ちまたで言われる毒親問題、思考停止問題による幼稚化は実は凄く根の深い問題なのです。この2つの問題の根っこにあることは共通しています。それは親の影響なのです。親の価値観をもろに影響を受け、それが正しいと信じ込まされて生きてきた人たちはそれを人生に活用し、子供達にも伝えることから、これらの問題が起きてしまうのです。つまり、この2つの問題の根っこは親がどう考え、どう生きてきたかということに遡るのです。親の因果が子に報いという言葉がありますが、実はそれほど簡単な話ではなく、代々受け継がれた伝統のようなものになってしまうと、そこから抜け出せなくなるという地獄を延々とさまようことになるのです。

 

 毒親問題のネックは男性ならば父親、女性ならば母親の影響なのです。その影響を受けた子供たちがやがて、親になり、同じようなことを起こすのです。ですから、そのようなことが起きれば、どこかで終止符を打たないと、やめないことには、ずっと続くことになります。つまり、現在起きている毒親問題は現在の親の父親、母親の抱えていた問題なのです。ですから根が深いわけです。親の影響は子供にとって絶大です。それが間違っていると気がつく子供は優秀ですが、大抵は気がつきません。子供をひとりの人間として扱えない、子供意見などまるで無視は良くあることのように思えます。親にとっては子供の将来を考えてということでしょうが、明らかに選択肢を狭めているのが現状です。逆に親の作ったレールを乗っかる子供はロクな人にはなりませんが、この子供が親になった時に、同じように子供にレールを作りますから、厄介な現象が続くのです。当然、劣化は進みますから、強制的に受け継がれた子供は不憫でしょう。そんなことが現象として問題になっているのです。ですから、子供のためを思って、と言いながら、子供が地獄に行くように誘導しているという愚かなことが行われているのです。なぜ、そういう人達は子供の意見を全く聞かないのかは疑問です。親が思い描いている価値観が実は間違っていたということは現代では有りがちです。なぜかというと、その価値観で上手くいくという賞味期限があまりにも短くなっているからなのです。一流企業に就職すれば、幸福な一生を過ごせるということは、今では幻想にもなっていません。まずは、一流企業自体が20年前がそうでも、20年後に生き残れているかは疑問だからです。倒産したり、無くなってしまったり、ということはアリがちです。実はブラック企業でしたということがバレて、あっという間に駄目になるというパターンもあります。現代ではいかに個人の力が大事であるか、個人の発想力や想像力、行動力が問われている時代です。でもそういうことは学校では教わりません。試験の成績が良くても、ダメな人はうんざりするほど多いです。そういう人達は落ちこぼれていく、脱落していくという挫折を味わうのです。でも、親たち世代はこの学歴偏重主義を止めませんから、今の若い人たちは非常に大変だと思うのです。ですから、『毒親問題』という話が出ますし、『親ガチャ』という言葉が出るのです。まさか、親たちは自分のことを言われているとは思っていないので、というか、そういう賢明さを持ち合わせていないので、自分の価値観をどんどん子供たちに、若い人たちに押し付けていくのです。本当はどこかで気がついて、この不幸の連鎖を止めさせなければいけないのですが…

 

 思考停止問題は親の影響を正しいと信じ込み、一切疑問の余地を見出さないという現象になって行きます。新興宗教にハマる人達と似ています。この複雑な社会で生き残るためには、難しいことを考えるよりも、思考停止した方が楽だからという無意識の理由でそうなってしまいます。親に飼いならされて、絶対服従になっていたら、経済的にそうなるのは仕方がないとしても、どこかで気がつかなければ、どこかで解放されなければいけないのですが、それを放棄してしまう。その方が楽だからという理由で。実は、思考停止の魔力はその人の親たちもそうやって育てられているので、思考停止は伝承されていくのです。思考停止は自分の頭で考えて、自分の頭で決断することが出来ません。これが正しいという信仰心は絶大で、それを継承していこうとすら思えるような行動に出ます。こういうことを子供の頃から受け継がれてしまうと、その子供たちが大人になっても、体の良い家畜誕生で終了です。家畜は何も考えられませんから、ステイタスのあるものに飛びつきます。それが消費社会を生み、経済を回しているのですから、選挙なんか行きませんよね。こういう家畜は権力者にとっては非常に都合の良い存在なのです。思考停止している親が子供に思考停止を暗に、しつけますから、こういう人が増えても仕方がりませんし、そういうことを巧みに嗅ぎ分けた人間がそういう人達を食い物にしているというのが現状でしょう。思考停止は老化現象も相まって、よほど意識していないと、考えはバージョンアップなどしません。50歳以上の人達が人の意見を聞かないし、頑固になるのは立派な老化現象ですし、もともと、思考停止が強いし、思い込みも激しいので、どうにもコントロールが難しいでしょう。思考停止している自体に気がついていないことが多いと僕は考えます。

 

 果たして、この毒親問題、思考停止問題に陥った人たちは幸せなんでしょうか? それは単に、そう思いたいと思ってるかもしれませんが、冷静に見たら、地獄だと僕は思います。何に悩んでいるのかわかりませんし、解決の糸口も見えませんから、ひたすら苦しいだけです。人生は苦労の連続だという人がいますが、それはほとんどの場合、身から出た錆なのです。当の本人がそのことに気がついていないのですから、ある意味幸せに苦しんでいるのかもしれません。

 

 僕が両親に感謝することは、こういう、親の影響を極力、僕に継承させなかったことなのです。僕は子供の頃から、親から、特に母親からはあれしろ、これしろとはほとんど言われたことはありません。高校受験の志望校も大学受験の志望校も就職先もすべて自分で決めてきましたし、それに対して、何の意見も影響もありませんでした。『お前の人生だから好きにやれば!』というのが母の口癖でした。ですから、大学生の時に家を出ると言いだした時も何も言いませんでしたし、何らかしらのバックアップはしてくれていました。母は自分の行きたい高校には行かせてもらえなかったこと悔やんでいましたから、息子にはそれをさせたくなかったのでしょう。僕の仕事上のことの話も一切聞いてきませんでした。しかし、僕に対しては過度の心配性だったので、風邪でも引こうものなら大騒ぎでした。お節介な母がそれだけは口出しを避けていたので、父親も何も言いませんでした。つまり、両親とも、自分の代で負の連鎖に終止符を打っていたのです。今ではそのことだけが僕が感謝することです。『相手の立場になってモノを考えなさい!』『人には親切にしなさい』ということはよく言われましたが、それ以外の人生の指針になるべきことは自分で考えろ!というスタンスでした。そう考えていくと、毒親問題には物理的に遠い所にいますが、思考停止問題には関与できません。なぜならば、いつも自分で何でも決めてきたので、思考停止することは自分で自分が無くなる時だからです。それが僕は一番好きではないことだからです。今、思うと、気づいたり、考えたり、学んだりして、自分をバージョンアップさせることに意識を持っているのは両親のお陰かもしれないと思うようになっています。

 

 親が子供に口出ししないということは忍耐のいることだとは思います。そこにはちゃんとした信頼と、その子供を1人の人間と思う発想がないと成立しません。子供たちが勝手にやってるしは、父親に良くありがちですが、ある意味、興味がないのか?ネグレクトとあまり変わらないのではないかと思ってしまいます。というのも、思考停止のなせる業だからです。思考停止を避けたいのならば、子供から話をどれだけ引き出せるかになると思います。子供視点に興味を持ち、子供意見を聞いて、いろいろな視点の多さを学ぶことが必要だと思うのです。少なくても、親の威厳が~!っていう発想がある人には難しいことだと僕は思います。