日露戦争はドイツには関係ないような感じがしますが、そもそも、ロシアを東アジアの利権に向けさせたのはヴィルヘルム2世ですし、実際に三国干渉を仕掛けて、日本が煮え湯を飲まされています。ロシアの南下政策が東アジアに向いたところで、日本と激突するのは当然のことです。日本にとって良かったことは、これもヴィルヘルム2世が仕掛けたことですが、結果的に日英同盟が結べました。一体、何をしたいんだ、ヴェルフェルム2世! この人、本当に大迷惑な存在です。

 

 日本としては、朝鮮半島に敵対的な大陸勢力が来ては安全が保障されません。満韓交換論がロシアに拒否され、最後の代案として、『朝鮮半島の北緯39度線以南には来ないでくれ!』と日本はロシアに懇願します。ところがロシアは一顧だにしません。むしろ、バルカン問題でオーストリアと妥協して、後顧の憂いを絶っています。アジアで戦争を起こす気満々です。外交の交渉の余地なしと見た日本は。、1904年2月、ロシアに戦いを挑みます。日露戦争です。日本軍は陸に海に奇跡のような連勝を重ねました。全て薄氷を踏む思いの勝利ですから、一度でも負ければ、日本の運命はどうなったかわかりません。伊藤博文や桂太郎はロシアが音を上げたところで講和に持ち込むしかないと、開戦当初から考えていました。英仏は交戦当時国である日露の同盟国なので、和平の仲介をする資格がありません。本来ならば、ドイツの出番です。ところが、ヴィルヘルム2世は極めて信用ならない人物ですし、三国干渉以来のドイツ外交に誠実さのかけらもありません。そこで新興国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に仲介を頼みました。大国が関わる戦争を仲介するのは大国の証し。アメリカにとっても悪い話ではありませんから、テディは引き受けてくれます。結果は日本の勝利確定です。賠償金は取れず、領土もわずかでしたが、ロシアを北緯39度線どころか朝鮮半島から追い出しました。さらに日本は南満州を勢力圏とします。戦争目的を100点満点以上に達成しました。三国干渉でドイツにエサにされて以来、10年もの間、臥薪嘗胆をしてきましたが、目標を達成しました。しかし、まだまだ安心できません。いつロシアが復讐にくるかもしれません。日露戦争を勝利に導いた桂太郎首相は大外交家でもありました。右腕の小村寿太郎も凄腕です。ヴィルヘルム2世の動きを見逃しません。その愚かな動きを。

 

 1905年3月31日、まだ日露戦争の真っ最中です。ヴィルヘルム2世はモロッコを訪問します。第一次モロッコ事件と呼ばれます。モロッコは地中海アフリカ西端の地でフランスが虎視眈々と狙っている土地です。そこをマーキングの如く訪問したのです。さらにドイツ議会は常備兵力増強法を可決します。こうした動きが英仏の懸念を招きます。もともと英仏協商は日露戦争で中立を守る為の紳士協定くらいの意味しかありませんでした。両国は世界各地で植民地をめぐり利害が衝突しているので、日露戦争が終われば、また対立関係に戻ると見做されていました。ところが、ヴィルヘルム2世の行動が不信を招き、英仏協商は同盟として実体化していきます。また、バルカン半島の情勢も不穏になってきました。1906年、オーストリア外相にアロイス・レクサ・フォン・エーレンタールが就きます。エーレンタールはバルカンにハプスブルクの版図を築かんと触手を伸ばします。その動きがロシアを刺激します。ロシアは東アジアの勢力伸張は、日本に南満州までを認め、自分は北満洲に引き上げることで妥協しました。日露戦争の結果である、ポーツマス条約で決着を受け入れました。だから、今度は自分のお膝元である、バルカンに目を向けたのです。ヴィルヘルム2世の策動で、三国干渉以来、10年間もアサッテの方向に向かっていましたが、ロシアにとってはバルカン半島の方が大事なはずです。言うまでもなく首都サンクトペテルブルクに近いですし、バルカンにはロシアに助けを求めるスラブ民族の国家が多くあります。ゲルマン民族のハプスブルクやイスラム教徒のオスマンとも勢力が角逐する場です。

 

 こうした状況が重なり、1907年にバタバタと三つの協商が結ばれます。日露、日仏、英露です。日英同盟と露仏同盟の四か国すべてが協商で結ばれました。四国協商です。気づいてみると、独墺両国は英仏露三国に取り囲まれています。ついでに言うと、イタリアは独墺伊三国同盟など存在しないかのような行動をとり始めています。日本だけが安全地帯のドイツ包囲網が出来上がっていたのです。日本を餌にしたドイツに見事に日本は仕返しをしたのです。それにしても、ドイツは、ヴィルヘルム2世は何がしたかったのでしょうか?結果的に包囲網が出来上がってしまい、どんどん追い込まれることになります。これが第一次世界大戦の大勢になってしまいます。本当に、ドイツははた迷惑な国です。当時、ヴェルフェルム2世は日本のことを『黄色いサル』と呼び、日本の悪口をヨーロッパ中に言いふらしていたとか…日本にとっても、世界にとっても、大迷惑な国ですね。