マーガレット・サッチャーのあとは、ジョン・メージャーが継ぎます。メージャーはサッチャーの秘蔵っ子のような立場でしたが、もともとはサーカス団員の息子で、どう考えても労働党に入るような人なのですが、47歳で首相に就任、保守党のシンデレラボーイと言われました。ただ、経験が浅く、前任者の陰に隠れるところがありました。当時の世界の最大の関心事はユーゴ紛争でしたが、メージャーはフランスのジャック・シラクとともに、かなりマトモでした。後任のブレアが好戦的で、話をこじらせてばかりでしたので、あとから見ると、メージャーがマトモに思えたのです。実はメージャーは香港返還を控えていたこともあり、日米安保にイギリスも交ぜさせてもらう形で日英同盟を模索していたというのです。しかし、残念なことに、当時の日本の総理大臣は村山富市という御仁でした。幻の日英同盟復活。そんな話を主導するほどできる政治家ではなく、むしろ無能の部類に入る大失態の総理大臣でした。全世界に迷惑をかけまくっていた総理大臣だったからです。その大迷惑さを本人は全く自覚がないという愚かさですから、頭が痛いです。

 

 では、村山富市が何をしたのかというと、『過去の日本の侵略と植民地支配』を全世界に謝罪した村山談話が有名です。しかも、侵略と植民地支配が何を指すのかを、全く定義せずにです・・・愚か者と言っても良いぐらいの所業です。この村山談話は全世界に迷惑をかけました。ヨーロッパ諸国は、日本が謝るのならば、お前は何だ!となります。ヨーロッパ諸国は日本以上に酷いことをやっていましたから。例えば、ベルギーなどはコンゴを『国王私有地』にして搾取が酷すぎたので、国家管理の植民地にして喜んでもらったという凄まじさです。フランス人の歴史家、ルネ・ジローは『ドイツ自らの植民地にしなかったビスマルクの罪は重い』などと言い出す始末です。だいたい、中南米やアフリカで『正しい歴史教育』などしたら、有色人種は御先祖様の非業を知るだけなので、白人を殺す大義名分しかできません。現にジンバブエでは白人の土地を全部取り上げるなどしたために、第一次大戦後にしか起こらなかった、ハイパーインフレーションに見舞われました。そのすさまじさは、『1兆ジンバブエドル札』が登場したほどでした。村山談話とは何だったんだ?村山富市は何だったんだ?という話になります。日本の首相がこれですから頭が痛いですね。村山談話が世界に発信されてから数年後、とある学会にイギリス人の研究者が来ました。その時の発言がぶっ飛んでいます。『イギリスの植民地対策において、インドではちょっといただけませんねぇ。タスマニアはやりすぎましたかねぇ』でした。インドでは、産業を破壊するために職人の手首を切って回りました。独立運動が高まると、パキスタンのイスラム教徒にも独立運動を起こさせ、インド人の運動を邪魔させます。日本に負けて独立を認めた時も、インドとパキスタンは分離独立でした。この両国の憎しみ合いは、バルカン人以上です。核まで保有し合っていますから。一方が、自由主義陣営に入れば、もう一方は共産主義陣営と仲良くする、とばかりにです。タスマニアでは、最後の1人が死ぬのを確認するまでの殲滅を行いました。ヒトラーのユダヤ人ジェノサイドは悲惨でしたが、未遂です。イギリス人のタスマニア人へのジェノサイドは完遂です。それを、『ちょっと、いただけない』『やりすぎ』で済ませる神経がイギリス人にはあるということなのです。この狡猾さ、が大英帝国の強味でもありますし、現在のイギリス人も踏襲しているマインドなのです。今は死んだふりをしているという状況でしょうか・・・

 

 労働党ながらサッチャーに倣った党改革で政権を奪取したのが、トニ・ブレア―です。ブレアは対外政策では保守党以上の対米同盟重視を行いました。それは他に選択肢がないので構わないのですが。ある日、米英両首脳合同記者会見で、記者が『ブレア首相があなたのプードルだと言われていることについてどう思いますか?』とジョージ・ブッシュ(二世)大統領に質問したところ、ブレアは『違うと言ってくれよ』とおどけていました。同じ時期の小泉純一郎首相がアメリカのイヌだから、『アメポチ』と呼ばれているのを知ったブレアは、『日本でもそんな風に言われるんだ』と驚いていました。どれだけ日本のことって、注目されていないのでしょうか?ブレアにとって最悪な改革は憲法改革です。ブレアは旧来の憲法秩序を『古くさい』『ムダだ』と片っ端から否定しました。それで良くなったものが一つもなく、むしろ悪化したモノばかりです。特に、アイルランドには一方的に条件を吞ませる形でテロ組織にすら融和政策を続け、スコットランドとウェールズには広範な自治権を約束しました。将来の独立すら示唆しています。2016年では、スコットランド独立の住民投票が僅差で否決されましたが、民族主義政党が伸張しています。住民投票の当事者のディーヴィッド・キャメロンばかり責められるのですが、そういう人がブレアについて言及しないのは不思議です。ブレアの無能な憲法改革こそ、『フレデリック・ノース以来のアホ宰相』と呼ばれる理由です。

 

 昔日の栄光はどこへやらですが、直近でもイギリス政治に感心したことがありました。2010年、ゴールド・ブラウン首相は解散総選挙に打って出ました。しかし、与党労働党は保守党に敗れ、第2党に転落します。しかし、第3党の自民党(かつての自由党)と組めば、多数となり、政権を維持できます。ブラウンは悪あがきをして自民党に工作の電話をかけはじめました。これを阻止したのは労働党の幹部たちです。『我々は選挙に負けたのだ。政権は保守党に譲るべきだ。単独内閣か連立内閣かは、保守党に決める権利がある。我々は下野して、次の選挙に向けてやり直すべきだ』と、ブラウンを説得したのです。憲法の裏付けは総選挙において示された民意だということです。英国憲法は決して不可能を要求しません。政治家に権力闘争をするなとは言わないのです。むしろ、正々堂々と権力闘争をする方法を提示しているのです。卑怯なマネをすると国民が許さない。次の選挙で制裁される。この緊張感が憲法を支えているのです。2010年は労働党が引いた結果、保守・自民連立政権が成立しました。その次の総選挙でも『二大政党制は終わった』などと言った無責任な評論が大ハズレで、保守党が単独過半数を得ました。思い起こせば、20世紀初頭、ウォルポール以来200年続いた保守・自由の二大政党制が再編され、保守・労働の二大政党制になります。この間、約40年をかけています。たった1回や2回の総選挙で結論を出すのは早計だ、とだけは言えるでしょう。

 

 2016年にキャメロン首相がEU離脱への国民投票を行いました。結果、EU離脱賛成が上回り、EU離脱へと舵がきられることになります。EUでのイギリスの立ち位置として、EU内ではユーロいう共通の通貨を使用することに対し、イギリスはポンドを保持するということで合意を得ていました。EU圏の関税がないこと、金融市場の拠点がロンドンシティーにあることで、イギリス的には経済的にEUにいた方がメリットは大きいのです。しかし、英国国民はそうは思っていませんでした。英国政府がEUからあれやこれや言われること、移民問題など、EUに留まるデメリットを大きく問題視して、EU離脱の決断をしたのです。このことをブレグジットと呼びます。正規なブレグジットを行うまで、英国も牛歩戦術を使い、ダラダラしていきますが、結局は2020年1月に正式にEU離脱になるということとなりました。英国がEU離脱すると、EUは様々な制裁を加えるとか、様々な弊害があるとか、いろいろな憶測が流れましたが、さすが英国。EU離脱しても、まるでなかったかの如くの感じに現在ではなっています。この辺が狡猾で、賢い英国のやり口だと思いました。現在の日本では英国よりもアメリカを重要視する向きがありますが、アメリカから学ぶためには少なくてもイギリスのことを知っておかないことには理解できないことがたくさんあります。それこそが教養だと考えます。英国の歴史はある意味、諸外国にとっては悲惨なことばかりしていましたが、その強さやその本質、なぜ世界最強になれたのかを知ることは必要だと僕は思っています。現在は死んだふりをしているように、英国はおとなしいですが、必ず何かを狙っているのがこれまでの英国の歴史です。この先も英国の動きは注視していくのが必要だと僕は思います。