僕のブログが4月中旬以降、かなり滞っています。雑感は更新しているものの、その他の、『日本の歴史』『世界史のお話』に関しては、頓挫しています。これには理由がありまして、『世界史のお話』はそこまで、停滞する理由がありません。しかし、『日本の歴史』に引っ張られて、更新できない感じになっています。『日本の歴史』は第一次世界大戦と日本というところで止まっています。実はここが日本のピークだったからです。この時点から日本は真っ逆さまに落ち込んで没落し、さらには一度滅んでいます。その真の理由に僕は気づいてしまったのですが、復興後、現在に至るまでも、その理由に関する分析や改善策なんかなく、そのままの状態で保持し、ブランド化されているのが現状です。このまま進めば、また確実に滅びますし、コロナ禍という緊急事態に関しても政府が何もできなかったということを見れば、異常事態に全く機能しないという日本は、異常事態がないだけで、あったら、下手をすれば滅ぶという危機的状況は継続中なのです。国が滅ぶ理由は各国様々ありますが、こと日本に関しては明白なことが、いまだに信奉されていますから、これは頭が痛いです。第一次大戦以前からの、大正デモクラシーというバカ騒ぎの構造分析をすると、現在でも同じことが起きていますし、一度滅ぼされているのに、まったく、学習能力がないのか、また同じことを繰り返すという事態に、頭が痛くなるようです。なぜ、そうなるのか?そして、当時と変わらないシステムはどういうことなのかのお話をしていきます。

 

 日本という国は日本人の真面目な民族性で、世界でも類を見ない位、正確で緻密なデータを大量に保持しています。ところが、その大量に正確なデータを役立てることができないのです。つまり、そのデータを分析・解析することで、見えて来るものがあるのですが、それを一切やらない、できない国なのです。データ分析・解析をすることに不得手な国なのです。その理由は簡単です。大量に正確なデータを分析すると、真実がわかってしまうからです。この真実は当時の行動に適合しているのなら良いのですが、たいていは間違った判断をしています。この間違えを指摘することができないのです。この国は政府や官僚の判断が間違えていても、けして間違えを認めない国なのです。そうなると、そもそも分析など必要としません。不都合な真実が出てしまうからです。さらに、その判断の間違えを指摘する正論は採用されることがありません。権力者たちが自分に都合の良いことしかしない判断ですから、そこには科学性も合理性も存在しないのです。ちょっと考えればわかりそうなものですが、30年以上もデフレになっている国は世界には存在しません。日本だけです。これは経済政策の完全な失敗なのですが、一向に改めようとはしません。さらにそれが加速して、経済用語で、実際こんな状況にはならないと言われていた、スタグフレーションに日本はなっています。バカを通り越して呆れますが、その事実を突き詰めても、日本という国はそういう言論を抹殺するのが常なのです。こういう現象は日本にはよくあることです。昨今、世界中で起こったコロナ禍の対応が良い例です。実はコロナ禍は政府による終息宣言はありません。何となく、終わったという感じです。それが政治家のやることか!ということなのですが、日本らしい側面ですね。

 

 実はコロナ禍においての、データは日本が一番保有しており、正確さも緻密さも世界的に見ても高度なデータを持っています。しかし、そのデータを今後に向けて活用するようなことは一切していません。このコロナ禍の様々なデータを分析・解析することはタブーなのです。なぜかというと、そんなことをすれば、政府や尾身茂の判断は完全に間違っていることが証明されるからです。あのコロナ禍で一世を風靡したのが尾身茂です。感染学の世界ではこの人がいかに無能なのかは周知の事実です。野心家でトロフィーを求める、権力志向の塊ですし、権力を握ることが目的なので、権力を握った後のことは考えていないという御仁です。時の総理、菅義偉も尾身茂の権力の前に屈して、総理大臣の座を下りています。現在の尾身茂は感染学界の理事長をしているようで、こいつの判断の間違えを指摘することは感染学界では無理なのです。しかも、厚生省の判断も誤りであることが証明されてしまいますから、コロナ禍の総括などできるわけがありません。間違えだらけですから。いや恐ろしい。また同じようなことが起きても、同じ過ちを繰り返す。これはバカのやることですが、権力者に正論を叩きつけるような、猛者がいないのですから、仕方がないことでしょう。仮にそういう心ある人たちも、世論を言えば、潰される。それがわかっているから、声には出せません。そういう声を発信しても、大手メディアには手を回しているので、そういう声は黙殺されるのです。しかし、こんなバカなこといつまでやってるのでしょうかね?間違えは正していけばよいのですが、それが彼等にはできません。それはなぜかというと、権威化されていて、権威は正しいことしか言わないという呪いがかかっているからです。しかしこのねじれた権力構造を作り、なおかつ権威化したのは明治時代からの話になるのです。

 

 明治時代、何が行われたかというと、様々な改革が行われました。模範になったのはヨーロッパ諸国の制度です。とはいえ、日本の歴史上、外国の文化を取り入れて、自国の制度にするということはたびたびおこなわれています。奈良時代には大宝律令を制定するにあたり、当時中国の唐の制度を丸々パクって、日本の制度にしました。しかし、この時代の奈良の官僚たちは全てをコピーしたわけではないのです。きちんと考えて、取り入れているのです。その制度は何かというと、唐では当たり前に行われていた、科挙制度を採用しなかったことなのです。科挙制度で創出された官僚たちはゆくゆくは国を滅ぼすということを先見の明で見えていたのかもしれません。現に、隋や唐はそのことが一因となり、国は滅んでいます。科挙制度は取り入れてはならないというのが奈良時代の官僚や政府の要人の考え方だったのです。しかし、明治政府はこの科挙制度、試験によるエリートの創出を目的にした試験制度を導入しました。結果どうなったのか?昭和に入って、マトモな政治家がいなくなった日本は凋落と馬鹿馬鹿しいことが重なって、おかしな方向に舵を切ります。昭和に入ると、官僚的エリートしか政治家になっていませんから、そもそもの政治が出来なくなります。そして、アメリカに戦争を仕掛け、敗戦し、大日本帝国は滅亡しました。ここで問題なのは、この日本が滅びた原因を精査や分析を去れず、原因追及もせず、そのまま放置したことなのです。狂った定説を掲げて、復興の方に視線をそらしました。その結果、そもそもの原因の試験によるエリートの創出を目的にした試験制度は残ってしまい、逆に趨勢となり、学歴社会の誕生です。しかも空気的な常識として、学歴エリートは立派な人であるという誤解が蔓延していることなのです。こういう空気感や同調圧力によって、学歴エリートは権威化しますし、権力を持つとろくなことをやりません。致命的なことはこの学歴エリート達には決断ということができないのです。しかも、庶民の気持ち、国民の為にという発想が抜け落ちていて、利己的な判断しかできない集団ですから、これはもうどうしようもないというのが判明しています。これは例を挙げればきりがないぐらい、よく目にする事象です。学歴エリートたちは必ずしも、人として人格者ではないのです。江戸時代の秀才と呼ばれる人たちはどうだったかというと、自分の知識を多くの人に伝えたいという思いで、私塾を開いています。周りの人達や近しい人たちの為に自分が何ができるかを真剣に考え、行動していました。現在の学歴エリートたちはそういう発想が微塵もありません。そしてそういう人間のクズみたいな輩たちが日本の政治を動かしているのです。本当に頭の痛い現象です。そして、そのことが明治時代に生まれ、昭和になってから運用しだし、大日本帝国は滅ぼしたけど、まあ、それは良いから、と現在までも続いているという制度なのです。ですから、この先この制度を変えない限りは、この国の将来は暗澹たるものであると僕は考えます。

 

 日本の歴史、特に近現代史を調べていくと、現代にも通じる悪癖がここから始まって、いまだに続いているということに凄く落ち込むのです。これが僕のブログ、『日本の歴史』が進まない要因なのです。それは学歴社会制度だけではなく、選挙の本質も同様なのです。原敬が始めた金権政治をずっと現在まで自民党は行い続けました。どんなに批判されようが、どんなに事件を起こそうが、国民を舐めている政治家たちはその制度を改めようとはしません。結果的には選挙に行かない国民に責任があるのです。選挙に行く国民は利権構造に組み込まれている、地盤の人達なので、自己の利益の為に票を入れます。そういうマイノリティーに権力をもたらすのがこの国の投票率に反映されているのです。これは国民自体が危機感を持ち、変化しなければいけないのですが、どうもそういう風な流れにはなっておらず、しかも国民が忘れることを待っているかの如くの対応を政府は戦法として行っているようですから、本当に情けない限りですね。検証、分析、原因追及を一切行わず、間違えを認めない、学歴エリートが牛耳る日本の政府。しかも、国家賠償請求訴訟をやっても、一般人は99%負けるという事実。で、最近、暇空茜氏が国家賠償請求訴訟に勝ったのですが、大手メディアはそろって、沈黙。記事にすることもせずに、黙殺です。大手メディア、マスコミは国民の見方でもなければ、第4の権力でもありません。政府のイヌです。そんな状況ですから、ジャーナリストを名乗る人は本当に恥ずかしくないのか?という疑問すら湧きますね。日本の報道自由度は世界では中国やロシアと同じぐらいの自由度しかないという衝撃的な事実が報道されました。先進諸国としては最低です。もうそろそろ気づいて欲しいと思いますね。とはいえ、このまま放置するわけではなく、僕のブログ、『日本の歴史』は近々、再開いたします。やはり、見たくない史実とはいえ、そこから逃げることなく、突き進んでいきたい気持ちはあります。いかにバカな人たちが多かったか、無能だけど、政治力で居座り、いかに日本を貶めたかという、内田康哉、幣原喜重郎、近衛文麿、山本五十六などの僕の中での戦犯リストに入っている人達の話はしていきたいと思っています。この4名、御願いだからソ連のスパイでいてくれ!という願いは却下されている状況ですから、いかにバカなのかを説明していきたいと考えます。そんな馬鹿どもに振り回され、亡くなっていった、勇敢な人たちには感謝を伝えないといけないと思います。いつでも現場にいる人が苦労をして、上が左うちわの状態は絶対におかしいと僕は思っています。これは現在でも言われていることです。ある芸人さんが『日本の社長は全てハエ』という発言をして、爆笑を取っていました。僕は本気で上場している一流企業と呼ばれる社長は全て人間のクズだと思っています。まあ、社長になることが目的のサラリーマンですから、人としてたいしたことがないのは火を観るよりも明らかだと僕は思うのです。