前に「カンフーパンダなんてのもあるし、パンダものを通じてパンダの棲む四川を応援しよう」といったことを書いた が、
この記事を読んで無理してカンフーパンダ見ることもねえかなあ、と認識を改めた
「パンダ人」趙半狄氏はなぜ「カンフーパンダ」上映に反対したのか
記事に書かれたとおり、シャロン・ストーンの発言はネウヨと同根で「チベット人の住む四川」のことを思いやっていない見下げたものだが、「ハリウッド」であるからといって「カンフーパンダ」と絡めることもないし、上映中止は確かに行き過ぎだと思うけど、
カンフーパンダは、
肝心のパンダが全然かわいくないのだ。
パンダ原理主義として、一番大事な観点を落とし、「とりあえず、今の時期にパンダを取り上げたものなら持上げておこう」と日和ったことを恥じたい。
カンフーパンダのパンダなんか「ミッキーパンダ(非国民アニキ命名)」の典型ではないか。
過去記事
そうだった、パンダなら何でも良いってもんじゃなかった!
原点に返り、「パンダもの」「カンフーもの」としてみたとき、あまりカンフーパンダに魅力を感じない。
他のドリームワークス作品に魅力を感じないのと同様に。
パンダデザインとしても、「ほら、かわいいってイメージのパンダをこんなふうにふてぶてしくしてみましたよ・・・これがドリームワークスのユーモアテクニック?」的な驕りを感じる。
日本版イメージソングなんてジャニーズがしゃしゃりでてくるのもいけすかない。
それに「パンダを取り扱ったアメリカアニメ」を見に行ったからといって、特に四川への応援になるわけでもなかったよなあ、と<早く気づけ<いや、ジャッキー大兄のキャスト分はめぐりめぐって大兄が寄付してくれるかも知れんけど。
無理して「醜いパンダ」の映画を応援した気分で見るよりも、7ちゃんのほうがかわいいよなあ、とやはりミラクル7号を見ることにしたのだった。(ミラクル7号のブログパーツは一週間前からブログに貼ってるので、ことのはさんの記事の結末にも共感した。)