こんばんは、しゃむです^^
朝
歩道を歩いていると
一つの光景が目に入りました。
あんた!!チャイム鳴ってんだけど!!
早くしな!!
学校行かないの?!いかないなら今から教室いって先生に言いに行くよ!!!
車から引きずり降ろされるように降りた小学生の女の子は
泣きながら母親と学校に入っていきました。
大人である私でさえ、恐怖を覚えました。
その子にとって日常のことなのかたまたまなのか、
きっとその子はは辛かっただろう
ここで私が割って入っていいものか
でも、
その女の子に余計な辛さを後々与えてしまうかもしれない。
色々逡巡しているうちにいなくなってしまい
何とも言えない気持ちになってしまいました。
あとから
あの怒号を飛ばしていた母親は
もしかするとかつて彼女自身がそうされていたのかなと
考えました。
昭和の時代は(私も昭和の生まれですが)
そういうのは結構普通で
深く考えずに親からそうされてきた、という部分があると思います(ここは主観ですが)。
平成を経て、
令和のこの時代に
変わらずその対応をしているのは
単に時代の価値観の変化を見ていないとか
もともとそういう性格とか(その可能性もなくはないでしょうが)
そういったものを通り越した原因があるのではないかと思いました。
いわゆる
後天的に与えられてしまった環境によるもの・・
「アダルトチルドレン」
「虐待」
のようなキーワードが浮かぶ状況です。
これに関しては
様々な議論があると思いますし
専門家ではないので、
一人の意見としてお読みいただければと思うのですが
親から受けた「ゆがんだ厳しさ」を
「愛」だと受け取らなければ
自分の心が壊れてしまう。
ゆえに
そのことを自分の中で
辛い思い出としてインプットするというのを
拒む。
結果、その行動は正しいと誤認識して
自分の子供にも同じ痛みを強いてしまう。
人間は
「辛い思い出と正面から向き合う」
ということはとても怖いことだと思います。
ある意味自分の価値観を否定することにもなるからです。
それでも
「あの時こうされたことは辛いことだったし許せない」
と感じて
それとどう向き合い
自分の中で解決するか
ということが
大変ながらも大切なのだと思います。
自分がされてきたことを
今度は自分が子供にしてしまうかもしれない
という恐怖や不安がある状態なのであれば
しっかりと向き合っている証拠だと思います。
でも。
それすらも感じることなく
同じことを自分の子供にしてしまっているとしたら。
負の連鎖は
その代でも止まらなかったことになります。
占い師は
正直、
こういったことを糾弾するような職業ではありません。
むしろ、
そういった苦しい思いを受けてしまった方の
人生を一度客観的に
棚卸しすることで
いいことも悪いことも気が付き
そこから自分が未来に向けてどう展望を持つのか
を考えるお手伝いしかできないように思います。
ただ、それでも、
私は
どうやらアダルトチルドレンだったようなので(最近知りました)
もしかすると、全部ではなくとも少しは気持ちが理解できるのではないかと思います。
お手伝いくらいしかできませんが、
少しづつでいいので
一緒に進んでいきましょう。