俺が子供のころ、食い物を残したりすると親やセンセイから
「今世界でものを食べられないで死んでいく子供が何人いると思ってんの!!」と説教された。
もしくは食事に文句を言ったりするとじいさんばあさんが「戦争中は食い物にとやかく言うような贅沢な子供はいなかった」とかね。
そういう「貧困や食料」についての重要性というのは頭ではわかっていたが、子供の前には食い物があふれていたし、手もつけられないで捨てられるコンビニのおにぎりや弁当、ホームレスはかえって太るとかいう都市伝説もあったし、
ほんの数年、7,8年位前では、俺の脳内では「貧困による餓死」のイメージは、アフリカや第三世界、もしくは戦前であって、現代の自分が生きている社会においては「ものを食べられないで死んでいく」ということのリアリティが希薄だった。
何年か前、水道やガスが止められ、母子家庭の子供が餓死をした一件や、独居老人や病中の老人が餓死していく報道を聞くにつれ、「豊かな中の貧困」「人を餓死させるまでほっておく社会」というのがひしひしと感じられた。
ニュースにはならないけど、高齢者の夫婦や、独居老人の多い地域に住んでいるので、「老人の餓死凍死孤独死自殺」はかなりの頻度で耳に届く。
「どこそこのじいちゃん見つかったとき畳にいっぱい爪のあとついてたんだってよー、苦しんだんだろなあ。死後1週間はたってたってよう」
「沢で見つかった○○のばあちゃん、ほんとは農薬飲んで自殺だったってよ。じいちゃん死んで誰も引き取ってくれなくて生きていけねえって言ってたしねえ」
なんて最近のをちょっと思い出すだけでこんな感じ。
先日、甥1、2と海に行ったとき、(兄が中越に行っているので父親代わりのつもり)
甥1が買ったおにぎりを砂の上に落として、ちょっとしか砂がついていないのにゼンブ丸ごとごみに捨てようとしたのを見て、俺の口からタイトルのセリフが飛び出た
「ちょっとオメ今 日本でおにぎり食えないで死ぬ人何人いると思ってんだ!!」
それを自分で言った後、最近あったあるニュースが思い浮かばれ、身近なところで「餓死していく人のリアリティ」が胸にせまって、本当にじんじんと泣きたくなるような気持ちになってしまった。
日本でおにぎりも食えないでひもじいようって死んでいく人がいるようになったんだもんなあ。
いきていくより死んだほうがマシって無理死にしていくんだもんなあ。
悲しいなあ。
と炎天下の中ひたってしまった。
(ノω・、) 水葉さんとこの記事。
そういやおめえの父さんが行ってるところでも今たいへんなんだ。
おにぎり一個だってただ無駄にしてはなんねーぞ。食えるとこだけでも食え。じゃりじゃり。<と自分で食った