日本の歴史の中でも特に人気があるのは戦国時代、明治維新前の幕末がありますが、戦国時代もいろいろとファンタジーの要素があり、本質がつかめていないように思います。戦国時代のファンタジーの一つの例は戦国武将がすべて天下統一を狙っていたということです。これは違います。天下統一を狙うということが特に異常なことであり、狙っていたのは織田信長だけであったと考えます。なぜならば、織田信長よりも強い、武田信玄や上杉謙信は京都には行っているものの、天下を統一する動きを全く見せていないからです。武田信玄は晩年、京都に向かって軍をすすめますが、京都に行った後の、明確なビジョンがないために、進軍途中で亡くなると、残された部下たちはとっとと甲斐に引き上げてしまいます。明確なビジョンがあるのならば、そのまま進んだはずです。歴史はロマンと言われますが、ロマンを体現するのは良いのですが、そこからいろいろな知恵を学ぶ方が僕は面白さを感じてしまいます。

 

 戦国時代の最強の武将は誰か?ということもよく言われます。知名度では武田信玄を上げる人がいますが、圧倒的に上杉謙信でしょう。戦国時代だけではなく、日本史史上最強と思います。ある本で読んだのですが、世界史上最強とまで書かれていました。

 

 上杉謙信の何が凄いのかというと、生涯、150戦ぐらいしていますが、負けたことがないことです。しかもそれだけ戦をしているのに、畳の上で死んでいる。驚異的です。いろいろなエピソードがあります。

 

 川中島の戦いで激戦となった時に上杉謙信の軍の3倍の兵力でやっと引き分けに持ち込んだ武田信玄。この時、武田側では戦に勝った時にお触れを出すのが習わしですがこれがなかったこと。つまり引き分けでさえ、戦に勝ったというお触れを出し、民を労うのですが、この時はそのお触れが出なかったので、事実上、武田は負けているという実感だったのでしょう。のちの歴史書で、引き分けにしたのであって、武田軍が3倍の兵力で負けたとは言えないことでしょう。

 

 小田原城から一歩も出てこなかったのが北条氏康です。上杉軍が小田原城を取り囲みますが、全く戦になりませんでした。その時、上杉謙信は小田原城から矢や弾が届くところに陣取り、酒を毎晩飲んでいたそうです。謙信に注意しに行った家来に「俺は弾や矢は当たらないが、お前は当たるから、ここに来るな!」と命じたそうです。矢や弾は雨あられのごとく謙信に向かって撃たれたそうですが、全く当たらなかったそうです。

 

 織田信長は上杉謙信には手もみ状態のへりくだりをしていました。京都に来る際には道案内を買って出たり、盆暮れの貢ぎ物は欠かさず行っていました。織田信長は武田信玄にもしていましたが、武田信玄以上に怖がっていたのは上杉謙信でした。当時の京都の状況の描いた屏風絵が残っていますが、これは織田信長が上杉謙信が京都に来た時にこうふるまいますというガイドブックのようなものを送っているのです。そんな織田信長の心を知らなかったのか、部下の柴田勝家が越前で謙信ともめて戦になります。この時、羽柴秀吉は速攻で、柴田勝家と揉めて離脱します。結果、織田軍は上杉軍に多量虐殺されてしまいます。戦なのに一方的に殴られまくって、終了でした。いかに強いかがわかります。

 

 こんな神がかり的な上杉謙信ですが、これだけ強いのに、領土を広げるという野心がありません。本当であれば、関東一円、小田原近辺まで領土にできるのにそれをしないのです。やるきになれば、北陸から京都まで領土化することは可能でした。あまり関心がなかったようです。さらに戦への考え方が違います。戦国時代の戦は領土拡大が主ですが、上杉謙信は敵に圧倒的な恐怖を植え付けるということが大事だったのです。これは考え方の違いですが、とてもユニークな発想だと思います。しかも政治は苦手なようで、部下が揉めると、引きこもるようです。

 

 そんな超人的な上杉謙信になぜ、武田信玄は何度も戦いを挑んだのでしょうか??当然、上杉謙信の強さ、国の状況、等の情報は入っています。武田信玄は海に出たかったというのが一般的な説で、特に塩の確保が大事だったといわれています。それも一理あると思いますが…太平洋ではだめだったのでしょうか?今川を攻めれない理由は実父が今川に人質になっていることと、今川と親戚関係に成っていたためです。こういう義理人情が無謀な戦いを起こさなければいけない状況を生んだのです。こういう義理人情は時として、足かせになることがあります。 信玄は晩年、今川領を制圧し、駿河湾に出ています。そこで何をしたのかというと、海軍を作っています。正確に言うと、海賊を手下にしています。ここで貿易をと考えていたのでしょう。海に出るメリットはこういうところだと思います。また日本海に出たかったのは佐渡の金山を狙っていたのだと思います。だから何度も上杉謙信とつばぜりあいの川中島の戦いをやっていました。上杉謙信が弱ったら行こうと考えていたのでしょう。上杉謙信が健在の時は手が出せないのですから。武田信玄の遺言の中には困ったときは上杉謙信に頼れと書いてあったようです。武田信玄も大人物だと思うエピソードの一つです。

 

 武田信玄という巨星は狙い通りに行おうと思っても、それ以上の超人、上杉謙信がいたというのは歴史の皮肉に思えてなりません。その上杉謙信も領土的野心がなく、政治が苦手というのもおかしな話だと思います。戦は弱いけど、謀略で領土を増やす、毛利元就という人もいました。戦国時代には綺羅星のごとく大人物が出てきています。同じ日本なのに、今の日本には総理大臣の候補がいないという異常事態です。国民の為に日本の為にと頑張る政治家がほとんどいません。人物と言われる人がいないのは悲しいことだと思います。