11月に入って、涼しいというか寒い季節になってきました。そこで困るのが外出時の服装です。外出した直後は少し寒いのですが、7000歩以上歩いたりすると、汗が出てきます。この丁度良い感じの服装選びが出来ていません。歩いていると、ジャンバーを着ている人やTシャツで歩いている人もいます。自分の身体に応じた服装をしていると思うのですが、自分の加減がわからなくて困っています。あまり出歩くことに積極的ではない現状なので、さらにどうしようかと思う日々です。遠出をすると、それだけ服装には気を配らないといけないので、これは考えモノです。特にここに行きたい!という強い思い付きがないので、しばらくはほっておこうかと思っているのですが、そうなると、冬になってしまいそうです…僕的にはゆっくり行けばよいかなと思ってしまいます。

 

 昨日、『ドライブマイカー』という映画を観ました。約3時間の映画でしたので、途中、休憩しながら見終えました。便利なもので、自宅にいながら、視聴が出来ます。この映画は村上春樹の短編集が原作です。とはいえ、村上春樹が出さないであろう言葉が出てきたので、ある意味、村上春樹の語らない、物語に答えを出しているという映画です。僕は村上春樹の小説を読んではいますが、あまり好みではありません。ですから、答えが出ていることに、お!となりました。この映画は覚醒コンテンツで、会話の内容のひとつひとつに意味があるので、じっくり集中して見ていないとわからない映画です。ですから、疲れます。ただ、凄く僕は面白かったです。こういう深いテーマの映画を観るのも久しぶりなので、新鮮でした。ひとつひとつ理解しながら観るのもアリなのかなと思います。感動とかは僕はありませんでしたが、深く考えるヒントにはなりました。

 

 先週、競馬は4つの重賞レースがありました。すべてハズレました。しかも、あと一歩詰めていれば、全て的中できました。凄く難しいレースでしたが、凄く悔しい思いをしました。この悔しさは自分の詰めの甘さに起因することで、自分自身に腹が立ちました。ここまで読めているのにあと一歩だった…詰めが甘い。その一言に尽きます。そういうレースを回顧し、分析するのはいつもやっていることですが、凄くシンドイ作業です。ただ、失敗をなかったことには僕は出来ないので、しっかりと分析して、次に繋げたいと思っています。どこで、どう間違えていたのか、どうやったら、的中にたどり着けたのか、思考回路の点検を僕はしています。そこで、誤りの思考回路が見えてくると、今度はそれをやらないようにする。その繰り返しの作業です。ですから、1年前よりはかなり精度は上がってきています。とはいえ、的中にたどり着けないのですから、まだまだです。無かったことにするのは簡単ですが、それをすると、気持ち的には楽ですが、全く今後の、成果は上がらないと僕は思っています。失敗から学ぶことは全て取り入れようと思うのが僕のスタイルです。そうなると考える量も多くなるのですが…まあ、これも楽しみのひとつなので。

 

 で、この悔しさということを考えてみました。普段の日常であまり悔しい思いはしないと思います。この悔しいという思いは毎週競馬をしていますが、あまりお目にはかかりません。やはり、悔しいという感情は大事だと思うのです。ここで間違っているのは誰かのせいにすることです。これはダメでしょう。あくまでも自分の不甲斐なさ、いたらなさへの思いでないと意味はありません。なぜかというと、その悔しいという思いが自分に向けられれば、成長できるきっかけになると考えるからです。ここが頂点、これ以上は成長しないという発想が僕にはありません。いくつになっても、成長したいという思いがあります。それがなくなる時は諦めてしまった時だと思うので、それは僕は違うと考えています。しょうがない、仕方がないで済ませてしまうのは思考停止だと思うのです。それで満足している人は良いのですが、僕は違うということなのです。僕はまだまだ、未熟であるということを日々痛感しています。

 

 で、この悔しさという思いはもうひとつ、感情が動くということでもあります。この感情が動くということは大事なことだと思うのです。感情が動くということは心が動くことです。心ががんじがらめになっていなくて、自由な状態だと思うのです。そうなると、感動することもできます。感動は心と心が触れ合った時に起こるものです。それはエンタメを観ていても起きることです。相手の思いを受信できれば、それは心が通うことになると思うのです。感情が動くということは、この感受性が鈍くなっていない証拠になると僕は思っています。この感性は鈍らしたくないなというのが僕の願いです。感受性が豊かなままでないと、何事も楽しめないと思うのです。こういうことを僕は心がけています。感情を爆発させるのは悪いことではありません。それを無理やり蓋をすることはその場では良いことかもしれませんが、いずれ破綻を起こします。適度に適当に爆発する前に素直に感情を出すことは良いことであると僕は思っています。

 

 まあ、こんなことを考えながら、日々は過ぎていきます。何だかおかしなことが世間で起きそうな予感もします。ただ、それはそれとして、自分の思いついたことを自分なりに消化しようと努めることが日々の課題かなと思っています。