2011年頃から、AKB48にハマっていた時期がありました。まだ、大ブレイクする前だったと思います。それ以前から、存在とかは知っていたのですが、あまり興味はなかったです。何しろ人数が多くて…誰が誰なのか?という感じでした。で、ある時、当時親しくしていた彼女が突然、AKB48にハマり出しました。理由は2つあって、ひとつはどうもメンバーに自分によく似た人がいるということ。もうひとつはダンスが素晴らしかったことでした。衣装も可愛いし、面白そうという感じでした。丁度、その時のシングルが『ポニーテールとシュシュ』という楽曲の時です。まあ、あまりにも彼女がハマっているので、付き合うことになったのですが、結果的に僕もハマる羽目になってしまいました。なにしろ、AKB48のことを何も知らないというところから、調査が始まりましたが、デビュー時から遡って掘っていくと、意外に面白かったのです。ただ、メンバーの名前と顔の一致は結構難航しましたが…事実、次のシングル『ヘビーローテーション』では、ソロで映るメンバーが誰なのか、ということが完全にわかるまでは時間がかかりました。チームAとか、チームKとか、チームBというのもよくわかりませんでしたし、その頃にはすでに、秋葉原の劇場公演を観に行くことはほぼ不可能な人気でした。とはいえ、メジャー化したという感じではありませんでしたが…現に『ヘビーローテーション』はミリオンセラーになっていませんし、AKB48といえば、出すシングル、出すシングルがミリオンセラーになることは当たり前の現象が起きていましたので、その前夜というところでしょう。その次のシングル、『ビギナー』でミリオンセラーを記録しました。

 

 AKB48は2005年12月に秋葉原の劇場で初お披露目でした。その時の観客は関係者を除くと7人。実はこの7人を『神7』と呼ばれていました。その後、この『神7』は他のことで使われますが…とにかく、前途多難の歴史でした。いきなりバッと売れたわけではありません。最初のシングル『桜の花びらたち』もメジャーデビューではなく、インディーズでのシングルなのです。こういう苦難を乗り越えて来てから、売れたので、その苦労や売れるまでの4年間の歩みは知れば知るほど面白いモノでした。結構、攻めた曲や、アイドルらしからぬ曲もリリースしていますし、秋元康には珍しく、深い曲もリリースしています。売れるためには何でもするという感じはしていました。アイドルなのに、バラエティーでは結構、何でもやっていたという印象です。良いものを提供しているつもりでも、売れないという時期が続き、2008年にはレコード会社が撤退というヤバイ時期もありました。この頃から、どんどん脱退するメンバーが多かったようです。僕が知り始めた時には一期生は7人ぐらいしか残っていない状況でしたから。2009年に画期的なアイデアが売れるきっかけになったようです。それは何かというと、総選挙です。グループ内のメンバーをファンが順位付けするという、当人たちには過酷なイベントです。しかも、順位ごとに立ち位置が決まるという、ある意味、斬新で残酷なショーの始まりでした。これが受けたのか、徐々に、シングルの販売数が上昇していくことになります。2009年の暮れのシングル『RIVER』はオリコンで初の1位を獲得して、紅白歌合戦も出場できるようになりました。そのころから、大ブレイクの予感というか、大ブレイクの序章の始まりです。2010年には第二回総選挙があり、1回目よりも票数が格段に伸びましたし、2010年の暮れにはセンターポジションをじゃんけんで決めるというじゃんけん大会も実施されました。企画というか、お祭りが斬新すぎて、ついていくものにはワクワクするような企画の目白押しでした。先述した『ビギナ』のMVが放送禁止になったりとか、本来なら大ダメージのことが無かったことにできるぐらい、勢いは止まらなくなったと思いますね。攻めた企画がどんどんハマっていくという感じがします。

 

 AKB48のプロデューサーは秋元康ですが、名プロデューサーと言われていますが、それは虚像でしかないでしょう。実はうまく行ったプロデュースはAKB48ぐらいなのです。数々の企画を立ち上げても、中途半端に終わったり、逃げたり、と失敗は数知れず。1000回やったら、何か当たるだろうというぐらいの山師です。『おニャン子クラブ』でひとやま当てましたが、フジテレビの番組強制終了で、なかったことにされ、この成功は尻つぼみで終わりました。それ以降はいろいろな様々な企画を立ち上げては不成功に終わるというのを繰り返していました。そして、劇場公演を中心とした宝塚歌劇団を模倣したアイドルグループを作るという感じで、実行したのです。先述したように、前途多難ではありましたが、何とか大ブレイクに持ち込みました。そこまでは二人三脚的な立ち位置でずっと、この成功を収めるまで、我慢強く寄り添っていたのです。どこかの新興企業がやるように、どんどん拡大路線をとります。そうなると、自分の手には余ることになります。ここで、秋元康の一番苦手なことが仇となります。彼は後継者や次の世代の人材を育てることが出来ないのです。名目と役職を与えて、丸投げしますから、どんどん衰退するのは目に見て明らかな現象になります。秋元康はAKB48でやりたいことを全部やったので、あとは任すわ!という感じで、一戦から手を引いてしまいます。多分飽きたのでしょう。僕はその潮目は『フライングゲット』あたりだとみています。この作品に以降、明らかにクォリティーが下がっているように見えたからです。もし、今も、秋元康が全力でAKB48に関わっていたら、今のような状況にはなっていないと僕は思っています。ようするに、やる気が途中で失せて、念願だった東京ドームライブで終了となったのでしょう。僕にはそう見えます。とはいえ、画期的なアイデアとして、CDを1人に複数枚以上売る企画を成し遂げたことでしょう。推しに会える握手券をエサにして、CDを販売する。不況で、どのCDも売れない状況であるときに、AKB48のCDだけは売れていました。しかも、20枚目のシングル『桜の花になろう』以降はずっと、ミリオンセラーを記録しています。曲自体はどうでもよくて、握手券が欲しいということで、CDが爆発的に売れるのです。こういう視点はなかったことなので、凄いと思いましたね。

 

 僕は21枚目のシングル『Everyday、カチューシャ』、あたりで、どんどん飽きてきました。というのも、大抵のAKB48に関する情報は手に入れてしまい、新しい情報が無かったことによります。この『Everyday、カチューシャ』という楽曲は名曲だと思いますし、これ以降のシングルのクォリティーは下がっていく感じがしています。そこでどうしたか?離れようと思っていたのですが、彼女からの提案で握手会に行ってみれば?という言葉でそうすることにしました。彼女自身も何回も握手会にはいっており、その時のエピソードを聞いてました。では、行ってみようということで、まだ曲名が決まっていないうちに握手会の募集はしています。CDを買う前提で、ネットで予約するわけなのですが…始めて行った握手会は『フライングゲット』の時でした。握手会の募集はシングル曲が発売する3ヶ月前に行われるので、曲名は決まっていない時が多いです。しかし、握手会は抽選で応募ですので、人気のあるメンバーはすぐに埋まってしまうという状況です。初めてだったので1時間ごとに3名のメンバーをセレクトして、抽選でも難なくゲットできました。最初に行ったのは板野友美、大島優子、柏木由紀の3名でした。場所は幕張メッセ。たくさんの人が集まっていました。握手会は1時間を区切っているのですが、本当に一瞬で終わります。次の回まで膨大な時間が残るという感じでした。この経験を生かし、1時間ひとりでは暇すぎるので、他のメンバーにも握手してもらおうと思い、複数人入れました。並ぶペースとしては1時間に3人がベストですね。4人以上だと、誰から行くのかを考えないとダメです。メンバーによりますが、僕は板野友美推しでしたので、毎回、ともちんは握手会にいく時は入れていました。ともちんは出てくるのが遅いので、時間通りにいくとだいぶ待たされます。この時間がロスなので、早めに出てくるメンバーから行くというのが基本でした。時間通りに出てくるのは高橋みなみです。まあ、そんな感じで、ほぼほぼ、各シングルの時の握手会にはいってました。覚えているのは『真夏のSounds good !』の握手会の時ですが、人が多すぎて、多すぎて。もうこの時になると、大ブレイクしていましたから、握手会の人数も凄いものがあります。握手会以外は興味が無くなっている僕にとってはそろそろかなと思いました…そのころは、AKB48だけではなく、SKEやNMBのメンバーの方に行ってました。特にSKEの握手の対応は素晴らしい。神対応が連発でしたね。それに比べると、AKB48の人気でないメンバーのやる気のなさは目に余りました。こういうところで明暗がくっきり出るのかなと思いましたね。『さよならクロール』の握手会を最後に握手会に行くのも終了しました。それはともちんが卒業を発表していたからです。主要メンバーが抜けるという現象が始まりました。AKB48の主要メンバー神7には一通り、行ってきました。あとはその他の主要メンバーで気になる人には行きました。あとはSKEの主要メンバーですね。この次のシングル『恋するフォーチュンクッキー』で国民的アイドルグループに上りつめていきます。AKB48好きという利権に好きそうな小林よしのりや田原総一朗も参戦してくるという謎の現象が起きていましたが、僕は冷ややかな目で見ていました。僕にとってはその2年前にAKB48はピークになったと思っていたからです。とはいえ、握手会には通い続けましたから、莫大なお金が秋元康の戦略にまんまとハマって行ったと考えます。彼だけがぶくぶく肥え太っていったのですが、それだけあの戦略は有効であり、ヒットだったんだと思いますね。常識の根底を崩すアイデアだったと思いますから。

 

 現状、AKB48はどうなっているのか?僕が興味を無くし、握手会にも行かなくなってから、10年が経過しようとしています。僕にとっては良い記憶ですが、残されて今も活動している人達は大変です。いろいろ騒動もあり、不祥事もあり、最大の売りの会いにいけるアイドルがコロナ禍で出来なくなってしまいました。まさに逆風だらけです。そんな中、どんどん縮小しているイメージですし、もうゆっくりと消滅の道を歩むのか?という感じがしています。結果的に、AKB48の歌も忘れられてしまうので、なかったことになっちゃうのかな・・・と思いますね。今でも、芸能界で生き残っている人は少数です。あの現象は本当にブームだったのか?と思ってしまいますね。それは凄く残念な気持ちになります。