ナポレオン戦争後、敗戦国なのに、講和会議を仕切る。世界史に残る空前の外交をやってのけたタレイランの個人的力量は卓越していました。その秘密を4つ上げます。一つは、料理と女です。フランス一のシェフを連れていき、毎日のようにパーティーの連続でもてなします。これは情報収集や買収といった意味合いもありますが、文化的優越性を見せつけることにより、交渉における心理的優位を確保しようという意味もあります。ハニートラップに関しては、『おもてなし』です。武士の情けで国の名前は出しませんが、東方のスラブ人の皇帝などは、『会議をしに来たのか、女を抱きに来たのかわからない』と風評を立てられるほどです。そもそも独裁者相手に『ハニー』など、なんの『トラップ』にもなりませんから、おもてなしのおこぼれに情報をもらえば充分なのです。二つめは、ナポレオンとフランス革命への恐怖を煽ったことです。大陸軍は本音では、ルイ18世の政府ではなく、ナポレオンに忠誠を誓っています。現に、会議の最中に、ナポレオンがエルバ島を抜け出し、パリに帰還して政権を樹立するという事件がありました。百日天下です。対仏大同盟は慌ててワーテルローの戦いでナポレオンを叩きつぶし、今度は南大西洋にある絶景の孤島、英領セントヘレナ島にナポレオンを閉じ込めました。アフリカの先、南米大陸との中間あたりですから、『二度と戻ってくるな!』ということです。ナポレオンの死に関しては、暗殺説も唱えられます。どれほど恐れられていることか。タレイランはこの状況を利用して、恐怖を煽りに煽り、ブルボン王朝の復古を認めさせます。タレイランはナポレオン皇帝健在当時から敵国と内通していたのですから、見方によっては売国奴です。しかし、ナポレオンを差し出すことにより、フランスという国と民族を守りました。ブルボン王朝からすれば、忠臣です。日本人はすぐに人を百点か0点かで考えますが、一つの事実が立場を変えれば、真逆の評価になるのが常です。

 

 三つめは、ナポレオンにすべての責任を押し付けたことです。現在の世界で、問答無用の悪者といえば、増税メガネです!あ!そんな小者ではないか…もとい、アドルフ・ヒトラーとナチスです。ドイツ人は、『第二次世界大戦における一連の残虐行為はヒトラーとナチスがやったことで、ドイツの責任ではない』というごまかしを続けています。時の政権は悪かったかもしれないけれども、国や民族は悪くない。まさにタレイランの論法です。ナポレオン戦争のあと、長らく、ヨーロッパ最大の極悪人はナポレオンでした。フランスは勝ち組に回ることにより、その汚名をなかったことにしています。今では、ナポレオンとヒトラーを同列に論じる人などいません。なお、今もドイツは虎視眈々と巻き返しを狙っているのですが、それはまた別の話です。ヒトラーの名誉回復をしたときこそが、大国ドイツが真に復活したと警戒すべきときでしょう。それはさておき、タレイランの論法は、占領国の側にも都合がよく、許容できるものでした。そして4つ目が、諸外国の利害対立を見極めて、上手に立ち回ったことです。フランスがしばらく立ち直れない状態で、大英帝国の覇権は続くことが確定しました。海洋覇権に大陸の覇者が挑戦するのは地政学のテーゼ。ナポレオンのフランスに代わり、大陸の挑戦者の地位にのし上がったのはロシアです。それにオーストリアやプロシアの利害も絡みます。大英帝国のカッスルレー首相、ロシア帝国のアレクサンドル1世、プロシア王国フリードリッヒ・ウィルヘルム3世、そしてオーストリア帝国メッテルニヒ外相は、『会議は踊る、されど進まず』という膠着を続けます。彼等は利害が全く一致していないのですが、王様が殺されたフランス革命やナポレオン帝政の復活だけは避けたいという本音は一致しています。これは革命に対して、『反動主義』と呼ばれましたが、当然でしょう。そこにタレイランが『正統主義』を打ち出します。1789年のフランス革命以降の秩序を否定し、元に戻そう、というわけです。大国が合意すれば、できないことはない。哀れなのがポーランドでした。ナポレオンが、マリア・ヴァレフスカという人妻の貴族に目をつけ、『俺のモノになれば、ポーランドを再興してやる』との条件を持ち出します。彼女は貞淑な女性でしたので無視していたのですが、貴族たちに口説かれ、最後は夫の了承も得て、ナポレオンの愛人になります。ナポレオンは約束通り、ポーランドをワルシャワ公国として復活させます。そんなポーランドも露墺普3国が復活してみれば、再び地球の地図から消されてしまいました。

 

 ウィーン会議で、英露仏墺普が五大国と確定しました。この構図は、第一次大戦まで百年続きます。大国とは『その国の意見を聞かねば話がまとまらない国』のこと、すなわち発言力のある国です。ウィーン会議では多くの密談が行われましたが、大事な話は四大国、次いでフランスを入れて、五大国で決まるようになりました。スペイン、オランダ、スウェーデンなどは名実ともに小国扱いで、相手にされなくなります。そして、日本人として知っておかねばならないことは、この五大国は単にヨーロッパの大国なのではなく、世界の五大国ということです。彼らがエサとして目を付けたのは、オスマン・トルコ、ペルシャ、ムガール、清のアジアの四大帝国です。18世紀は、ヨーロッパの大国がアジアの四大帝国に対し優越していった時代です。トルコは十数度にも及ぶ、ロシアとの戦いで疲れ果て、ペルシャは英露の食い物にされ、ムガールは英仏に食い散らかされました。そしてさらに、清国が英露仏に目をつけられています。1840年アヘン戦争以後、清国は次々と領土を奪われ、英露仏をはじめとする列強の草刈り場と化します。日本だって、天下泰平を享受できる環境ではなくなっているのです。