前回、日清戦争直前の日本、清、朝鮮半島の情勢の経緯をお話ししました。そして最後に、この3国間の情勢に陰謀が加担したという話で終わっていますが、その陰謀とは何なのか?そこで、今回はヨーロッパのお話をします。最後にどういう陰謀があったのかをお話ししますが…で、不思議に思ったことはなかったでしょうか?日清戦争終了後に、下関条約が締結されますが、そこに待った!をかけて、ロシア、フランス、ドイツが干渉してくる、いわゆる三国干渉ですが、ロシアは隣接しているので、わかりますが、なぜ、フランス、ドイツがくっついてくるのでしょうか?ちなみに、この三国干渉。イギリスも呼んだようですが、断られたそうです。では、アジアの揉め事にいちいちヨーロッパが口を出して来るのか?この辺の経緯は、世界史がわかっていないと意味が分からないことです。こういう世界史を教えないことに問題はありますし、そのところに疑問を持たないのも不思議な感じはしています。なぜ、フランス、ドイツ?と普通はなりますよね。このモヤモヤがあった人はかなり優秀です。そうです。世界史を知らないことには日本の近代史はわからないことがたくさんあるのです。この時代、日本だけの事象を語っていても、片手落ちになっているのが日本史の教科書の欠点なのです。今回はそういうことで、世界史から見た日本ということで、お話をし続けているのですが、ヨーロッパの世界事情を簡単にご説明いたします。

 

 プロイセン王国首相ビスマルクは普仏戦争に勝って、1871年、ドイツ帝国を成立させます。フランスのヴェルサイユ宮殿でヴィルヘルム1世の戴冠式をやっています。調子に乗り過ぎました。ドイツ帝国成立以降、ビスマルクは戦争をしていないのですが、この調子に乗った行為がフランスの恨みを買っているのは知っていたので、摩訶不思議な曲芸同盟を築き上げます。ますは、国境紛争をしていたオーストリアとイタリアを絡めとって、3国同盟を成立させます。その後、バルカン半島で揉め事があると、敵対するロシアとオーストリアを絡めとって三帝同盟を成立させます。さらに、イギリスとロシアが覇権争いをしているので、地中海の保全のためにという名目で、イギリス、イタリア、オーストリア、ドイツとで同盟を結びます。こういう曲芸同盟はビスマルクにしかできないでしょう。ビスマルクはフランスを孤立させて、ヨーロッパの平和を維持してきたのです。この間、イギリス、フランスはアフリカの植民地争いを行い、アジアには来なかった。その為、明治維新を成し遂げ、明治政府の政策で日本は近代化を成し遂げる時間が得られたのです。これは奇跡の時間稼ぎだったのです。こういう摩訶不思議な曲芸外交をすることによりヨーロッパはいったんの平和がありましたが、揉め事が完全になくなったわけではありません。そのもとはロシアでした。ロシアは凍らない港をゲットするのが悲願でした。そのため南下政策という近隣諸国には迷惑な政策を推し進めていました。それは今でも変わりません。現在でも行われているウクライナとの戦争はまさに、あの地をゲットしたいという思惑からの紛争地でもあったのです。ウクライナは黒海に港があります。有名なのはクリミア半島です。当時はそのエリアはオスマン・トルコ領でした。ですから、ロシアはオスマン・トルコと何度も、何度も戦争をしています。何度目かわからに露土戦争にロシアが勝利し、1878年、サンステファノ条約を取ること結びます。これに待った!をかけたのはイギリスとオーストリアです。この条約に干渉しロシアと揉めます。で、ここで両方の同盟国である、ドイツことビスマルクが出ていき、仲介を果たします。結果、ロシアのトルコから分捕ったものは全てご破算にしてしまいます。これがベルリン会議です。1878年にしており、それ以降、ベルリン条約が締結され、ベルリン体制と呼ばれるようになります。ロシアは不服ですが、イギリス、ドイツ、オーストリアを敵に回して戦争をするわけにもいかずここで恨みだけが残る感じになります。ビスマルクは脅しや懐柔を交えながら、ロシアをなだめて、丸め込んでしまします。

 

 ビスマルクという首相はよく、辞任をちらつかせて、皇帝ヴィルヘルム1世を脅しながら、政権を運営していました。ヴィルヘルム1世は聡明な人で、ビスマルクがいなくなると、ドイツどころか、ヨーロッパ情勢もガタガタになると分かっていました。なので、ビスマルクの要求は辞任をちらつかさられると飲むということをしょっちゅう行っていました。で、代替わりになります。あとを継いだのはヴィルヘルム2世です。こいつは『パイプドリーマー』と呼ばれる陰謀が大好きな人物です。1890年、例によってビスマルクが『それならば、辞めさせてもらいます!』と脅迫すると、ヴィルヘルム2世は『どうぞ』という感じで、罷免してしまいます。ビスマルクの失脚です。先のことなど考えていないような御仁です。その年に三帝同盟(ドイツ・ロシア・オーストリア)の更新があったのですが、それを拒否してしまいます。そして、1891年露仏同盟が成立します。これはビスマルクが一番恐れていたことが現実になりました。ドイツに恨みを持っているフランスとロシアにドイツは地政学上挟まれてしまいました。ドイツは露仏に挟まれて、攻撃されたら、アウトです。事実上、ベルリン体制も崩壊してしまいます。さすがに、ヴィルヘルム2世もその状況を露仏同盟成立後にドイツの事情に気がつき、これは何とかしないといけないと考えました。ヴィルヘルム2世は陰謀を考えました。『ロシアに他のエサを与えよう。良いのがある!アジアに目を向けさせよう!』という陰謀です。つまり、ヴィルヘルム2世はロシアをバルカン半島を含むヨーロッパに目を向けさせるのではなく、東方の日本、清、朝鮮の方に目を向けるように仕向けていくのです。それに乗った、ロシアがアジアに注力するように圧力をかけていくのです。これがちょうど、日清戦争前後のロシアの動きであり、陰謀の正体です。ヴィルヘルム2世はロシアがドイツに目を向けないように、日本をエサにしたのです。まんまとそのエサに食いついたのがロシアです。朝鮮半島を制圧すれば、トルコと争わなくても、南下政策の主旨は完結します。そういう流れで、日清戦争は行われていくのですが、その模様は次回に。