今週は風邪を引いたこともあり、従来のシリーズをお休みして、雑感を細々とお話するという週にします。いつもは一気にお話しているのですが、今週は休み休み文章を書けたらなと思っています。風邪を引いているなかで、いろいろと思うこともあり、お話しできそうな話も浮かんだので、とりあえずはそれを消化していこうと思いました。

 

 最近は動画ばかり見ていて、本を読むどころか、買うこともだいぶ少なくなってしまいました。2010年以前は本を読みまくっていました。主に小説ですが、年間に60冊は読破してました。というのも、年末に『このミステリーは凄い』でランキングされている小説を買って読み、あとは、その中で、面白そうな作家がいれば、違う作品も読んだり、定期的に本屋に行き、面白そうな本が見つかったら、買って読むという習慣がありました。ところが、2012年1月に実家に戻ると、僕好みの本屋がないということがわかり、もっぱら、ネットで買うという機会が増えました。本屋での偶然の出会いはそこでなくなったのですが、その頃から、小説は読まなくなりました。というのも、そのぐらいの時期から、経済、政治、歴史をちゃんと勉強するようになり、興味がその方向になっていき、実は小説よりも、現実に起きていたことの方が面白くなって、そういう類の本を読むようになりました。ただ、知見が増えれば増えるほど、作者自体が本が売れるためだけに頑張る、嘘つきとまでは言いませんが、そういう怪しげな、心の貧しい人物であるということがわかってしまい、そういう評論家まがいの書いた書物を読むのに抵抗感が出てきてしまいました。例を挙げると、20113年頃に流行ったのが中国崩壊ものです。書物の内容は明日にでも中国は崩壊するという論調でしたが、現在もちゃんとあります。流れや流行りを利用して、書かれた書物はノストラダムスの大予言で懲りているので、なかなか、疑惑の目が向けられることは当然と言えば当然でしょう。現在の、経済、政治のコメンテーターや評論家は表に出れている時点で、噓つきか、財務省の回し者か、知的レベルの低い人という印象しかないので、そういう人達の著書を読む気にはなりません。恐ろしいことに、まともな考えの持ち主はメディアには出られないのが現状です。ですから、僕が認定する、まともな著者は凄く数が少ないように思っています。

 

 とはいえそれだけが問題ではありません。実は本を買って、読んでいるのですが、読み切れないという現状があります。たまに買った本ですが、内容はとても面白いのですが、全然進まない。読む気がないということなのです。これが本当に問題であると思っているのです。現在、買っていながら、全く読み進めるのを止めてしまっている本を2冊、紹介します。1冊目はこの本ですが、今年買ったと思うのですが、定かではありません。

 

 この本、竹下登の暴露本的な、伝記です。内容は竹下登がいかにして成り上がってきたか、しかも、どれだけエグイことをしてきたかを赤裸々に書かれたものです。竹下登と言えば、見た目が好々爺みたいなので、温厚なイメージがあるかもしれませんが、実情は真逆の人です。敵は容赦なく潰す、誰も逆らえない権力者になりました。内閣支持率が2%台でも消費税3%の法案を通す剛腕さです。しかも、当時の大蔵省を徹底的に潰し、名前まで変えてしまうほどの強さです。権力への執着は凄まじく、小沢一郎に足元をすくわれても、禁断と言われた社会党と組んで、政権の座に返り咲くという凄腕です。平成の藤原道長と言われるほど、絶大な権力を持っていました。この権力者、権力の座に長年ついていても、特に何をやりたいのかわからない人でした。この国を良くしようとか、国民を豊かにするという気はさらさらない、かといってお金にも女性にも執着しない人でした。でも、竹下が首を縦に振らないと物事が進まない状況になっていました。孫のDAIGOが芸能界で生き残っているのも、この竹下登の影響があると僕は睨んでいます。とっくに消えてもおかしくない人ですから。とはいえ、こういう権力者がどうやって、その地位を占めてきたのかというクロニクルの本です。当然、竹下登が亡くなってから出版されました。生前だと、出版差し止めを食らうでしょうし、身辺を嗅ぎまわってますから、下手をすると行方不明に作者はなっていたでしょう。竹下登は今のデフレ時代、失われた30年を作り出した人でもあります。島根県が選挙区のくせに、竹島を韓国に売り飛ばす、売国奴的な側面もあります。ちなみに2002日韓ワールドカップという共同開催にしたのも、本来は日本1国開催できたのに、韓国との共同になったのも、裏で竹下登が指揮したと言われています。とにかく、権力の座についたものの、何をしたかったのかさっぱりわからない人でした。こういうある意味、魅力的な人物のクロニクルは興味があるので、この本を買いました。半分ぐらいまで読んだのですが、竹下登が衆議院議員となり、派閥の長に収まるところまでは読みました。これから、竹下の秘書たちの悲劇の始まりなのですが、そこから進めていません。僕自身、竹下登ブームが去ったこともあります。でも、この本は実に興味深い本ではありますね。なぜ読むことが出来なくなったのかは本の内容とは違う別の理由の感じがしています。

 

 この本も、途中で止まっています。買ったはいいものの、この本も途中で頓挫しています。

 

 平治の乱と言えば、保元の乱の後始末的な戦で、あまり重要視されていないおまけ的な感じがしてました。保元の乱は平安時代の終わりとなる、重要な戦いでしたが、平治の乱は保元の乱の恩賞が不満という理由で行われたと通説にはなっていますし、僕もそうだと思っていました。平治の乱はそういう通説がまかり通っているので、歴史学会でもあまり深く研究する人はいないようです。でも、史実から、事実を積み重ねると、不審な点が浮かび上がったことを解説しているのがこの本なのです。どうも、平治の乱の原因は源義朝が保元の乱の恩賞不足を根に持って起こした乱ではないということなのです。つまり、通説が間違っているということなのです。通説が間違えていることは良くある話ですが、ここにも歴史の面白さが隠れているようです。史実を積み重ねていくと、平清盛の方が恩賞に不満を持っても良さそうな状況で、源義朝は破格の恩賞をもらっていますし、官位もグーンと上がっているのです。なのに、乱を起こすのか?というところが謎なのです。本書ではその従来の通説を細かく分析して、論破しています。そこまで行くと、面白くなるのは当然です。この本を買った当初は僕もそう思っていて、喜んで読み始めたものの、半分ぐらいで放置しているという状況で、結論はわからず仕舞いなのです。そうなると、竹下登の話、同様に、興味的には凄く面白い内容なのに、先に進まないのは別の要因があると考えた方が良いと思いました。この先読み進めた方が絶対に面白いのは間違いないからです。ここに根深い、僕の問題があるのかもしれません。これは性格的な問題なのか?と簡単にはできないことで、実はどんなに面白くない小説でも、必ず読み切っていた過去があるからです。

 

 活字離れ、本離れというのは昔から言われている現象ですが、現在では動画も長いモノよりは短いもの。ショート動画が全盛です。ショートで何がわかるのか?とは思うのですが、これは主に、麻酔コンテンツなので、その辺は良いのでしょう。僕が動画で求めているのは覚醒コンテンツの方なので。とはいえ、覚醒コンテンツの動画ばかり見ていると、疲れます。なので、多少の麻酔コンテンツの動画は観るかなと思いますね。それがミックスされているのが主に、動画視聴であると思います。動画にはみやすさ、間のとり方で、のんびりと見れる利点があります。そういうなかで、覚醒が含まれていたりすると、お!ッと思うのです。対談モノやドキュメンタリーにはそういう要素が含まれまれます。ですから、どうしても、僕がそういう動画視聴の方に流れてしまうのは仕方がないかなと思います。YouTube動画は基本的に無料ですし、つまらなければ、観るのをやめれば良いし、好きな時に好きな時間観ることができる。これが、その時間にならないと観れないテレビと大きく違います。この利点は大きいですね。テレビ側もその利点を追って、ティーバというサイトで見逃し配信をするようになり、ますます、リアルタイムでテレビを観る機会が激減しました。僕の場合、上記の本のように、本は覚醒コンテンツですので、長い時間、これを向き合って読み続けることがしんどくなっているのは確かです。しかも、まともな本自体を探すのが大変です。メディアに出ているほとんどの人がビジネス評論家ですから、内容は何が言いたいのかよくわからないはぐらかしで終わります。彼らは名を売れば良くて、他のビジネスで大儲けを企んでいるにすぎません。立場を利用して、中国と組んでいる輩も少なくはありません。手のひら返しはしょっちゅうですから、言論に信用できるのかというと別の問題になっていきます。こういう人達は自分の手で書物は書かず、ゴーストライターを多用しているのは事実なので、お金を出してわざわざ買うのも気が引けます。まあ、ビジネス評論家のことは後日お話ししますから、それはさておいて。こういう輩が多いなかでの言論界の書物は本物を見つけ出すのがとても難しいと僕は思っています。仮に見つけ出して、購入しても、最後まで読み切れていないので、ますます手から離れていくという状況です。動画を視聴している方が楽ですね。どうしてもそうなってしまいます。

 

 動画配信の中にも教育系はありますが、玉石混交です。というか、大して役に立たないものが多いとすら僕には思っています。ここでも、ビジネス評論家は出てきますが、面白いことに、手のひら返しをすると、その動画の登録者数は激減します。そして凍結状態になります。ここがテレビと違うところです。視聴者が決めるので、その辺はシビアですね。数字を持っていない人はひとつの失言や手のひら返しでアウトです。あとは、長年やっていくと、主張がブレブレになっていくという現象もあります。何言ってるの?この人という感じで、そういうパターンもコアなファンしか残らなくなります。その点は観る側が決めれるので、テレビよりはだいぶ健全です。ただ悪質な商法もあります。登録数が増えたことにより、調子に乗って、カネに走ることが往々にあります。有料会員ならまだ良いのですが、オンラインサロンになると怪しくなっていきます。なにしろ、人ひとりの話には限界があるからです。教育系で、○○○○のYouTube大学というのがありますが、話は面白くしているものの、教科書を話したり、政治経済では池上彰の本をマルパクリして語っているので、内容が浅くて、詳細になるとほぼほぼ間違っています。ざっくりと理解する分には良いのですが、本質的なところが間違えています。それを断定しているのはヤバいなと僕は思っています。まあ、もう観ませんが…。こいつも、オンラインサロンをやっていますが、どんな話をしているのでしょうか?誰かへの提言でしょうか?まあ、僕には全く興味がわきませんが…とにかく、本同様に、動画も、良いものを探し出すのは難しい点では一緒だと思うのです。

 

 動画の方が楽ですし、費用も掛からないことから、良さげな動画を見つけると、そちらの方に傾くのは事実です。時間も20分前後と手軽ですし、本では伝わりにくい、熱量がじかに伝わります。最近では毎月本を出していた人が、動画の方が儲かるということで、動画にシフトしている人も少なくありません。内容が一緒なら、動画の方が理解しやすい、そういう時代なのかもしれません。僕は視聴の環境上、ディスクトップのパソコンで視聴しています。結構大き目な画面なので、テレビ感覚ですね。ネットフリックスなんかでは映画も視聴できますし、評判の映画も見れるし、途中で止めて、休憩もできるので重宝しています。ただし、マンガ雑誌は紙媒体で買っています。スマホでマンガを読むことは絶対にありません。観ずらいというのが根拠です。紙媒体の方が僕は好きなので、毎週、週刊漫画雑誌は購入しています。これは好みであると思いますが、ゆっくりくつろぎながら、動画を観るスタイルというモノが僕には定着してしまっているので、本を読むという環境ではないみたいです。どちらが良いというのは判定はできませんが、それぞれ合ったやり方、媒体で良いかと僕は思います。ただ、以前の僕は本はかなり読んでいる方でしたが、最近は、ここ10年ぐらいは自然と動画の方に移行していたということです。これが正しいということは現実社会には存在しませんから、それぞれ好きなやり方で良いのではないでしょうか。ただ、活字の本も動画も良いところ、悪いところがありますから、それを主催者側がどう考えて、どう工夫していくかだと僕は思っています。個人的には勝った本ぐらい読み切りたいものですね。これは僕の怠け癖がここで発揮しているとも思っています。