日本の教科書では満洲事変は一方的に日本が侵略したものだ!という記載がされています。ですから、謝罪しなければいけないという時代がありました。しかし、本当にそうなのでしょうか。この時代に、そういう意図があったのか?そこは細かく見ていく必要があります。さらに、満洲事変が起きた理由として、景気回復のためという理由付けがされています。これは完全に間違えです。今回ではお話しできませんが、満洲事変と世界大恐慌による、深刻なデフレ不況を脱却したの別の話です。それを一緒くたにすることは何か悪意を感じます。なぜならば、世界大恐慌の前からの日本の大不況からの追いうちのような不況は完全に政策のミスです。デフレの時にデフレを促進する政策をしたら、それはますますデフレになります。デフレの時はインフレ促進政策をしなければデフレは脱却はできません。事実、満洲事変後に、この政策をしたので、日本は世界大恐慌の中で一番早く、景気を回復させています。そこは教科書にはかかれないところが不思議なのです。ですから、景気回復と満洲事変はほぼ因果関係はありません。経済政策をちゃんとすれば、良いだけの話なのです。こういう悪意はGHQの指導の下、日本は悪者だという印象操作を教育で植え付けるという手法ですから、長い間、教科書を信じている人達はこの辺を誤解しています。実は、誤解している人達のほとんどが、満洲事変の時の日本の歴史を知りませんから、仕方がないことではあるのですが…まさか、教科書が印象操作をするとは?と思う人がいるかと思いますが、こと歴史の教科書にはそういうところがたくさんあります。専門外の教科書で習った知識だけで対応しようとする、学者や教授たちは日本の歴史は専門外なので、よく知らないどころか、間違えて覚えていることが多々あるので、誇らしげに話している姿をよく見かけますが、僕は笑ってしまいます。まあ、頭の良いと思われている人達でもその程度なのだなと思いますね。とはいえ、よくやり玉に挙げられる事件がこの満洲事変ですので、なるべく丁寧にお話していこうと僕は思います。

 

 満洲事変が起きる直前の日本の政治はどうだったかというと、政党政治が強すぎて、どんなに政府が失政をしてもそれが改まらないという民主主義の悪いところが出てしまっている時期でした。悪政を修正できない。これは多くの人の命を危険にさらす行為ですから、推奨や支持はできません。でも、そういう状況になっていました。ロンドン会議でのロンドン条約では外交的に日本の勝利でしたが、あまりにも政党政治が強すぎるために、誰も倒せない状況が赤裸々になりました。ので、当時の濱口首相には暗殺未遂事件が起きてしまいます。テロをするしかないということでしょう。ただ、憲政の常道により、濱口首相の後継は若槻礼次郎内閣になりますが、何も変わりません。で、経済は井上準之助が蔵省で、空前のデフレ不況に自ら追いやる政策をします。つまり、金本位制の導入です。これをどんなに批判されようとも、頑なに辞めません。井上準之助という御仁は自らの誤りを修正できない頑固な人物だったのです。今で言う、確証バイアスにかかっています。一種の病気です。こんな人物を辞めさせられないのも問題でした。問題はまだ続きます。外交です。幣原喜重郎という外相がどんなに日本人居留民が拉致、殺人、強盗、強姦という被害に遭っても、日中友好!を旗印に何もしないという外交でした。特に満洲地域では多くの朝鮮人(当時は日本の支配下にあり、日本人として認定されていた)が虐殺されていましたが、日中友好で何もしないという有様でした。これに不満を抱いていたのは関東軍でした。日本人が大量に拉致、虐殺されているのに、何もできないのか!何もやってはいけないのか、保護してはいけないのか!という思いがありました。日本国内では東北で身売りや餓死者が各地で起きる大不況。国外では日本人居留民が大量に虐殺されるというのに何もできない政府。こういう感じでしたから、情報だけは日本には入ってくるので、日本国民は政治に関して、政府に対して不満を持つようになっていくのです。

 

 では当時の中国はどうだったかというと、簡単にいえば、無法地帯です。一応、中華民国という国家らしいものはありましたが、全く機能していません。無法状態です。国際法を守る気などはさらさらないというルール無用の状態でした。どういうことが起きてたかというと、まず、1912年、中華民国が建国されます。国家承認したはずの海外の国々が清との条約を継承するように約束させます。ところが、中華民国は権利は主張しますが、義務は無視します。1915年、日本が『対華21ヶ条の要求』を出します。これは中華民国の袁世凱がこの要求を最後通牒のようにしてくれないと、暗殺されます!と日本に泣きついてきて、お人よしの日本が袁世凱がそういうならと最後通牒のような形式にしました。すると、袁世凱は日本に脅された!と世界にプロパガンダする始末です。お前が頼んできたのだろう!という話ですが、現在の日本の教科書ではこのプロパガンダを採用しています…1922年、9カ国条約というものをアメリカが言い出します。中華民国を主権国家にしようということですが、とうの中華民国が主権国家になる努力を一切しません。ただ中華ナショナリズムを煽ることしかしないので、頭が痛いです。1927年、南京事件など不祥事続発。中華ナショナリズムを煽られた中国人たちは英国人、アメリカ人を虐殺していきます。これにキレた英米は艦砲射撃をするという事件が起きたのです。英米を敵に回しています。この事件でなぜか、幣原喜重郎は干渉せず、高みの見物。中国が勝ったと謎の発言をして、親中派を持ち上げます。1928年、田中義一内閣で居留民保護の為に山東出兵を行います。これは教科書では居留民保護は言い訳ということにしています。ここがおかしい。本当に居留民が虐殺される事件が多発しているので、それを防ぐために山東出兵は行われました。さらに、1929年、張学良がソ連に喧嘩を売ります。奉ソ戦争です。この時、スターリンにボコボコに返り討ちにあいます。中華では四方八方を敵に回して、やりたい放題でしたが、英米ソは未然に返り討ちにして強さを見せつけ、炎上しないように鎮火させていました。ところが、日本は独自の外交政策をとったがために、中華ナショナリズムの矛先がすべて日本に向くという事態に発展していくのです。このために、日本人を狙い撃ちした事件が後を絶たない状態になっていきます。特に満洲地域では多くの日本人が被害を受けることになりました。

 

 そういう状況下で、関東軍の石原莞爾が決起して起こすのが満洲事変でした。当時、石原莞爾は課長クラスの人物です。ではどのような意図で行動したのかは次回に。