先日の回顧ブログで今年、2024年の日本ダービーは素晴らしいレースということをお伝えしました。ただ、まだお話足りない・・・といったところです。とはいえ、そこから見えて来るものがありましたので、そのお話をしていきたいと思います。今年の日本ダービーはドラマ在り、勇気をもらう、感動的なレースでした。勝った騎手が56歳。横山典弘騎手。アラカン世代にはまだまだ枯れるのは早いという希望と勇気をもたらした出来事でもありました。久しぶりに、レースを観終わって、感動し、鳥肌が立ちました。しかも、勝利ジョッキーインタビューでの『皐月賞の出走除外の判断は間違えてなかった。丁寧に馬と向き合えば、必ず馬は答えてくれる。』というのは名言でした。リアルタイムで聴いていた時は泣きそうになりました。日々、生きているなかで、判断や決断は付きものですが、この判断が正しいのか間違っているのかは、誰にもわからないことです。特に注目されている人の判断はその判断に対しての批判やいろいろ言ってくる人がいる中で、あえて承知での決断ですから、それは胆力のいるところだと考えます。行くのか、引くのかの決断は結果的にどうなったのかはわかりませんが、大切なことはいずれの判断をしたにせよ、後悔がないことが大事です。そして、その判断を必ず回顧、反省、分析、対策を講じていくというマインドがあればこそ、次につながると思っています。そういうマインドがないと、成長はしませんし、同じ失敗を何度も繰り返すことになるからです。とはいえ、こういう素晴らしいレースの余韻をもっと楽しみたいと思うのですが…

 

 競馬は毎週開催されていて、先週のレースが終われば、今週のレースの話になるというのはわかるのですが、せめて、日曜日は余韻を楽しませてほしいと僕は思っています。というのも、日曜日の20時過ぎたころから、来週のレースの話を動画やXで話し始める人たちが少なくないからです。まだ、回顧をした後で、そういう動画や発信をするのなら良いのですが…回顧を全くしないというのはいかがなもんかと僕は思っています。回顧をしない発信者に共通していることはビジネスのためにやっている、都合の悪いことは無かったことにするというマインドがあることです。前者は悪質ですし、後者は人間力のない輩ということです。都合の悪いこと、自分の思った通りに行かないと、そういうことをなかったことにするマインドは己の心の器の狭さを表していると僕は思っています。こういう器の小さい輩の人達がどうなるかわからない未来の予想をすること自体、おこがましいとすら思っています。なぜかというと、こういう心の狭い、器の小さい人たちは周りに害をなすだけで、何の役にも立たないからです。こういう輩はいずれ孤立するので、孤独を噛み締めて生きていけと言うように思いますね。世界は広い、都合の良いことばかりではないということがこの世の本質なのですから。しかも、回顧しない、反省しないということは成長しないということです。予想に関してダメだった時に、反省し、分析し、対策を練るという一連のことは自分が成長することの大事な要素です。そういうマインドがない人は全く変わらない。ダメな予想をただ垂れ流しているだけなのです。ここはポイントで、自分の予想の結果をなかったことにするマインドの持ち主と見抜くことで、信用できるかどうかが測られます。それはその人の器量によるものだと僕は判断しています。だから、なぜ回顧をしないのか?それは心が狭いから、同じ場所をぐるぐる回っているダメな人という認識を僕はしています。こういう人間力の小さい人の予想は僕は意味がないと思っていて、僕は一部参考にはしますが、丸乗りは絶対にしません。一部参考にするのはそういう人でも運を持っている時は的中することもまれにあるからです。毎回的中し続ける人はいませんから、そういう上振れがある時を見極めて参考にしています。まあ、ヒモに入れるかいないかの問題ですが…実は、こういう心の狭い発信者は競馬民にはバレているということが面白いと思うところですし、感服するところですね。

 

 前者のビジネスでやっている人ですが、これも競馬民にはバレています。ビジネスでやっている以上、必死です。なぜならば、生活が懸かっているからです。ここでいうビジネスとは、馬券を買って生活をするのではなく、馬券を買う人からお金を吸い上げるという意味のビジネスです。よく、noteやブッカーズやオリジナルのコンテンツを作って、有料予想をしている人達のことです。まあ、馬券よりも確実に儲かりますから、彼らも必死です。でもこういう人たちの中で、輩系認定される人たちは競馬民からはバレているのです。こういう人たちはYouTube動画やXで盛んに発信をします。ここで注目なのはその登録者数と動画の再生数なのです。競馬民のリテラシーの高さは本当に凄いです。馬券を検討するにあたり、ノイズになるような動画には登録者数は少ないし、再生数も上がりません。逆に馬券に参考になるようなYouTube動画には登録者数も再生数も伸びているという現状があります。そこにエンタメ性も加わると、トップユーチューバーになってしまうという現象にもなるのです。実際に、これらの登録者数が多いYouTube動画を上げているユーチューバー達は信頼されていると思いますね。しかも、それなりの的中率があります。ここで、面白い一例を上げます。あるユーチューバーの動画ですが、調教を重視し、データで、コース相性の調教や厩舎別勝負調教といったものを割り出し、予想を組み立てている動画です。一見、専門的で、深い感じはするのですが…実際は昨年の予想動画上では3回しか的中してません。金鯱賞、CBC賞、ステイヤーズステークスが主です。あとはユーチューバーの好みか、複勝やワイドも買うので、ショボい的中はあるものの、バチン!と的中しているのは昨年はこの3回だけです。基本的に予想動画であげているものはほぼ的中しないという有様です。実際に、予想動画よりも、調教解説動画の方が再生数が上がっています。つまり、調教は参考になるけど、予想は参考にならないというリテラシーが競馬民はあるということです。実際に、チャンネル登録者数は2.14万人ですが、再生数は4000~8000ぐらいですから、登録者が必ず見ているというわけでもなさそうです。このユーチュバーの面白いところは、予想動画は大ハズレなのに、動画にしていないレースで的中すると、喜んでXに投稿したりしています。もう自意識が抑えられないのでしょう。器の小さい人物です。しかも想像力が無さすぎです。的中報告を発信したところで、不愉快になる人の方が多いという想像力がないのです。だったら、予想動画で的中させろや!と思うのが自然です。でも、このユーチュバーはそういうところに発想が至りません。たくさんの恨みを買うことになっています。で、生配信した時に、YouTube動画の登録者数が伸びない・・・とぼやきます。もう笑ってしまいますね。このユーチュバーは的中よりも、回収率が大事と発言しています。でも、そもそも的中しなければ、回収率は上がりません。そういう単純なこともこの人はわかっていないようなのです。そもそも調教だけで、すべてを判断して良いのか?という疑問もありますから、見る角度の視点は良いのですが、競馬はそれ以上に多角的な要素で成り立つものです。なので、それは参考程度にという感じが良いと僕は思っています。ちなみに、このユーチュバーは当然、回顧などしません。本人は危機感があるのか、最近は競馬ブックのレーティングも導入して予想に組み込んでいるようですが、人気馬を買わないことから、重賞では全く馬券の参考になっていないということを競馬民には認知されているようです。まあ、これだけ予想動画ではずれ続けているのですから、それはそうなりますよね。いや~競馬民のリテラシーの高さには感服しますね。こういう勘違いを一生懸命やっているユーチューバーも生き残れないような状況になるのが凄いと思いました。

 

 重賞レースで荒れたレースになると、僕が普段知らない、X投稿者が当たった!当たった!というケースが散見します。その場合、そのX投稿者がどんな発信をしているのか、過去を遡り、見極めたうえで、ブロックするかフォローするかしています。まあ、ほとんどがブロックしますが…というのも有料予想に持っていこうという野心が見えているからです。そもそも、馬券の有料予想など、昔、競馬場やウインズにいたコーチ屋と同じです。そういうビジネスが違った形で残っているのですが、そもそもがゲスの極みです。中にははずれたら返金するという人もいるようですが、それは本当にレアケースだと考えています。ざっくりいうと、そういうコーチ屋は馬券を購入する人たちからお金をむしり取ろうとする輩だと僕は考えています。それをさも、ビジネスです!と開き直っているにすぎません。面白いのはそういうコーチ屋も駆逐する動きがあり、競馬民の民度の上昇をさらに加速させているように僕には見えます。こういうコーチ屋に引っかかる人が減少しているとさえ思うのです。この競馬民の民度、リテラシーの高さは凄いなとあらためて感服しますね。この精度は今後、どんどん高くなっていくように思います。僕は競馬の予想をしていても、穴馬だと思った馬が競馬民にバレてしまい、人気馬になっているのをよく目にします。その時はえ?っとなりますから、なかなか難しい…ただ、そうなっていても、荒れるレースはよくあるのが競馬の面白いところだと思います。ですから、何によって人気が出ているのか、その裏や逆はないのかという観点も面白いかなと思っています。競馬は本当に奥深いものがあるなと感心します。とはいえ、今年のダービーはいろいろな意味で、感動したレースでしたし、心に残るレースだったので、まだ、酔っていたいなとは思っています。