日本人の伝統というか、文化、慣習の中での美徳が規律正しいということです。組織的行動、団体行動がとても得意とされています。行列でもきちんと並んでいますし、一旦規律があるとそれを必ず守ります。以前の大阪では車がとっていなければ、仮に赤信号でも平気で渡ることが多かったのですが、最近では車が通らなくても、きちんと赤信号を守っています。ずいぶん変わったものだと思います。ここから派生する長所は一旦決まれば、クレームは出ないし、決まったことには素直に従う。上が決めたことはとりあえず行うということになってきます。実はこれこそが、日本人の欠点でもあるのです。簡単に言いますと、権力者側にとっては扱いやすい子羊のようです。マスコミを使って、散々煽って、一旦決めてしまえば、仮におかしなことでも、疑問が多分にあることでも、日本人は素直に従うのです。権力者側にとっては実に簡単なことで、国民が操れるのですから、日本人を支配するのは世界に比べると、物凄く安易にできるのです。ではなぜ、こんなことが起きるのかというと、自分自身で判断できないという特性があるようなのです。

 

 先日、大阪の繁華街、心斎橋筋商店街を歩いていたのですが、昨年の11月にも歩いているのですが、先月の28日は凄く人がいなくて、驚きました。ガラガラなのです。道がとても広く感じました。で、1月27日からマンボウの適用だったのですが、それをきちんと守って、外出を控えているようなのです。最近ではこの誤ったマンボウという政策自体を批判する声も少なくなってきています。仕方がないや、しょうがないや。オミクロン株は感染力が高いけど、毒性は弱いとわかっているけれど、行動を自粛しようという空気があるのでしょう。新型コロナ利権の人達にとっては拍手喝さいの事態になっています。僕のように、自分で判断して行動する人はレアなケースなんだなと思いました。このような光景を見ていると、日本人の長所が逆に短所になっていると感じてしまいます。本当にこんなのにやられている被害者は気の毒です。だからといって、暴動が起きるということはありません。世界各国では良く起きていますが、日本ではそういうニュースはレアケースです。日本人は一旦決まったことは守るようなのです。つまり、大事なことは自分の判断よりも他人の判断にゆだねるのです。これは極めて危ないことだと思うのですが・・・

 

 日本人の傾向として、誰か偉い人が決めたことに関して、素直に従うということは、偉い人に決めてもらうということを許容していることですし、大事なことをを決断するにあたり、思考停止しているのだと思うのです。これは日本の文化、慣習の点で、意見をするとか、苦言を対することは遠くでやるのは構わないけど、直接言うと、異物の除去とみなされて、排除されるという仕組みがあったからだと思うのです。ですから、一旦決まったこということにいつまでもこだわり、軌道修正はしませんし、責任も取らないというような形になるのです。ようするに日本の社会において、責任を取るということや、決めてしまうということを決断できないというのが良しということになるのです。1例を上げますと、岸田文雄のように何もやらない、何も決められない首相への支持率が高い理由はそういうことがあるのだと思うのです。そして、決めたことの半数が同調すると、いつの間にか同調圧力が生まれます。そうなると、その決定に従わなければいけない空気が出来上がるのです。こと、自分自身のことなのに、大事なことを自分自身で決められないというのは非常にヤバイことだと僕は思うのです。しかし、自分自身の大事なことを同調圧力によって、判断し、行うことはよくあることなのです。

 

 僕は現在55歳で独身で未婚です。30代後半から、『なぜ、結婚しないの?』とか、『いつ結婚するの?』と複数の人から、しつこく言われてきた時期がありました。どうも30代後半の男性は結婚しないといけないという同調圧力があるらしいのです。僕がここで決まっていうセリフは『相手がいないんですよ~。誰か良い人いませんか?紹介してください!』と言います。そういうと、しつこく言ってくる人はたいてい黙ります。愛想笑いして、その場から逃げます。パターンでした。どうも、このように同調圧力をかけてくる人は良いことをしている善意の気持ちがあると思っていることのようなのです。良いことをしているという感覚があるのですが、真相は性根が卑しく、心の貧しい人だと僕は思っています。本当に、真剣に思っているならば、誰か紹介くれても良いはずですが、誰一人紹介して頂いたことはありません。つまり言動に対して、無責任なのですが、そういう人はそのことに気がついていません。哀れなものです。こういう人のパターンは家族を持ったら、一戸建てを購入することです。都心から物凄く離れた場所に一戸建てを建てて、ローンを毎月払う生活か、都心部にマンションを購入してしまうということをします。それは良いことだと思うのならばそれで良いのですが、これも同調圧力の一種です。自分の持ち家を持ち、一家の大黒柱にという幻想です。一戸建ての家を買ったり、マンションを買ったりすることはその人が良ければよいのですが、ある重要なファクターが抜け落ちているのです。そのことに気がつかないんだと僕は思います。それは何かというと、年月が経過するということなのです。

 

 一戸建ても、マンションも、20年以上住めば老朽化します。しかも、家族は20年ぐらいは家に居ますが、やがて巣立っていきます。大きな家に、2人暮らし、しかも老朽化してくる。こうなると、どういう決断を迫られるかは容易にわかることだと思うのです。しかも、その為に、大きな借金を作って、セコセコと返済し続ける。返済が完済したころに老朽化問題と、子供が家を出ていくという時期とが重なります。この時にどういう決断をするのか?果たして自分で決めることが出来るのでしょうか?この同調圧力の元が誰なのかはわかりませんが、そういう圧力があり、それに従うのが良いことだという錯覚はおかしなことだと僕は思っています。少なくても、自分自身でしっかり考えて、自分自身で決めるということが大事だと僕は思っています。周りがそうしているから、自分もそうするは、自分の頭で考えて、判断しないことには間違った方向に皆で進むことになります。これの典型的な例が太平洋戦争だと思っています。この戦争には首謀者も責任者もいません。ただ、同調圧力で、それが良いと誤った考え方が浸透し、その方向に動いて、悲劇を生んでいます。しかも敗戦後アメリカに占領され、その呪いが70年以上たった今でも顕在しているということなのです。自分の頭で考えるという意識は本当に大事だと僕は思います。

 

 こういった、同調圧力のその先に自分で決められない、思考停止に陥った人たち向けのビジネスがあります。そういう勧誘や誘導はある程度の説得力があるので、食い物にされるのが関の山です。でも、食い物にされている本人がそのことに気がついていないのは幸いなことかもしれませんが、もっと違う方法はなかったのかなとは僕は思います。せっかく貯めた資金もそういうものに費やして、幸せならば良いのですが、自分のことを自分で決められないという病の方をまず先に手を付けるべきなのだと僕は思います。責任を取りたくないとか、自分の頭で考えられないというのは一見して、楽な生き方だとは思いますが、それにはそれ相応のリスクがあることを覚悟しなければいけないことだと僕は思います。自分の人生ぐらい、自分で決められないようでは楽しく生きていくのはむずかしいんだろうなとは思います。