最近、記憶のことを考えます。記憶というと、まず浮かぶのは何が一番最初の記憶かということなのですが、僕は少々、風変りの記憶が最初なのです。僕の最初の記憶は・・・

 

 『また人間やるのかよ!面倒臭いな~

 

 という記憶です。この想いか、何だかわからない言葉の後に、3歳の頃の記憶がありますので、一番最初の記憶だと思われます。この言葉は3歳の時にすでに覚えており、その後、幼稚園、小学生、中学生と記憶が積み重なっているのですが、一番最初ということになるようです。この言葉は今から思うと、不思議な言葉なのですが、僕的にはすんなり受け入れ、今でも記憶している一番古い記憶になっています。この言葉から、派生することは僕の考え方を大きく作用していると思っています。この言葉から推察されることは、人間以外の存在があることですし、輪廻転生はあるということです。オカルトですが、僕はすんなり受け入れました。そうなると、人間のレベルを超えたい。どんどん成長したい、どんどん知りたいという好奇心旺盛な人になっていっていると思っています。人間のレベルとは物質的な成功とかではなく、心の成長、心のレベルアップ、魂のレベル向上だと思っています。今生で人間は終わらすという独特の感覚です。しかし、この僕という箱物の魂は幼稚で自分勝手で、エゴにまみれています。最低のレベルです。これのレベルを上げていく作業ですから、いろいろな経験も含め、失敗を繰り返して、常に学ぶ姿勢と、気づく姿勢を意識するという感じになっています。ここまでやったけれど、と一旦、頂点を見極めても、そこに登りつくと、さらに上の頂点が垣間見えるという・・・それの繰り返しです。そこで折れることはないのですが、素直に、また登り続ければいけません。そうなってくると、満足という境地に達することができないのです。我ながら、何とも不器用なことを目指しているのか?具体的なところではなく、抽象度が極めて高い、場所なので、何とも説明はできません。仏教でいうところの、悟りを得るを何度も何度も繰り返して見える景色だと僕は思っています。その為には記憶していることは僕にとっては武器だと思っているのです。

 

 記憶については20歳代の前半に心に沁みた言葉がありました。何かのマンガにあった言葉ですが…

 

 『人生とは記憶の積み重ね。たくさんの記憶に包まれていけば人生は豊かになる。忘れてしまったら、それはなかったことになって、人生の楽しさが半減する。だからゆっくり生きて、忘れないことが重要なのだ

 

 という言葉です。これは心に沁みました。ですから、僕はなるべく忘れないように意識してここまで生きてきました。その結果、3歳の頃からの記憶は断片ではありますが、要所要所、覚えています。それは幼稚園、小学生、中学生、高校生、浪人生、大学生、社会人と変わらないつもりでいました。いつの時代でも、簡単に思い出せるように意識しています。その記憶の量は膨大なので、都合よく、バランスを取ってという感じですが、忘れたいと思うことはあまりありませんでした。しかし、ここ10年、いろいろなことを勉強しているなかで、衝撃的なことがわかりました。記憶は自分に都合の良い様に改竄できるということです。ですから、自分の思い込みで記憶が書き換えられることは脳の機能上、大いにあります。なので、僕が記憶していることがすべて事実だとは思っていません。僕の自覚がないところで、勝手に改ざんしている可能性がゼロではないのです。ただ記憶違いは完全に事実を持って証明されていることで、単に自分だけが保有している分には全然影響はありません。あの時こんなことがあったというエピソードは多少盛っても、話が面白くなるのならば、それで良いのではないのかとあまり深くは考えていません。全く忘れているということ自体が問題だと思うからです。

 

 これは人、それぞれ違うことだと思うのですが、僕は楽しかった記憶、上手く何かをやり遂げた記憶よりも、失敗した記憶、苦労した記憶、嫌だったことがらの記憶、と、どちらかというとマイナスの記憶の方がより鮮明に覚えているのです。これはいろいろな人とすり合わせてみたのですが、どうも、僕は変わっているんだとわかり、当然、自覚があります。ですから、人と思い出話に花を咲かせる時にはなるべく楽しかった記憶を話すように心がけています。ほとんどの人は嫌な記憶、マイナスの記憶は忘れたいものですし、できればなかったことにしたい記憶だと思うのですが・・・ よく黒歴史とか言って…お茶を濁します。でも実は僕にとって、マイナスの記憶、負の記憶は武器であるという自覚があるのです。無意識にそういう負の記憶は鮮明に覚えているのです。

 

 このような負の記憶が武器になるということがどういうことかというと、起きてしまったことは仕方がありません。ですが、同じ過ちや失敗をしない為に、この経験はいかなさないといけないと強く思っているからなのです。僕は何度も失敗をしますし、嫌な目にも遭いますし、マイナスのことがよく有ります。そして、その都度、どうすればよかったのか?どうすれば上手くいったのか?どうすれば、そんなことにならなかったのか?に対して疑問を持ち、分析し、精査し、次には同じ失敗を繰り返さないように努めることをしています。そうしないと上手くいかないからです。当然、その時の僕の判断も考察します。他に選択肢はなかったのか?今度はこういう選択肢をしたらどうなるとか。いろいろとシュミレーションを行います。その中での最適解を同じような場面に遭遇したら、行うようにしています。これはいわば、起きてしまったことは仕方がないことなので、次に起きた時には万全の準備が出来るということです。僕は経験上、初めてのことで、上手く言ったためしがありません。大抵は失敗するので、その失敗を分析して、次に生かすということを何度も癖になっています。そういうことから、マイナスの記憶の方がより鮮明に覚えているのかもしれません。恥ずかしいこと、思い出したくないことはありますが、それをあえて、分析することで、自分の今後に役立たせようと僕は思っているのです。ですから、同じようなことを何度も失敗する人の気持ちは想像は出来ますが、僕とは違う感性なのでしょう。僕は前に向いて、レベルアップしたい、バージョンアップをしたいという感覚が常にあるからかもしれません。

 

 経験上、シュミレーションが出来てしまうと、楽しさが半減するデメリットもあります。仕事上では最大限に使えるのですが、僕個人の旅行とか、日常ですと、計画すると、それをこなすことが主となってしまい、それらの行動を楽しめているのかが疑問になります。ですから、旅行とか、日常では思い付きだけで行います。旅行の場合は食べに行きたい場所と、宿泊先だけはキープして、あとは行き当たりばったりです。旅行先でどこに行ったら面白いのか、聞くこともあります。その方が楽しめるからです。計画でがっちがっちにしてしまうと、旅行に行く前にある程度の、想像が出来てしまい、それを超える経験はなかなかできないものだからです。突然思いついて、そこに行ってみるという旅行や日常が好きですね。何気なく、行ったところが、面白かったり、新鮮だったりするのを今は楽しんでいます。

 

 記憶を大切にする、なるべく忘れないようにするということは僕にとっては癖になっているのかもしれません。ただし、昔が良かったとか、過去を懐かしむことはほとんどしません。あくまでも成功する為に失敗に疑問を持ち、分析し、精査し、次に生かすという手法です。実はこれらを身近にやっていることがあります。それは競馬です。僕は負けた競馬の自分の見極めの敗因を徹底的に分析します。そして、何が足りなかったのか、何を見落としていたのかを考えます。ですから、終わったレースは何度も見返します。レースが終わって、ハイ、次週のレース!とはいかなくなりました。昨年の今頃は勝った、負けたが主な楽しみでしたが、現在はなぜ、この当たりにたどり着けなかったのかを熟考します。そうすることで、幅が広がり、考えも広がります。それを生かしていけば、負けは少なくなるはずなのです。競馬は運要素も多分にあって、このレースだけしか走らない馬も存在します。このレースの為だけという馬もいるのです。それらが見極められると、凄くまた一段階上の景色が見られるのではないかと思っています。性格的なことなのでしょうが、同じ過ちは繰り返したくないですね。こういう見方で競馬をしている人は少数派だと思いますが、楽しむためには本気で取り掛かるのが面白いのだと僕は思っています。中途半端が一番面白くはありません。夢中になるぐらいが面白いことだと思うのです。

 

 たまたまか、また人間やっているので、どうせやっているなら、楽しい方が決まっています。楽しむために本気を出して、物事に取り組む。しかも、取り組んだ先の記憶を無駄にはしない。次に繋げる。この繰り返しが人生だと僕は思っています。