昨日、3月11日が来ました。もう13年前のことだったんですね。2011年3月11日のことはよく覚えています。そして、その出来事の影響は僕の意識を変え、このままではいけないと強く思っていたのを思い出します。最近、やたらダイエットのお話をするのも、以前の流れになりつつある僕自身の戒めの為に、行うという意識の表れだと思います。あの出来事で、自分の意識を変え、自分を変えられたことでその後の難行を乗り切ることが出来たのでは?とふと思います。当時は普通にやっていましたが、今、あらためて振り返ってみると、あの時の変化のための行動をしていなければ、体力的にも精神的にも凄く悲惨なことになったかと思うと、ゾッとします。今の自分があるのも、その時の意識がまだ根強くあり、やはり自分の健康は自分自身でコントロールしないといけない。諦めてはいけないんだということを強く思ったりします。なので、今後生きていく中で、より快適に、より行動できるには自己管理による健康は必要だと意識しますし、大事なことだと思うのです。

 

 たくさんの人々の人生を変えた日が2011年3月11日。東日本大震災が起きました。実は金曜日でしたが、僕は有休を取って、大阪に遊びに行ってました。地震発生時はホテルにいたのですが、大阪でも結構揺れました。その時、のんきにも大阪で地震は珍しいから、これは大変だな~と思いテレビをつけました。すると、東北地方から関東にかけてとんでもない大地震が起きたことを知りました。電話を掛けましたが、全く繋がらず、その後のニュースを見ていると、津波の映像が…もう悲惨なことになってましたね。その後、大阪の友人と会ったのですが、話題は地震と津波の話で、大して盛り上がりもせずに、その日は終わります。ですから、帰宅難民にはなっていなかったのです。聞いたところによると、死の行進のように、凄い数のの人たちが歩いて家路に向かう羽目になっていたようです。次の日、京都の知り合いに会って、用事を済ませました。その時も津波の話題で持ちきりです。幸いなことに、次の日の土曜日は東海道新幹線は平常運転していたので、すんなり東京に戻ることが出来ました。東京についたのは19時ごろ。東京駅のホームは真っ暗で、人も歩いていない、死んだ駅というイメージでした。で、最寄り駅の新小岩駅に到着すると、街灯もついておらず、真っ暗。人も歩いていません。新小岩駅からは通常、バスなのですが、交通機関は動いておらず、現在なら、歩いて帰るのは楽勝なのですが、当時はそうではありませんでした。当時の体重は115キロぐらい。体重計に乗るのもはばかれるほど、そことは向き合ってはいませんでした。ですからザックリそれぐらいという感じです。タクシーを何とか拾い、家の近くのコンビニまで移動しました。コンビニには食べるものは全てソールドアウト状態でした。まあ、仕方がないということで、帰宅すると、家の中は滅茶苦茶。どんだけ揺れたんだよ!と感じて、あらためて地震の凄さを目の当たりにしました。次の日は車で実家に戻り、オカンの安否を確認しました。

 

 で、この東日本大震災はたくさんの影響をもたらしたと思いますし、たくさんの人達の日常を変えてしまいました。東北地方は特に被災した方が大勢いますし、命を落とした人も多数です。未曾有の災害でした。そういう流れの中で、僕も影響を受けました。それは、このままで良いのか?ということでした。何かを変えなければいけないという強い切迫感のようなものです。単純に言いますと、当時の身体能力で、帰宅難民になった時に会社から家まで歩いて帰れるか?という感じです。当時の自分ではNOという判定です。それならば変えなくてはいけないと考えました。当時の健康診断でも、糖尿病の一歩手前、尿酸値も高く痛風の恐れがあると、ボロボロの身体でした。これを一発解決する為には減量するしかないという僕の中での結論です。過去2度ほどダイエットにはチャレンジしていましたから、要領は修得済みです。あとは覚悟の問題。その覚悟が出来て減量を開始するまで3ヶ月を要しました。始めたのは2011年6月10日なのですから。減量の内容は以前にもお話しているので、割愛しますが、ありとあらゆる思いつくことはやりましたね。しかも長期間。その中で、知らなかったこと、気がついたことはたくさんありました。減量のピーク時は2016年でした。5年以上はやり続けたことになります。一番体重が落ちたのは70キロでした。とはいえ、2011年11月からオカンのことでいろいろバタバタ始まりましたから、5ヶ月とはいえ、それらを乗り切るための体力はすでにあったのです。減量を始めた時からは1週間に1キロ落とすペースでしたから、5ヶ月後ですと、約20キロは落ちていいたことになります。筋トレや有酸素運動もしていましたから、かなり体力があったこともあり、乗り切れたと思いますね。減量的には2012年に入ると、なかなか体重は落ちづらくはなっていました。

 

 2016年8月に会社を辞め、本格的なオカンの介護をしてきましたが、減量効果で乗り切れたと思います。とにかく介護は精神的にも体力的にもかなり削られます。予定調和が成立しない日常です。何が起きるのかわからない。朝起きたら、いつものことというモノがない。そんな毎日です。まあ、介護のお話で知っておかねばならぬことは、近々にお話ししますから、割愛します。ただ、介護をしたことがない人が思っている以上に、介護は過酷です。体力的にも、精神的にも追い詰められます。正直、オカンが亡くなったときはやっと終わったという感じでした。悲しみよりも達成感が優っていました。オカンの葬儀もすべて僕がやりましたし、遺産で実家を追い出されることになった後も、大阪に転居するまでの行動は当時の減量した後の、変わった自分でなければ、成立しなかったでしょう。介護も転居も変わった自分でなければ、対応できなかったと思います。どこかで悲惨なことになっていたのかも…そう考えると、2011年の3月以前の僕の身体に戻ることは今の僕にとってはあってはならないことだと強く思うことなのです。きっと、高脂血症や高血圧などの薬を常用するような、セルフコントロールが出来ない身体で過ごしていたと考えますし、そうなると、無理は効かないし、すぐに諦めるし、自信もなく、ただ、発病待ちの状態になったかと思うのです。ひょっとしたら、介護は乗り切れなかったかもしれません。そうなると考えただけでも怖いことになっていたかも…そんな生き方は僕は嫌です。なので、ダイエットにはこだわってしまうのです。それは僕にとっての戒めなのです。こうなってはダメなんだという強い意識が働いていると思います。

 

 減量して、ある程度の成功を収めると何が変わったと言いますと、無理がきくし、健康ですから、体力的には動けるようになります。気持ちも前向きになりますし、何よりも自信がつきます。僕は小さい頃から肥満児でした。しかし、50歳過ぎても、痩せれることが可能という事実はやればできるということを実感しました。ダイエット自体、自分との戦いですから、その自分に克つことで、いろいろな精神的な部分が変わっていったと僕は思っています。僕はあの日を境に、意識を変え、変わったのです。人はたいていは変わりません。変わったとしても、悪い方に変わります。しかし、僕は良い方に変わったと考えています。それは自分に克つことでしか変わらないことだと思うのです。ですから、現在もそういうことにこだわっているのかもしれません。減量で健康が得られるのならば、減量することは良いことだと単純に思っています。しかも、減量できないのは自分に甘く、自分に勝てないことだとも思っているのです。自分に勝てないということは今の流れを変えられないということになります。嫌なことが起き出す、50歳代後半からそれに対応していくにはある程度の、体力と精神力が必要ですが、それに耐えられるかが、60歳に向けての流れだと僕は思っています。この流れをそのまま受け入れる度量がある人や、もうすでに諦めている人ならば、良いのですが、そうではない人にとっては物凄く苦しい体験を強いられることが予測できます。ですから、流れを変えるにも、まずは健康、まずは体力をつけることが大事だと僕は考えています。

 

 俗に60歳以降は伏線回収の年齢になると言われています。過去に行った自分の行動が自分に返ってくるのです。当然、しでかしたことは、それへの罪滅ぼしが待っていますし、良いことをしたら、良いことが戻ってきます。しかし、人間は100点満点の人はいませんから、何かしらのしでかしはしています。それらが大挙して自分に跳ね返ってくるのです。それに耐え続ける年齢になっていきます。奇しくも松本人志は60歳になって、今のような目に遭っています。これは他人事ではないのです。自分にも降りかかることを想定するのは当然のことなのです。誰にでも降りかかってくる苦行ですから。そうなると、それらを受け入れるためには体力と精神力が必要になっていきます。ですから、健康は大事なのです。今の流れのまま進むとしたら、そういう伏線回収は避けられませんから、もろに食らうことになります。それで大丈夫ですか?と思うのです。もし変えられるのならば、変えたい。流れを変えるぐらいのことはできない迄も、自分を変えることは可能です。今、できることをやるというのが大事なっていきます。そうなると、基本的には健康というモノは意識しないと行けないと考えます。幸せな老後はウソであると僕は思っています。老化との戦い、伏線回収との戦い、いろいろないざこざやトラブルが集中して降りかかるのが60歳代からになってくると僕は考えています。ならば、その為の準備はしておかないといけないと僕は考えています。僕は不幸を望むことを良しとしません。できるならば、回避して欲しいと思っています。その為に、今、自分が何ができるのかを今一度、考える時期であると考えています。僕の一つの回答は僕にはダイエットだっただけのことです。体力的にも精神的にも、タフにならないと生き残れないと思いますし、楽しいことも楽しいと感じられなくなるのは勘弁してほしいと思うのです。僕は人は変われると思ってはいますが、変われるのはその人の意識次第です。自分が変わりたいと思って行動に移さなければ、変わることは難しいです。自分に克つという作業がメインだからです。僕は果敢に挑戦し続けますが、その方が楽しいと思うからです。人生は楽しくなければいけませんが、その楽しさを獲得するにはそれなりの苦労がつきものだと僕は思っています。