この『フォレスト・ガンプ』は最近観ました。上映当時のことをよく覚えているのですが、日本語では一期一会というお題も含まれていました。この言葉に凄く違和感を感じて、逆に観に行かなかったのが本音です。時を過ぎて、ネットフリックスの映画欄を観ていたら、この『フォレスト・ガンプ』が載っていたので、観ることにしました。期間限定ということも拍車がかかったと思います。今のうちに観ておかないとという、レア感がそこにはありました。最初に言っておきますが、この映画、僕の中では名作です。とても面白く、しかも深くて、ユーモアもあり、泣ける映画でした。この要素が含まれているので、僕の中では傑作です。非常に印象深い作品です。当時、この映画を評して、政治的意図を感じる映画だと言われていました。しかし、僕が観たところ、そういう要素がわかりませんでした。どこをどう観たら、そういう発想になるのか?不思議に思いました。人それぞれ感じ方は違いますが、僕は素直に、歴史的事実を淡々と表現してきたものだと思います。そういう歴史的事実にユーモアを込めてくるのが憎いなぁ~と思うぐらいです。この映画の凄いところは、アメリカの歴史を知ってれば知ってるほど、味わい深くなるという点です。つまりは、わかる人しかわからないという深みが凄いのです。これはともすれば、フォレスト・ガンプ本人がアメリカの歴史を背負っているようにも見えます。そういう歴史の中で、何が大切かを説いているように僕には見えました。ですから、僕の心に刺さるのです。尺としては長い映画なのですが、小気味よく、淡々と進行していくので、時間を忘れて見入ってしまうという作品です。しかも、なぜ、そういう状況になるのかの説明が一切ありません。おのおの考えてくれと言う感じでしょうか。そこもまた面白いです。

 

 フォレスト・ガンプという命名のエピソードも凄くて、初代KKKの創設した人の名前であり、人は愚かであるということを忘れない為にあえて、息子にその名前を付けるという非常に聡明なお母さんが出てきます。このお母さんの一言一言が感慨深いですね。良いしつけをしていますし、いつもフォレスト・ガンプの味方です。しかも死に際に『死は生命の一部なの』というセリフは秀逸です。ジェニーという女性がキーワードですが、フォレスト・ガンプはこのジェニーのことしか思っていない一途なところも惹かれますね。主演のトム・ハンクスは凄い役者であると思いました。設定はおかしな人物なのですが、全く違和感のないところが凄い。こういう人が現実にいてもおかしくないという感じです。この映画はショッキングなシーンは少なく、匂わせているところが凄くあります。ジェニーのウイルスに感染したというのも、展開からエイズでしょうし、プレスリーやアップルの株を買って大儲けしたということをサラっと出しています。匂わせでどれだけ理解できているか、どれだけ気づけるかが面白いところでもあると思います。この小気味よさ、リズム感が何かの映画と似ているなと思ったのですが、それは『バックトゥザフューチャー』でした。この映画の脚本家も同じ人です。あ~と納得しましたね。そうなると、いろいろな仕掛けがあっても納得します。とにかく展開は淡々と行われていますが、違和感を感じさせないリズム感があります。しかも突拍子もないことを違和感なくですから、それだけでも凄い映画だと思いますね。

 

 そもそもなぜ、日本語の標題で『一期一会』という言葉が使われたのかが謎です。これは、浅い知識と所感でそう考えたのかもしれません。確かにそういう側面もありますが、この映画のテーマはもっと奥が深くて、壮大なものであると僕は思っています。聞き手役が順に入れ替わることから、そう考えたのかもしれませんが、それにしては・・・とは思います。この映画のテーマはとにかく走るということだと思います。何も考えられなかったときに、とにかく走る。そうすれば、悩んでいたこと、考えていたこと、不安や悲しみ、そういうものが吹き飛んで、世界は美しいと感じるというそういう心の余裕ができるのではないかと思っています。この映画でフォレスト・ガンプは走りすぎていますが、これはコメディー要素を入れただけにすぎない、象徴みたいなものです。こういう追い込まれた状態のときは、とにかく走る、とにかく外に出る、とにかく行動する、とにかく、歩きだす!ということがメッセージとしてあるように僕には思えました。フォレスト・ガンプは終始一貫して、ジェニーのことを思い続けています。アメリカンフットボールで有名になっても、ベトナムに兵士として行っても、卓球で有名になっても、海老取り漁船で航海していても、常に、ジェニーのことを思っています。何度か別れや再開を繰り返しながら、やっと、自分の家で生活できると思った矢先に、ジェニーはいなくなります。これはもう、念願だったことが突如、破綻して、とんでもなく心が引き裂かれることだったでしょう。それから走り出すのです。約3年間。走り過ぎです。アメリカを4往復横断しているようです。これは現実離れしていますが、それだけ走れば、という誇張でもあり、それだけ走らないとジェニーの不在を受け入れられないという愛の大きさだと思いました。フォレスト・ガンプが走っている時に、なぜ?どうして?という問いかけをする人がいましたが、走りたいからという純粋さを言っています。こういうところが、グッときますね。そうなんです。言い換えれば、生きるとは、生きたいから、だからなのです。そういうことのメッセージのようにも僕には思えました。

 

 フォレスト・ガンプは人から受けた言葉に対して、凄く義理堅いというか大切にしています。ですから、約束として守るのです。ベトナムで親友になった人がベトナムから帰還したら、海老釣り漁船を買って、大儲けするという夢を語ります。そして、具体的な話をしてくれるのです。運悪く、彼は戦死してしまうのですが、その遺志をフォレスト・ガンプは継ぐのです。約束を守るのは当たり前だろ!という感じで、全財産を注ぎ込んで海老釣り漁船を購入してしまいます。そこに両足を失って、酒に溺れていたダン隊長も加わるのが凄くグッときます。ダン隊長はベトナムを死に場所だと考えていましたが、フォレスト・ガンプに助けられて、両足を失いながらも、アメリカに帰還します。ガンプと再開しても、ガンプを呪いますが、一緒に海老釣り漁船に乗って、航海すると、感謝の気持ちを述べるのです。そこがまたいい。最後の方で、ガンプの結婚式にダン隊長が歩いて、祝福しに来たときはグッときましたね。こういう言葉の思いを大事にしている人、義理堅いと言えばそれまでですが、言葉の重さを知っている人には凄く共感できます。発した言葉は約束と同じというフォレスト・ガンプの姿勢には目頭が熱くなる思いになりますね。

 

 フォレスト・ガンプは歴史的な事象のところに、いつも顔を出します。これはコメディー要素が強くて面白いのですが、シナリオが完璧だと感じました。ほんのちょっとという感じですので、気がつかないと、見過ごしてしまうシーンだからです。細かい仕込みが凄くある映画で、僕はこういう映画が好きです。この『フォレスト・ガンプ』という作品は世界中に愛されていて、『フォレスト・ガンプ』のゆかりのコンセプトで、飲食店が世界中にあるようです。日本にも東京にあるようです。まさに『フォレスト・ガンプ』の世界観で出来ているようです。これはこの映画がどれだけ愛されたかを物語る事象ですし、勇気づけられたり、元気をもらったりと影響を与えた映画だと思うのです。こういう映画を名作と呼ぶと僕は思います。コメディー要素もあり、笑えるし、泣ける。しかも、勇気をもらえる作品は僕は大好きなのです。