、写真というものについて語り始めました

人生が何気ない風景、動作、出来事が絡み合いながら流れていく中で
我々は
そのほんの一瞬を捉えるんだ
それは一瞬
だけれど
私達は、仔ウサギを抱くように、仔猫をあやすように
その一瞬を収めるんだ
(戦争で人々が切り込んでいく写真、農作物の収穫中の人の笑顔、家族写真、等がスライドしていく)

人々は、体験は覚えていても
その一瞬一瞬の事は、忘れてしまう
だけども
私達は、その一瞬を捉え、写真という「物」に変えて
先々の未来の人々に、伝えることができるのだよ
未来の人とも、共感や感動を伝えることができる

私の唯一の誇りだ

例え、私がその役目を終えたとしても
写真は残る
私に関わってくれた人達に、私は感動し、とてつもない感謝を持っている
後世に私の仕事が残るんだ

彼女(Мさん)が、私をあちこちに連れて行ってくれるなら、それは本望
どうか、私が動けなくなるその日まで
情景を求めて旅をしてほしいと願っている

故障の度に、今までたくさんの人々が部品を探し、技術を求めて奔走してくれた
私は皆の愛で今も生かされているのだよ
素晴らしい事だ
君にも分かっていただけたなら、こんなに嬉しく、素晴らしい事はないと感じる

私は皆の愛情で出来ているのだ


途中から
涙がこらえきれなくなってしまい
ティッシュを探し始めたら
Мさんまで泣き始め

コンネさんやAさんが「?何?あっちどうしたの?」と
どよめいてしまいました


コンネさんが隠し撮りw


言葉以上に

その温かい波動に、解説も詰まるほど

今までのオーナーさんたちが、どれ程そのカメラを大事にしてきたかが

意識を飛び越えて伝わってきました

カメラ自身も、それに報いたいと愛を持っている


いつもはセッションやリーディングで、泣くことは無いのですけど

あったとしても、そこは切り替えていたんです


この時は、すごかった



なんやかんや

盛り上がったり

近況が変わったりした人の話などで

その日は、くるんにお泊り


翌朝

インスタの個人垢に、たまたま眩しくて見ないままで

撮った

空の写真

彩雲が出ていたのはわかっていたものの

雲の形にビックリ!

これもカメラからのお礼でしょうか?


そのまま、一度自宅へ帰り

準備してから、お店へ


その日はポスト開けるの忘れており


翌日

お隣の方から「あなたのポストの部屋番号の札、私が手書きで作り直しておいたから」

と、言われて

お店のポストを開けると

ハガキが入っていました


多々戸浜のポストカード


コンネさんのお母様から

ペンションのリーディングの、お礼でした


こんな感動続きで、奇跡だと思う反面

リーディングが役に立って

私も生きてて良かったなぁ、と

沁み沁みと感じ入りました