
小説のほうが読むのに時間がかかって暇潰し?(時間食いともいう)にはなりますけどね。
手間隙かかった絵を瞬間的に見て理解する、漫画も贅沢な娯楽ですなあ。
最近読んだのは
- 栞と紙魚子の百物語 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)/諸星 大二郎
- ¥798
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「バイオの黙示録」がでないなあ。
諸星ワールドは切ないトリップ感が味わえますです。
- 鹿鼎記 二人の皇太后/金 庸
- 鹿鼎記・5 経典争奪/金 庸
- ¥1,995
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- 鹿鼎記 6 クレムリンの女帝/金 庸
- ¥1,995
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ただいま4巻目(二人の皇太后)にしてようやく阿九(九難?)登場。
金庸先生の主人公の変遷が、「射鵰英雄伝」の郭靖のようなまっすぐな「民族的英雄」タイプから、楊過のような「民族にあまりこだわらない、しかし義理人情に厚い」タイプ、そして最後にいきついたのが「武芸もつたなく根性もない、字も読めないが世渡り上手で人付き合いがよく女性に対する邪心マンマン」の韋小宝だった、というのが非常に考えさせられる事柄です。
鹿鼎記で検索してたらこちらのサイトに行き着いた。
金庸先生の言葉をちょっと引用させていただく。
「主人公の韋小宝の品性が一般的な価値観念と大きくかけ離れているので、『鹿鼎記』
に不満を感じている読者もいます。 武侠小説の読者は、自らを物語のなかの英雄と重
ね合わせるのに慣れてしまっているのですが、韋小宝とは重ね合わせることができませ
ん。こういった点で、読者のいくらかの楽しみを奪ってしまい、申し訳なく思っています。」
に不満を感じている読者もいます。 武侠小説の読者は、自らを物語のなかの英雄と重
ね合わせるのに慣れてしまっているのですが、韋小宝とは重ね合わせることができませ
ん。こういった点で、読者のいくらかの楽しみを奪ってしまい、申し訳なく思っています。」
「小説のなかの登場人物が、もし完全に非の打ち所がなければ、それは真実ではない
と言わざるをを得ません。小説は社会を映す鏡であり、現実社会には完全無欠の人間
は絶対にいないからです。 小説はまた道徳の教科書ではありません。でも、私の小説
の読者にはたくさんの少年少女がいます。 そこで、あどけない子供たちにつぎのような
注意を喚起しておくべきでしょう。 "韋小宝は正義を重く見て大事にしています。それは
良い人徳です。ほかの行動については、くれぐれもマネをしてはなりません。"」
と言わざるをを得ません。小説は社会を映す鏡であり、現実社会には完全無欠の人間
は絶対にいないからです。 小説はまた道徳の教科書ではありません。でも、私の小説
の読者にはたくさんの少年少女がいます。 そこで、あどけない子供たちにつぎのような
注意を喚起しておくべきでしょう。 "韋小宝は正義を重く見て大事にしています。それは
良い人徳です。ほかの行動については、くれぐれもマネをしてはなりません。"」
うーん、ユーモアがあるし、深いなあ。