日本のシベリア出兵に端を発して、日本国内では米の価格が暴騰して、各地で米騒動が起きました。1918年のことです。この米騒動を元老、山縣有朋の最後の切り札、寺内正毅内閣、通称ビリケン内閣は収拾させることができず、世間から退陣要求を出され、あっさり退陣してしまいます。こういう騒動が起きた時の真骨頂が原敬。各方面に恩義を売っているので、満を持して、原敬内閣を組閣します。その後、1920年に総選挙が行われますが、圧勝します。当時、爵位をもたない人が総理大臣になったことから、平民宰相と呼ばれます。この原敬内閣は無敵でした。元老、山縣有朋には恐喝を行い、屈服させます。枢密院は実際のところ、内閣と本気でケンカしたら、勝てない組織ですし、原敬首相には罷免権を有していることから、圧倒的に原敬有利です。ですから、枢密院は原敬に逆らえません。貴族院はお貴族様の集まりなので、金の力で何とでもなりますから、集金力のある、我田引鉄の利権政治家の原敬にとっては何の問題もありません。陸軍は長州閥、山縣有朋の手下であるはずの田中義一は山縣有朋に黙って、こっそりと原敬と手を組んで、原敬の軍門に下っています。政党内閣の中心人物の軍門に下らないと予算が降りないということで、陸海軍ともに、政党内に潜り込むということはこの時から起きています。全ては予算を獲得する為です。一方、海軍はもともと、原敬のバックにいる、完全与党ですので、何の問題もありません。こうなると、原敬に対抗して、反旗を翻す勢力は日本には存在しないことになります。まさに、天下無敵の存在にこの時、原敬はなっていました。こうなると誰も倒すことができません。唯一の手段は暗殺ですが、それは現実に起きてしまいます。

 

 1918年はまだ第一次世界大戦の真っ最中ですが、外務省の石井菊次郎のロンドン宣言に加入することにより、日本は世界の大国の地位を得ることができます。そして、第一次世界大戦が終わり、1919年にヴェルサイユ会議が行われます。日本は世界の五大国、英米仏日伊として、会議に招かれます。この第一次世界大戦は世界史上、初めての総力戦でした。相手の総力を潰すために自分たちの総力を出し切るという戦争でした。ので、勝った英仏もボロボロです。英仏は負けたドイツに100年間、台頭させないようにしてやる!という恨み骨髄です。ドイツに復讐する気満々で、多額の賠償金を要求していきます。この会議で、しゃしゃり出てきたのが、アメリカです。ウッドロー・ウイルソンという狂人の大統領が会議の主役になってしまうのです。キレイごとを並べ立て、結局はオスマン・トルコ帝国とオーストリア帝国を抹殺し、ついでに、英仏日に喧嘩を売り始め、最後はソ連のレーニンを擁護するというおかしなことをし始めます。リアルトラブルメーカーとしての真骨頂です。ウッドロー・ウイルソンのおかげで、どんどん揉め事が大きくなっていくという事態に発展します。さらに国際連盟をつくろうと提案したくせに、当のアメリカは加盟しないというバカなことも起こり、本当にこいつはどうしようもない大統領でした。こいつが、ヴェルサイユ会議を翻弄させなければ、第二次世界大戦は起きなかったかもしれないという暴れようです。では、会議に呼ばれた日本は何をしていたのでしょうか?

 

 ヨーロッパの当時の有名人は石井菊次郎でした。ですが、石井菊次郎はヴェルサイユ会議には出席していません。それはなぜかというと、原敬に嫌われていて、左遷されていたからです。ヴェルサイユ会議に出席したのは無能でおなじみの元老、西園寺公望と親父は凄く優秀でしたが、ぼんくらの牧野伸顕でした。牧野伸顕の親父は大久保利通です。西園寺公望は観光気分なのか、会議には遅刻しています。この頃から、日本のトップはダメダメになっていったのが如実に表れています。せっかく手にした世界の5大国に日本はなれたのに、このチャンスで、こういう無能者を送り込むとは…日本は世界平和と人類平等を説きましたが、誰も聞いておらず、サイレントパートナーと揶揄される始末です。せっかく、カナダから地中海までドイツから守り通した優秀な日本が、何の影響力も出さなかったのが失敗の極みです。この当たりから、日本の外交はグダグダになっていきます。当たり前です。優秀な外交官の正論を封じることをしてきていくからです。正論が通らないという日本独自の文化を発揮する平和ボケが蔓延してきて、日本のトップはバカばかりしかいなくなるという体たらくがこの時から始まります。この後、日本はどんどん質が下がり、転げ落ちる様な歴史を歩み始めるようになります。もうこの頃から、日本の崩壊の芽は出始めていたと言っても良いでしょう。その崩壊から、日本は立ち直ることなく現在まで継続しているのが情けない限りだと思います。ただ、昨今言われる政治の腐敗は実は100年も前から現実としてあった事象です。そこから、考えていかないと、そういう知識、歴史を学んでいかないと、どうしようも行かないのが現実なのです。現在の状況を100年も続けているのですから、いい加減にして欲しいという思いですね。こういう政治に対する絶望感は今に始まったことではないのです。100年前から始まっていることですし、そういうことを含めて考え直さねばいけない時だと僕は思っています。

 

 では、平民宰相の原敬はどうなったかというと、絶頂期は長くは続きません。1921年11月4日に東京駅で暗殺されます。まあ、暗殺という手段でしか、原敬を倒せないのは事実ですし、その方法で行われたにすぎません。ただ不審なことはこの暗殺事件、その場で犯人は逮捕され、大して調べもせずに、裁判で無期懲役の刑になっています。しかも調書は残されていないという異常さです。しかも、繰り返された恩赦により、犯人は1934年に釈放されています。これはどういうことが起きているのかは謎ですが、原敬を快く思っていない勢力が原敬を抹殺し、無かったことにしているようです。犯人は義憤に駆られた犯行でしたが、そういう勢力にとってはよくやった!このことを利用しようと考えたのかもしれません。こういう研究は100年前の話ですから、真相がわかっても良さそうですが、その後のGHQ洗脳教育によって、歴史教育は大きく捻じ曲げられ、真相追求、研究をする人がほとんどいないというのが現状のようです。まあ、この原敬の残した遺産で、政治はもっとグダグダの方向に舵がきられます。日本という国は昭和になる前から、崩壊は見えていたことなのです。