僕の趣味として競馬があります。競馬のお話は競馬をやっていない人たちにとっては無縁のお話。なので、この雑感では競馬のお話をすることを意図的に避けていました。しかし、今回、とても衝撃的な事件が起きました。藤岡康太騎手が落馬により、命を落としてしまいました。ので、今回に限り、哀悼の意を評しながら、どうしてもお話ししたい!という自分の気持ちに正直に、藤岡康太騎手のお話をしていきたいと思っています。本当は他のネタを仕込んではいたのですが、それをすっ飛ばして、今回はいろいろな思いを語らさせていただきたいと思っています。それほど、僕だけではなく、競馬民にとってはショッキングな出来事なのです。

 

 そもそも、悲劇があったのは4月6日、阪神競馬場の7Rで藤岡康太騎手は落馬により、負傷したということです。競馬において、落馬はそこまで珍しいことではありません。危険な仕事と言われますが、落馬負傷は月1回ぐらいのペースで起きています。しかし、負傷した騎手は見事に復活してターフに帰ってきて、素晴らしい騎乗をするというのがパターンでもあります。中には大けがも少なくはありませんが、必ず帰ってくるという認識は競馬民にはあると思うのです。なにしろ、時速60キロで走る馬達での競争ですから、トラブルは付きものです。ですから、近年は防御用品の発達や、落ちた時の受け身や、落ちた時にまずしなければならないなどの注意喚起をまず教わったり、等、徹底した安全配慮はなされています。なので、落馬で負傷をする人は減少傾向ですが、ましてや、死亡するということは非常にレアケースになってきています。落馬した時に一番危ないのは後続の馬に踏まれるという事象です。これを回避できれば、命の危険にさらされるということは回避できます。実は今回の藤岡康太騎手の場合、この後続馬に踏まれたのが原因と言われます。馬に踏まれると大けがをするというのは競馬民にとっては一般常識です。何しろ、競争馬は500キロ近くある動物です。以前、レース前に乗る馬に足を踏まれて、骨折し、休養を余儀なくされた騎手もいるぐらいです。ですから、落馬自体は珍しくないものの、その後の危機回避ができないと非常に危ないことになるというのが認識として、騎手は持っていると僕は思っています。しかも、落馬自体は大事に至らないケースの方が多い感覚です。ですから、驚いたのです。

 

 実は落馬で命を落とした騎手は平成に入って、藤岡騎手を含めて3人です。僕が強烈に覚えているのは1993年1月に落馬により死亡した岡潤一郎騎手です。彼は当時の若手で有望株でした。当時は若手で今も現役で騎手をしている武豊の全盛期でしたが、唯一対抗できる若手は岡潤一郎であると目されていました。岡潤一郎騎手はデビュー4年目でG1を勝利するなど、破竹の勢いで、当時のアイドルホース、オグリキャップに騎乗もしたことがあります。残念ながらオグリキャップは2着で、散々マスコミ叩かれた風景を僕は見ていました。そんな岡潤一郎騎手、6年目に悲劇が起きます。1993年1月30日の京都競馬場7レースにおいて、落馬し、ヘルメットがずれたところに後続馬が踏んでしまうという・・・2月16日にこの世を去りました。24歳でした。これには衝撃を受けました。G1ジョッキーでもあり、将来を有望視して、あの武豊の好敵手になる予定だった騎手が…当時はかなりへこんだものです。有望な騎手がこの世を去るという事故。その後、僕の競馬熱も落ち着いてしまい、2002年には競馬を一次、辞めてしまいます。それ以降はG1騎手が落馬して命を落とすという事故はありませんでした。若手ならまだしも、藤岡康太騎手は35歳。騎手でいえば、ベテランの部類ですし、G1騎手でもあり、技術も危険性も知り尽くしている騎手です。そういう大物が落馬で命を落とすということは衝撃的過ぎます。藤岡康太騎手の訃報の情報が出た、昨日は本当に衝撃的過ぎて、ぼんやり一日を過ごしました。特に推していた騎手ではありませんが、そのインパクトはとてつもないモノでした。

 

 2024年4月6日。当然、僕は競馬を楽しんでいました。阪神7Rで藤岡康太騎手が落馬したというのは午後に知りました。騎手が乗り替わりになっていたので、そこまでの事態になっているとは思っていませんでした。JRAの発表でも、『胸部殴打、頭部殴打』というものでした。まあ、大事にたらなければいいな~という感覚でした。ところが、その日のうちには経過情報は出てきませんでした。僕は誰が落馬しても、その後の容態をチェックしています。もちろん容態を気にするのは当然ですが、次の日にも騎乗できるのか?戦線離脱するのか?ということがあるからです。まさかそんな事態が起きるとは正直、思っていませんでした。桜花賞は藤岡康太騎手からの乗り替わりで鮫島克駿騎手が騎乗し、5着になりました。その時のコメントで、藤岡康太騎手のことに触れ、容態を案じるコメントを出していました。その日、落馬した和田竜二騎手はXで『僕は無事に帰宅したけど、康太は心配』というポストをしていました。これは嫌な予感がしました。そこで4月6日、阪神7Rのレース映像を見たのです。正直、よくある落馬の風景でした。とはいえ、次の日も、次の日も、藤岡康太騎手の容態の続報が出ていなかったので、何だかモヤモヤはしていました。4月10日、兄で騎手でもある、藤岡祐介騎手が『弟は現時点で、意識のないままです。』というコメントを出しました。え~!と思いました。重傷だと思っていたけど、4日間も意識不明?驚きました。何とか、意識を回復して、しれっとターフに帰ってきて欲しい!という願いを持ちました。僕はできることとして、生國魂神社に行き、お参りをして、藤岡康太騎手が帰ってくることを祈願してきました。で、4月11日、訃報が届きました。藤岡康太騎手は帰っては来なかったのです…

 

 昨日は横綱の曙が死去したこともありましたが、僕は藤岡康太騎手の記事をたくさん読みました。Xでも追悼のコメントがたくさん溢れていました。その中でも、どうも、落馬した後に、後続馬に踏まれて、その時点で即死状態だったのを何とか生命力で4日もったという衝撃的な事実を知りました。JRAの発表は何だったのか?JRAは藤岡康太騎手に懲罰を与えてました。倦怠金を請求していたくせに…なんたるお役所仕事。こんなことになっているとは・・・ホンマに辛くて、胸に刺さりました。藤岡康太騎手は推しの騎手ではありませんが、やはり、僕の買うレースには必ずといって良いほど、出走していました。名前もよく見ており、検討しているところがここ何年も続いていました。僕が競馬を再開した時から、大きなけがもなく、離脱もなく、コンスタントに活躍していた騎手です。だからこそ、馴染みがあるというか、親近感があったのです。たくさんの追悼コメントの記事を見ていると、ホンマに残念でなりません。何しろ、今年の藤岡康太騎手は買える!って思っていたからです。

 

 今年の藤岡康太騎手は乗れていました。そのきっかけになったのは昨年のマイルチャンピオンシップG1での出来事でしょう。有力馬である、ナミュールという強い牝馬が出走するのですが、騎手はムーア騎手でした。しかし、ムーア騎手がその日のレース中に落馬して、マイルチャンピオンシップに騎乗できなくなりました。その代役が藤岡康太騎手でした。もちろんテン乗りですし、ナミュールに乗ったことはありません。ですが、牧場主の強烈な推薦により、藤岡康太騎手になったそうです。人気馬ですから、相当なプレッシャーの中、ナミュール自体はなかなかG1級の馬なのに、勝ちきれないというもどかしさのある馬です。そういう状況をチャンスと見たのか、藤岡康太騎手は快諾したようです。当然、人気は下がります。ですが、マイルチャンピオンシップというG1レースでナミュールは勝ってしまうのです。この騎乗は素晴らしかったです。ナミュールの末脚を存分に引き出した、差しきり勝ちです。僕は馬券をはずしましたが、それとは別に良いレースを見たという感想を抱きました。それほど、藤岡康太騎手の騎乗は見事だったのです。実は藤岡康太騎手は不運なところがありました。技術はあるのに、良い馬が回ってこないという状況です。中堅の騎手にはよくある現象ですが、そういう状況でも、腐ることなく、一生懸命に調教にも参加し、自分のできることをやっている姿は好印象でした。ナミュールの好走は藤岡康太騎手のそれまでの不運を払しょくするような出来事でした。今年に入り、このままいけばキャリアハイの勝ち星を上げる勢いで、勝ちまくりました。4月には通算800勝を上げ、乗りに乗っていました。プライベートでも、2020年に結婚し、昨年の6月にお子さんが誕生し、充実したプライベートのようでした。もともと、気さくで、笑いを周囲にもたらす、やさしい人だったようです。礼儀もしっかりしており、自分が乗っていない馬の馬主にも気さくに挨拶をするというできた人でした。しかも、結婚してから、人が変わったということでした。今まで遊んでいたのをピタッとやめて、お子さんを風呂に入れるからと言って、足早に帰宅するということだったようです。プライベートも充実し、キャリアハイの勢いで勝ちだしているさなかの出来事・・・残酷すぎます。35歳という騎手では決して若くはありませんが、脂がのっているこの時期の突然の事故。これはキツイでしょ。辛すぎますね。何とも言えない気分で昨日は僕は過ごしました。遺族はもちろんのこと、競馬関係者にも相当な衝撃があったと思われます。

 

 僕が藤岡康太騎手を馬券的にどう見てたのかというと、すごくわからない騎手という感じで思っていました。そもそも、20年のブランクがあっての競馬再開です。思っていた以上にわけがわからなかったです。知っている騎手が少ないという現実です。騎手の特性を把握するのは馬券を買うということでは重要です。それを手探り手探り状態で、見極めていく。この3年間でようやく見えてきた部分はあります。ただ、藤岡康太騎手だけはわかりませんでした。藤岡康太騎手は中京と小倉では買えるのですが、それ以外の競馬場では出走してくるものの、軽視していたというのがざっくりとしたところです。というのも、馬の特徴やその日の気分に合わせて、ふぁっと乗る騎手なので、人気馬でも平気で沈むし、穴馬を好走させてくることもあるので、騎手で取捨選択を決めるには難しい騎手ではありました。毎週、藤岡康太騎手で悩んでいたような気がします。その機会はもう永遠に失われてしまいました。寂しい限りです。今年から飛躍するというところでの事故。残酷すぎます。そして、もう二度と馬券検討で藤岡康太騎手の名前を見ないのを悲しく思います。とにかく毎週見てましたから。こういう事故はレアケースとはいえ、残酷ですし、衝撃的な出来事です。騎手は危険な仕事であるという認識は僕にはあります。ですから、安全騎乗で勝負に行かない騎手がいても、非難はしません。それは当然のことだと思うからです。ですが、残酷すぎる…これからって時に…このやるせない気持ちは二度と味わいたくないと思います。本当に競馬は人馬共に無事に帰ってこその競馬だと思っています。今週末の競馬はどうも楽しめる感じがしていません。ただただ、藤岡康太騎手のご冥福をお祈りいたします。