1603年にエリザベス1世が崩御します。継いだのは、親戚だけれども、スコットランド人のジェームズ1世です。チューダー朝からスチュアート朝に移ります。ジェームズ1世は、エリザベス1世が処刑した、スコットランド女王メアリの息子です。遠い親戚という点を除けば、完全な政権交代です。エリザベス1世が危篤だというので、宮中や議会の実力者はジェームズ1世と連絡を取り合い、Xデーに備えていたのでした。スコットランド王としてはジェームズ6世、イングランド王としてはジェームズ1世、両国に同じ国王が治める同君連合国になりました。形としてはスコットランドの王様がイングランドに乗り込んできて、空位となった王冠を戴いたことになります。ジェームズ1世はスコットランド・ルネッサンスの文化人で、王権神授説を信奉していました。しかし、身なりが悪いので、『キリスト教世界の最も賢い愚か者』と呼ばれる羽目になります。最初こそ、イングランドの祖法を守ろうとしたのですが、だんだんと議会を無視して、特権商人を保護するようになります。自分の政権基盤の勢力に利権をばらまこうということです。ヨーロッパ大陸で30年戦争が始まる時期と重なりますが、宗教弾圧は苛烈を極めていきます。アイルランドを拠点とするカトリックはもちろん、国教会とは対立する同じプロテスタントの清教徒(ピューリタン)を締め上げたことから、その一部がメイフラワー号に乗ってアメリカ大陸へ行き、現地で人の道にはずれた悪さをしまくるという感じです。晩年、ジェームズ1世は娘婿のプファルツ伯がプロテスタント陣営だったので、援助の為に30年戦争に参戦しようとしました。しかし、イングランド議会は財政難を理由に応じず、対立は深まるのです。

 

 1625年、息子のチャールズ1世が後を継ぎました。父、ジェームズ1世以上に王権神授説を信奉します。冷静に考えれば、王の権力を神様以外の誰も意見が出来ないとする王権神授説と、王は何事も議会の同意を得て行動せよとする議会主義は、相容れない存在です。1628年、貴族たちは『増税には議会の同意が必要である』『不当な逮捕、投獄、刑罰の禁止などの人身の自由』などを定めた権利の請願を突きつけます。内容は400年前のマグナ・カルタを思い出したかのようです。この文書は、かつて『王と言えども、主と自らが定めた法には従わねばならない』と主張したエドワード・コークが作成しました。チャールズ1世はいったん同意するも、翌年には破棄、さらに、17世紀に起きた二度にわたる革命で復活したり廃止されたりを繰り返して、効力が復活し、今では憲法の一部、三大古典的文書のひとつとされています。ここで、エドワード・コークが説いた『いかなる権力者も法には従わなければならない』とする精神は『法の支配』としてイギリスの憲法律となっています。

 

 最初は30年戦争への不介入姿勢から『平和王』と呼ばれたチャールズ1世も、いつのまにか『戦争王』と呼ばれるようになります。30年戦争には短期間だけ介入したのですが、立ちふさがった相手はフランスのリシュリュー卿でした。フランス史上最強の総理大臣と評価される人物です。イングランド海軍はリシュリュー率いるフランス軍に蹴散らされて逃げ帰りました。ブリテン島内にも宗教戦争は飛び火し、1639年にはチャールズ1世がスコットランドに国教会を強制し、反乱を起こされてしまいます。2年にわたる反乱の末、チャールズ1世は戦費を調達する必要に迫られました。1640年に4月から5月に短期議会、さらに内乱が終結して、2ヶ月後の11月には再び議会の招集を余儀なくされます。この議会は1653年まで開かれ、長期議会と呼ばれることとなります。長期議会は星室庁(法廷の地面に大きな星があったので、スターチェンバーと呼ばれる)という国王直属の裁判所を廃止するなどの成果を上げます。これがイギリスにおける司法権独立の端緒とされています。さて、増税で当時の議会の不満は爆発寸前でした。これに対し、1642年、チャールズ1世は軍隊を率いて衆議院に乱入し、反対派の5人の議員を逮捕しようとします。ここに、王党派と議会派が完全に分裂し、イングランドは内戦状態に突入しました。議会派のリーダーが原理主義的な清教徒(ピューリタン)のオリバー・クロムウエルだったので、清教徒革命と呼ばれます。

 

 余談ですが、現在の日本国憲法五十条には議会開会中の不逮捕特権が記され、真面目に条文を読んで勉強した学生さんは、『なぜ悪いことをした議員を逮捕できないのか?』と疑問を持ちます。気の利いた先生は、『昔、イギリスの王様が反対派を逮捕して多数をひっくり返そうとした例があるので、政府がそういうことをしないようにする制度なのだ』と教えてくれます。もう少し気の利いた先生なら、『日本国憲法五十条のもとは大日本帝国憲法五十三条で、明治の人達がイギリスの憲法を研究して取り入れた』と教えてくれるでしょう。そのイギリスの王様こそチャールズ1世です。現在のイギリス議会もこの先例を重く見て、開院式の時は事件を再現する儀式を行っています。

 

 次回はピューリタン革命のお話をします。イギリスにおける黒歴史です。