付き合いがあったときいくらでも直接指摘する機会があったのに、相手が接触を絶ってから「あのひとはああだった」と言い合ったり、
あてこすりや揶揄したエントリーを上げて「私たちは正しかった」ことをいつまでも互いに確認しあっているのは
「女の子」なんてかわいいものどころか「ネチネチイヤミババア」(笑
自己像は「女の子的なものからかけ離れたさっぱりした性質」なんだろうけど、長年野良猫氏の様な品行方星イヤミ村と戦ってきたエロガッパ星タフガイ村出身(自己申告)の俺からすると、陰湿この上ないね!
その都度「こういうのはいくねーんでないかい」って指摘すりゃあよかったじゃんかよ。俺なんか入り込むの気が引けるほどベッタリなアマゾネスごっこ遊びで付き合ってたんだし!
まあ、前フリはこのへんで、「非科学的」という批判で思い出すことがある。
最近はてなキーワードの「歴史修正主義」の編集で個人的な見解を持ち込もうとして問題になった、はてなid:lovelovedog氏が過去に「劣化ウラン弾の放射能で被曝するというのは嘘」と、一生懸命エントリーを上げ、イラクで生まれた奇形児などを取り上げたはなゆーさんの記事や、俺の「自衛隊員の被爆が心配」と書いた記事に、「科学的根拠はない」とコメントしてきた一件だ。
lovelovedog氏は、彼の「劣化ウラン弾は危険がない」記事のコメント欄で半減期を延々と計算して「科学的」な検証を続けるゲストや、重金属が高温で発射されて分子化した後それを吸引したとき微量であってもそれが放射性を帯びたものだったら人体に与える影響などを熱心にコメントしてくれた大学教授によって、「まあ、劣化ウラン弾が安全でなくても自分の生活に影響はないですし」といったフザケタコメントを残して「劣化ウラン弾」問題からトンヅラこいたのだった。「劣化ウランは安全、夜光って飾っておくとキレイ」なんて記事をあげてた鉱物系の研究員らしいbeta_delphinusなんて人もいたな(笑
現在はWHOの調査によって劣化ウラン弾の危険性や、「米軍の主張の誤り」が指摘されているが、そのころのlovelovedog氏は「科学的根拠もないのに劣化ウランの危険性を唱えて扇動的な情報を流す無知な論者を科学的事実によって啓蒙する」気でいたんだろう。
まあ、これは極端な例として、俺の周りにも非科学的なものや情緒的に過ぎる「事実」は転がっている。
今冬死んだうちの犬は、イラク派遣された兄をともに待っていたことで俺や甥1とは特別な繋がりを持っていたと感じている。俺が依存していたというか。自分の肉親が戦場で死んだり被爆したりするかもしれない、その獏とした不安を感じて犬は寄り添っていた。「父の帰りを待つ」甥1とのつながりは特に堅固で、兄が帰宅してくる方向を向いて道端で犬と寄り添っている姿を見つけると、胸が締め付けられる思いがした。
兄が帰ってきたとき、犬は泣いた。「犬は科学的に泣かない」と言われるかもしれないが、あのとき顔を胸にぐいぐいと押し付けて「あおー、あおー」と鳴いたのは確かに「泣いて」いたのだ。
甥2は物心がつかないうちだったし、兄の代わりに家族を見なければならなかった義姉と、俺や甥1は立場が違う。だから、「犬と俺たちの関係は特別」なのだと思っていた。
兄は、はなゆーさんには話したことがあるが、派遣後から原因不明の腰痛や、脂漏性湿疹に悩まされていた。腰痛はバイク通勤も諦めて軽自動車を買ったくらい、一時期ひどかった。自衛隊病院でも「疲労・ストレス」としか診断されなかったし、国立病院に行ったとしても「劣化ウラン弾の影響ではないか心配です」と訴えたところで誰が相手にしてくれたろう?
でも、いつの間にか「腰が痛い」が兄の口から聞かれなくなった頃、
犬に「アレルギー性皮膚炎(後に肥満細胞腫と診断される)」のできものができ始めた。
肥満細胞腫の診断が下ってから昨年六月に手術をしたが、ずっと「アレルギー性皮膚炎」という診断を信じて発見が遅れたため、手術をしたとしても長くは持たないだろう、と言われた。でも、衰えながらも最後まで人間に気を遣って半年と少し生きた。
火葬場で犬の体を焼いた跡からは、骨以外に癌化した細胞のような、堅い石状のものがポロポロ残っていた。
兄と俺と甥1の三人で箸で骨を拾っていたら、「俺の病気もみんな持っていってくれたんだなあ」と兄が号泣した。
それを聞いて、俺は兄も犬に対してそういう特別な思いを抱いていたことに気がつき、胸が締め付けられた。
もちろん、これは非科学的な話だ。
犬が飼い主の病気を引き受けて死ぬ、そんな話はオカルトの範疇だ。
しかし、俺はそう思って犬を悼んでいる兄を否定したり、同調したりしない。ただ、「そういう思い」があることを受け入れる。
この話は表に出す気はないし、書いて誰かの同情を買おうとか共感を得て敵対する誰かにあてつけようなどと思いもよらない。今日まで、極身内の、気心の知れた限られた人にだけ打ち明けてきた。
「そういうことがあった」という打ち明け話、誰かに話すと少しは気持ちが晴れるだろう、そんな程度の話だ。
でも、今日これを書いたのは
俺みたいに(何の意図もないかもしれない)「打ち明け話」をしているひとがいたとして、
「これは共感を得て『物語』を作って同情を買おうとしている、卑怯な行為だ」などと勝手に相手の思惑を決め付けて糾弾しているひとを見たら、
その人とは付き合いを改める必要を感じる、という立場を明らかにしようと思ってのことだった。
(身内の被爆の心配をしているときにlovelovedog氏にいちゃもんつけられたときのふざけんなよてめーというのを思い出したため)
嫌いで結構嫌われていい気持ちなので不平不満批判非難はご自由に(笑
追加:最初に「自分がやっているのは真剣な事実の追及、論理的議論の模索」と宣言しておくと、後は何をやっても擁護されるのだからじゃばさんは本当に「いい装置」を手に入れましたね!あとkojitaken とkurokuragawaな。
真実と科学の尻馬に乗って何いい気になってんだ?
(こういうのが本当の悪意のある陰口ですよ、ちょっとしたことにもすぐカチンとなって冷静さを失うピュアで傷つきやすい論理的の皆さん!(笑))<といいつつあまり悪意はこもってないな