続き。

『……………ほ………………….星………………..?....』

意識朦朧(もうろう)で横たわる若きドーザンの両眼に映っているものは、平成の御世も始まって7年目、西暦で言うと世界の終末説もまことしやかに語られた20世紀末近くである1995年の年始、米国カリフォルニア州ロサンゼルスからネヴァダ州ラスヴェガスへの途上、州間高速道路15号線の上空に広がる黒く広大な夜空である。
周りに建物の何も無い砂漠地帯の一本道なので瞬く星がよく見える。
“アメリカと言えば都会”、と先ずイメージする方の為にざっくりとラスヴェガスの説明をしよう。

まず、今(2016年)から524 年前である1492年(明応三年)。
日本では千年の都を焼け野原にした応仁の乱終息から15年経った室町時代末期であり戦国時代の直前、武田信玄の父・信虎が甲斐に生まれた年に、後にスペイン王国と名乗るアラゴン=カタルーニャ連合王国のイザベル一世女王に資金援助を受け、スペイン王室と契約を結んだクリストフォロ・コロンボこと、今はイタリア共和国の一地方であるジェノヴァ共和国に生まれたという英語名クリストファー・コロンブスが、サンタ・マリア号他三隻に共に乗り込んだ、まだ『地球は平面かも』と訝る(いぶかる)者も含むであろう百名前後の乗組員に、時に暴動を起こされつつインドを目指し、先住しているアラワク族系のルカヤン族が「グアナハニ島(Guanahani)」と呼ぶバハマの小島に苦労の末辿り着き、辿り着いた安堵と喜びを込めてスペイン語で「聖なる救世主」を意味する「サン・サルバドル、San Salvador」とその島に名付けてその後に始まる凄まじい入植活動の端緒を開いて以来、南中北米の地名の多くが入植者とその子孫達によって付けられたスペイン語である。
WIKIPEDIAによると、ロサンゼルスもラスヴェガスもコロンブス時代よりずっと後に街が建設されて名付けられているが、その意味は、

『ロサンゼルス(Los Angels)=天使達』

『ラスヴェガス(Las Vegas)=肥沃な草原』

である。

この二都市の間には広大なモハーヴェ砂漠(Mojave Desert)が広がっており、それらを結ぶモハーヴェ・フリーウェイとも呼ばれる州間高速道路15号線は、その4,5時間の道中ひたすら砂漠地帯を走る一本道であり、かなりの区間で周りにはな~~~んの建物もなくガードレールすらない、と言う多分日本には存在しない風景である。
砂漠と言ってもピラミッドの近くの、と言って想像される細かい砂のみの柔らく波打った様なそれではなく、平地で石がゴロゴロ転がった日本の空き地が何ヶ月か経って草木がテキトーに生えてる状態の巨大過ぎる版、みたいな感じの形容だと想像出来るだろうか。
今はとても便利なもんで、Google Mapのストリートビューでハッキリその光景が見れちゃうのでリンクを貼っておきます。興味ある方はどうぞ。


砂漠地帯やのに、どこが『肥沃な草原』やねん!

と思ったら、またWIKIによると、『ラスベガスは1820年代後半、ソルトレイクシティからカリフォルニアを目指すモルモン教徒によって発見された。ネバダ砂漠の中にあってこの付近は窪んだ地形となっており、オアシスとなっていた』そうな。

その後、1840年代後半からゴールドラッシュが有り、蒸気機関車の給水地として栄え、それが終わり、さらに1929年に株価大暴落から世界大恐慌も起こり、さしたる産業のないネバダ州は税収確保のため賭博を合法化させ、一定規模以上のカジノの建設は、客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可しない為、ドンドン巨大ホテルが建ち、更なる客寄せに地理的に近いLA からスターを呼んで豪華なショーを催したり、広大な敷地を使っての大きなコンベンション(集会、大会、見本市)を積極的に誘致した、という流れであるらしい。

と、いう歴史が創った、突如砂漠に現れたかの様な“世界一の歓楽地”である“眠らない街”ラスヴェガス。

そこに向かう車中に居たはずのドーザンは、なぜか路上だか砂漠だかに、たった1人、血まみれの顔を天に向けながら、上着は寒いサンフランシスコで買ったFILAのダウンジャケットなのに裸足の足を冬の真夜中に投げ出したまま横たわっている.....。

すると、断片的に切れかかる耳の意識に、なにやら『バラバラバラ.....!!!!!!』
と音が飛んできた。

その音がすぐ近くにまで辿り着き、音の方から数人が駆け寄ってきたかと思うと、そのうちの一人の手が『ジョキジョキジョキッ』っと、上から被るタイプで前にジッパーの無いドーザンの緑色のダウンジャケットをハサミで真っ二つにしてしまったかと思うと、クロスカラーズかベネトンだったかの紺のブカブカB-BOY風の長ズボンから、果てはLAの量販店で買ったシルクのトランクスまでズタズタに切り裂いて、それを丁寧かつ迅速にひっぺがし、感覚が麻痺して動けないドーザンを真冬の路上で丸裸の素っ裸にしてしまった!!!
ちなみにネヴァダ州のNEVADAもスペイン語で『雪に覆われた』と言う意味の形容詞である。
(寒いとこ、ってのが伝わるでしょ?泣)

『おいおいおいおい!なにすんねん!!!!』

と、思いつつもそんなにハッキリした意識があるわけでなかったドーザンを、その謎の部隊は、

慣れた早業で木の担架に乗せ.....!

四肢と頭をゴムでバシっと縛り付け~.....!!

だだだーっと、ヘリコプターに積み込み~~.....!!!

路上からふわり飛び立ちネヴァダ州の夜空へ舞い上がり~~~.....!!!!

いずれかを目指して暗闇の中を飛び去ってしまった~~~~~~~~~~.....!!!!!!



『バラバラバラバラバラバラバラバラァーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!』




続く。





今回は WIKI切り貼りの説明が長くてゴメンよ~!全部繋がってるから堪忍してな~~!
続きを望んでくれる人は、ブログの読者登録、コメント、ツイッターのリツイートなんかテキトーにお願いしますよ~~!

今回も合い言葉を作ることにします。
『Pelada en Nevada!!』
発音は、『ペラーダ エン ネヴァーダ !! 』
『ネヴァダで(女性が) 裸 !!』と言う意味のポルトガル語の文章です。
男性だと『Pelado en Nevada !! 』だけど、韻を踏む為に女性形にしました。
このへんの語学のこともブログで書いていきたいと思います。
ラスヴェガスはストリップもたくさんあるので良いでしょう。

ではチャオチャオチャオ~~!


PS
スペイン人が入植していた南中北米&カリブ諸島のアチコチがスペイン領になっていたが、その後各地は独立したり他国に奪われた。
メキシコも独立した一つだが、メキシコから更にテキサスが独立し、それをアメリカが併合し、その後メキシコと戦争して勝利して、更にカリフォルニア、ネバダ、ユタと、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを現金を払いつつもアメリカは手にしてしまった。
カリフォルニアのゴールドラッシュ、ラスヴェガスの賑わい、テキサスの石油、なんかがアメリカの手に無かったら全然違う世界になってたやろね。

PS2
今回、WIKIで見つけたコレらも面白かった。

コロンブスの死後、ドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーが手がけた地図には、南米大陸の「発見者」としてコロンブスではなく、アメリゴ・ヴェスプッチの名前が記されてしまった。この結果、ヨーロッパでは「新大陸」全域を指す言葉として「コロンビア」ではなく「アメリカ」が使われるようになった。

アメリゴ・ヴェスプッチはアメリカ州を探検したイタリアの探検家にして地理学者。フィレンツェ生まれ。1503年頃に論文『新世界』を発表する。
1499年から1502年にかけての南米探検で彼は南緯50度まで沿岸を下った。南米大陸がアジア最南端(マレー半島、北緯1度)とアフリカ最南端(南緯34度)の経度をはるかに南へ越えて続くため、それが既知の大陸のどれにも属さない「新大陸」であることに気づいた。ちなみに当時は北米と南米が繋がっていることは判明していないので、彼の『新世界』は南米大陸についてのみ論じている。