1791年6月、ヴァレンヌ逃亡事件が起きますが、失敗。国王一家は再び、ティルリー宮に監禁されることになります。9月、立憲君主制憲法が制定されました。中身は英国憲法の成文化であり、条文自体に問題があるわけではありません。むしろ、のちの1831年のベルギー憲法で参考にされたほどです。ベルギー憲法は複雑怪奇な英国憲法を条文化したものとして、今でも世界中の憲法の模範とされています。世界の模範であるイギリスやベルギーの憲法と同じ内容なのだから、1791年フランス憲法の条文自体に問題があるのではありません。いかなる憲法も、条文よりも精神、そして運用が大事です。国王にこの憲法を押し付けた革命派の思惑は、いったんは立憲君主制憲法で国王の権力を奪い、最終的には王政を廃止することでした。イギリスでは早くから衆議院議員のエドムンド・パークがフランス革命の危険性を警告し、『省察』を記しています。時のイギリス首相は、『ピット氏は国際問題に関心が薄いようだ』などと評されていましたが、実際には気をうかがっていたのです。むしろ、ピットは冷酷非常でした。『国王が殺されてから、ヨーロッパ諸国は戦争に乗り出すであろう』と読んでいました。

 

 1792年、フランス革命戦争はフランス革命政府がオーストリアに宣戦布告するかたちで始まりました。しかし、オーストリアがプロシアをつれて介入してきたので、緒戦では惨憺たる敗退でした。これに乗じて、マクシミリアン・ロベスピエール率いるジャコバン派が権力を掌握します。兵士たちは、のちに国歌となる、『ラ・マルセイエーズ』を歌いながら、行進し、パリに集結します。『祖国は危機にあり!』 革命派はティルリー宮に襲いかかります。この戦いで、国王の近衛兵であるスイス人傭兵たちが、比喩ではなく、最後の1兵までルイ16世を守って戦いました。捕虜となった者も革命派に虐殺されました。二人だけ生き残ったと言われています。ルイ16世、どれほどの人望があったのか。カネでしか動かない傭兵ですら、ここまでするのですから、魅力があったのでしょう。王政は廃止され、共和制になりました(第一共和政)。勢いに乗った、フランス軍は、オーストリア領ネーデルラントに逆襲する勢いです。

 

 1793年、裁判と呼ぶのもおこがましい議会での『糾弾大会』の後、ルイ16世は処刑されます。ロベスピエールの弟子のサンジェストの演説が多数派を形成しました。『長々と国王を裁判にかけるべきではない。ただ殺すべきなのです。・・・手を血塗らせて、現行犯で捕らえた犯罪者として、国王を殺すべきなのです。加えるに、王政は永遠の犯罪なのであります。国王は自然に反するものであります。』 イカれています。こんなヤツらに殺された、もはや『一市民、ルイ・カペー』としか呼ばれない心優しき前国王ルイ16世が監獄を出る時の言葉を紹介しましょう。『わたしは罪を犯したとなじられる。だがわたしに罪はなく、ゆえにわたしは恐れることなく死に赴く。わたしを殺す者たちをわたしは許そう。そして神よ、彼らがこの先、流すであろう血が、どうかフランス全土を覆いつくしませぬように』 平等思想の産物であるギロチンで、首をチョン切られました。ギロチンは、貴族も平民も拷問にかけられることなく、苦しまずにあの世へ行けるから、平等なのだそうです。国王が殺された時、歓声を上げた人もいましたが、多くの国民は悲しみにくれたそうです。心優しきルイ16世がこんな残忍な最期なのですから、国民の恨みを買いまくったマリー・アントワネットが許されるはずもなく、彼女も断頭台の露と消えました。

 

 現在、サミット参加7か国はすべて二院制を採用しています。二院制に対する批判は根強く、『第二院が第一院に賛成すれば不要で、反対すれば有害だ』との、シェイエスの議論が常に引用されます。不要の典型が現在や昭和の参議院、有害の典型がねじれ国会という恥ずかしい歴史を持つ我が国では、実に耳が痛い話です。しかし、『シェイエスの時代のフランス議会は一院制だった。そして国王を処刑したではないか』という反論の方が優勢で、『一院制は何をしでかすかわからない』『不便であろうとも、二院制で慎重を期さねばならない』が世界の政治学の常識なのです。

 

 国王処刑に際し、遂に不世出の大英雄イギリスのウィリアム・ピット首相が立ち上がります。オーストリア、プロシア、スペイン、ネーデルラント、ナポリ、サルディニアを誘い、フランス革命の勢いを止めるべく、大帝国主導の第一次対仏大同盟を結成します。しかし、ロベスピエールの勢いは止まりません。南仏のトゥーロン要塞をイギリスから奪回します。この戦いでは、若き将軍ナポレオン・ボナパルトが巧みに砲兵を運用し、イギリス艦隊を追い払いました。フランス南部で起こった、ヴァンデ反革命叛乱では、農民たちを片っ端から殺していきます。『国王陛下万歳』で始まったフランス革命は国王殺しにいたり、いつのまにか、『特権階級の財産を奪え』と叫んでいた第三身分の人達が地方の農民を殺しまくっています。狂気は、これで終わりません。