60歳になってから始まる伏線回収の第一弾として、真っ先にやってくるのは孤独です。毎日が孤独感にさいなまれるということになります。これをどう乗り切るかということが大事なのですが、なぜこんなことが起きるのか?それは60歳になると定年というルールが適用になるからです。昨今、定年が65歳に延長されるという話は聞きますが、実際のところは、60歳になって、一旦リセットされ、その後、再就職という形で一からやり直すという制度のようです。まあ、よほど優秀で、人望のある人は地位は確保されますが、たいていの人は一からやり直しでしょう。仮に老害扱いされる人が政治力で何とか地位にしがみついても、会社側もバカではないので、そういう老害には仕事を与えない。という作戦出来ます。そうなると、よほどお金に執着していない限りは、自然と辞めていくという流れになります。やることもなく、予算もないという状況では何をしに会社に行くのかわからなくなります。結果的にしがみついても、会社に必要とされていないということが身に沁みて理解できるので、自ら引くのが当然の流れになります。そうなると、どう過ごすか?です。実は、女性、特に専業主婦はこういう問題は割と楽にクリアできます。というのも、女性は小学校、中学校、高校、大学、等の交友関係を大事にしており、繋がりがあるからです。しかも、定年退職というルールは適用しずらい環境の中で生きているので、あまり影響はありません。今まで通り過ごしていければ良いことなので、孤独感にさいなまれるという状況は少ないと僕は思っています。深刻なのは男性の方です。

 

 男性の場合、過去の繋がりは切れている場合が多いです。何かの拍子で、例えば同窓会とかのイベントで、繋がりを持つような行為はほとんどありませんから、それっきりの関係になってしまいます。そもそも、会社員は会社に行くと、同僚と無駄話をしますが、同僚は仕事上の付き合いであって、友達ではありません。しかし、友達と錯覚してしまうという要素があるのです。ですから、仕事にカマかけてと言う人達にとっては、過去の繋がりは切れてしまう原因なのです。で、退職した後に、以前の会社関係の人から連絡が来ることはまずありません。よほど親しくして、プライベートでも共に遊び、連絡先を知っている間柄でも、交遊はほとんどありません。なぜなら、仕事仲間であって、友達ではないからです。会社からいなくなったら、もう用済みなのです。僕の感覚ですと、人として付き合うというよりは、その社会性と付き合う感じの人が会社員はほぼそういう感じですので、その社会性が無くなった時点で、その人とは無関係になるという現象が起きます。これは、相手の、人を見る目がないとか、相手の、心根が卑しいとか言っても仕方がないことなのです。いわばルールなのです。こういうルールが存在しているということを僕は知っていたので、僕は会社員当時、プライベートな連絡先を知っている人はほぼいませんでした。実際、会社を退社して、会社関係の人から連絡があることはありません。そういうモノだと思っていたので、僕の方から連絡を取ったところで、惨め感を感じるだけですから、それをしていません。これは誰にでも起きることだと思っていて、僕の父も亡くなった時に誰に連絡して良いかわからなかったですし、誰も連絡をしてこないというのがありましたから、まあ、当然と言えば当然の事象なのでしょう。こういうルールが適用される以上、定年退職後、まっさきにやってくる伏線回収は孤独なのです。

 

 孤独になるということが伏線回収になぜなるのかというと、伏線は過去の自分がどういう行いをしてきたかにより、難易度は変わります。良いことをしていれば、良いことが戻ってくる、悪いことをしていれば・・・という感じです。過去の自分が妻帯者であり、家族と円満で良好な関係を築いていれば、特に、奥さんと良好な関係であることが出来れば、それは家にいても厄介者扱いはされないでしょう。ただ、仕事にカマかけて、家庭での会話を疎かにしたり、奥さんとの関係が希薄だったりすると、最悪の場合は熟年離婚も珍しくはありません。奥さんにとっても、稼いでこない生き物と一緒にいるのは嫌でしょうから、それは自然な流れです。唯一の理解者だと思い込んでいた男性にとっての無理解が伏線となって回収される形になると考えます。さらに孤独感は増すということでしょう。なので、日本では60歳以上の自殺は珍しくない現象です。現在の日本は約3万人が年間で自殺する数なのですが、年齢分布ですと、50歳代後半から60歳代は安定して高い数字を叩き出しています。これは日本だけではなく、アメリカでも似たような現象が起きていて、50歳代から60歳代にかけて、ドラッグやアルコール中毒で亡くなる人が多いようです。毎年人口が増え続けるアメリカでもこの層は毎年、人口増加が上がらないというデータがあります。増えるはずなのですが、減っているから変わらないという現象です。日本が死を選ぶ代わりに、アメリカは廃人になることを選ぶようです。この原因は様々なことがあると思いますが、こと日本では孤独ということが主な原因であると僕は考えています。その孤独感を回避して再就職する人がほとんどですが、これは問題先送りの話です。いずれ、その就職先も年齢で解雇されるわけですから、解雇されれば、孤独感が待っています。さらに、何歳まで働かなければならないの?という疑問も生じます。住宅ローンの返済がまだ残っているとか、具体的な理由があれば別ですが、それらがない場合は、メンタル的にきついですね。特に自分と向き合ってという習慣がない人は何をしているのかわからなくなるという状態に追い込まれます。それでも、再就職するのか?お金はあるのに、まるで奴隷のように老体に鞭打つ必要があるのか?ということをその時に考えても、どうしようもないことですが、そういう心境に追い込まれることでしょう。ですから、人にもよりますが、再就職したところで、この孤独のようなモノの伏線回収からは逃げられないことになるのです。

 

 では、この孤独のようなモノに対処するにはどうすれば良いのか?ということですが、簡単に結論から言いますと、自己肯定感を高めることが必要です。実はこの自己肯定感は低い人が一般的ではあります。どうやって、自己肯定感を上げることができるかは人それぞれで、これをやれば!という特効薬はありません。手探り状態になるしかないのが現状なのですが…実は一般的な人はある一定のプライドは持っています。特に男性はより顕著になります。プライドの高い人は比例するように自己肯定感が低いものです。こうなると、承認欲求が強まります。ですから、かまってちゃんとか、SNSのいいねにこだわる人とか、褒めて!褒めて!という行動手段を取る人が多数いるのは承認欲求の表れであり、自分を肯定してくれる、他者に依存しているという状態なのです。人の話を聞かないで、自分の自慢話ばかりしたり、俺が、俺がと前のめりになる人も典型的ですね。プライドの高さと自己肯定感の低さは相関関係にあり、両者とも高いというのは異常事態です。僕は過去に、そういう人を知ることがあったのですが、心理学上ではそういう人はサイコパスなので、あまり関わりたくない人種です。こういう人は何をしでかすか不明なところがありますから、その人が事件を起こしても何の驚きもありません。ただ、その人に限っては事件を起こすほど肝が据わるということのない小心者で臆病なので、そういう心配はないかなとは思っています。では、承認欲求を全面に出している、自意識過剰な人はどうすれば良いのでしょうか?ここが孤独を受け入れる重要なところだと僕は思っています。

 

 実は孤独は悪いことばかりではありません。良い面もあるのです。孤独とはすなわち自由であるということです。何の制約も受けません。自分のことはすべて自分で行い、自分で何とかする。法や人の道を外れる行為さえ犯さなければ、自分のやりたい放題です。ですから、起きる時間も何をするのも、自分のしたい時にすれば良いのです。この自由さになれてしまえば、自分なりにアレンジ、プロジュースをできるようになれば、充分、孤独は楽しめます。承認欲求の強い人がいきなりこういう環境になって、それを甘んじて受け入れることが出来れば、それは承認欲求など必要なくなる状況になります。これは慣れれば何ともありません。その胆力があるかどうかです。けしてマイナスな発想を持たなければ、充分楽しめるモノなのです。それが出来るかどうかはその人次第です。絶望するのも自由だし、お気楽に、ご機嫌になるのも自由です。要するに考え方ひとつなのです。ですから、準備としては自分一人で何でもできるというスキルは身につけた方が良いかもしれません。全てを人に任せきりで生きていた人は大変な思いをします。それでプライドが高いと来れば、この伏線回収は地獄ですね。そういう感じの人も複数人知ってますから、大丈夫かなーとは思います。でも、まあ、それぞれの人生ですから、それはそれで、人生において必要なことですし、人生の学びだと僕は思いますね。普段、感謝心をもたない人は強烈なものがあると僕は思っています。承認欲求に現れる、自己肯定感の低さは、魂の年齢が子供であるという認識をもたなければならないと思います。魂の年齢を上げるのは人それぞれですが、やはり環境と成長したいという向上心が必要であると僕は思っています。ですから、いきなりそういう伏線回収が訪れた時にどのように対処するかはあらかじめ準備しておくのがアラカンのやらなければいけないことかなと僕は思っています。

 

 実は今回、人生の伏線回収でメンタル面を取り上げましたが、実は肉体面でも伏線回収があります。これは過去どのように過ごしてきたのかが、如実に表れることになります。しかも、毎年、健康診断を受けているから大丈夫と思っている人がヤバいです。そういうお話は機会があったらしようと思いますが…とはいえ、伏線回収は60歳以降に始まります。答え合わせみたいなものです。良いことをしていれば、良いことが起きますし、悪いことをしていれば…というのがこの世のカラクリのような気がしています。そういう時に、やってはいけないことは課題から逃げることです。マインドが自分に都合の良いことしか見えない、異端は排除するでは、伏線回収がえげつないと思いますが。ただ在りがちなことで、お酒に逃げるのは良くないと僕は思っています。アーリーリタイアに僕は流れ上なってしまいましたが、他のアーリーリタイアしている人にも会う機会がありました。共通していることは、昼間から毎日お酒を飲んでいることです。僕は普段、一人ではお酒を飲まないので、まあ、ほぼお酒は飲んでいません。ですから、お酒の悪影響は受けませんが、適度を保つのは、ことお酒に関しては難しいと僕は思っています。これが出来ている人は相当すごいと思います。ただ、それは稀有な存在です。しかし、お酒を飲んでいる時だけが楽しいとなってしまうと、それは僕には逃げに見えます。シラフでも、楽しいことはいっぱいありますし、それにはチャレンジすることが大事だと思うのです。そうしないと楽しさは味わえないとさえ思ってしまいますね。やってみたいことはやれるうちにどんどんやるべしと僕は思っているので、存分に楽しんで行ければ良いと思ています。人生のカウントダウンがうすうす感じているなかで、どれだけ楽しんでこれたか、満足できたかが、人生の生きがいだと思いますし、それは人と比較するものではないと僕は思っています。どうせ生きるのならば、楽しんで全うしましょうや。僕はそう考えています。